道の隈 塀よりかづら 碧落の
瀧さかのぼり 月 櫂かしぐ
花かげに 波うづくまり 身と影と
守宮に沈く いにしへの空
そこにはかつて瀧裏を
登り抜ける道があって
ほとばしる水の穹窿を眺められたが
明治の終りに台風で崩落
その後直すこともならず
裏見はできなくなったという
第三紀と第四紀の地層の境となって
いたらしく、太古に橋かける道だった
出羽三山より請來されたという
不動明王像はいまも
途切れた道を護り佇む
「奥の細道」 には次のように記される
廿余丁山を登つて瀧有
岩洞の頂より飛流して百尺
千岩の碧潭に落たり
岩窟に身をひそめ入て
瀧の裏よりみれば
うらみの瀧と申伝え侍る也
しばらくは 瀧にこもるや 夏の初
(しばらくは たきにこもるや げのはじめ)
ほととぎす 裏見の瀧の 裏表
ほととぎす 隔つか瀧の 裏表
あなたの前に、二つの道があるならば
そしてそのとき、あなたが健康ならば
困難なほうの道を行きなさい、とラマ僧は
友の フランス人映画監督 に云ったという
映 画 の中で、長男を亡くし塩を運ぶ ヤク の
キャラバンを数十年ぶりに率いた老族長は
ラマ僧の絵師となり、いま父のため寺を出て
ついてきた次男から、師の教えを聴くと
若き日に一度だけ通り抜けたことのある
深い谿を崖伝いに行く、悪魔の道に挑む
石と板とを積み上げ、組んだ道は途中で崩れていた
老いた職人と老族長が残った石と板を一つ一つ
重ね直した道は、再び通り始めたヤクの足の下で
ゆれ動き、土と小石を絶え間なく降り落とす
しんがりを行く次男の目の前で、ついに再び道は崩れ
最後のヤクが転げ落ちゆくなか、なすすべもなく
崖に張りつき目をとじ祈る次男に、かけ戻った
兄嫁が崩れた崖を踏みしめ、手を差しのべる
ヤク一頭と塩二袋、悪魔に支払った
と族長は云い、一行は道を切り抜ける
まばゆい青空を映す、谿底の水
見知らぬ土地をゆく列車の窓から
幼い頃の夏の日につづく道が
木立の間にきらめいて
山裾に消え、海端で途切れることも
昔はあった
駅の改札を抜けるとあった
睡蓮の葉の浮かぶ小さな池
仄紅い花が
灯るように咲くこともある
探しても、いつもいなかった
緑の雨蛙が
記憶の底で、葉に手をついて坐り
ころころ鳴く
水面から、もう一組の目玉が出て
きょろきょろ動く
地下鉄工事のまばゆいランプが
目路の限り下がる、板囲いのつづく道
憧れに満ち、夕暮にまばゆく耀くいくつもの灯りに
仄白く照らされた板囲いに、目を瞠りながら
こんな場面があったわ
最後独りで、ずっと入って行っちゃって、倒れてるのが見つかるの
昔見つけて、ずっと探してた、庭園につづく緑の扉だと想って
H・G・ウェルズ の 「塀の上の緑の扉」
という本だったと想う、と母が帰り道々話してくれた
遙かな昔、見たこともない庭園への
扉を見出し、夢のような時を過ごしたのに
その後再び、その扉を目にしたときはいつも
将来がかかり先を急いでるさなか
あとで想い出し戻ってみても、もうそこにはない
暇はどんどんなくなり、はずかしさも先立ち、やがて興味も薄れ
だが閣僚となったいま、またあの扉を見つけ
今度こそはその場で開け、きっとくぐりたいと願う
そして地下鉄工事の板囲いの内に、夜更け
独り入り込んで、トンネルの奥に倒れ
亡くなっている大臣が発見され
最近になって再会、思いがけぬ話を聴いた、幼な友だちの
書き手は、ついに見つけたんだな、と独りごちる
できた地下鉄で高校へ通った
大学に入り、院を出て助手になった頃
その本 を見つけた
母は学生時代、原文で読んでいたのだ
贈ったら、とても喜んでくれた
ボルヘスの序文に、ほぼ自伝に即したとある
亡くなったのはベッドの上だが、死出の夢の中
きっと扉を開け、くぐり抜けたのだ
ここは深い迷宮の底
氷の松明を掲げ、若者は
覚束ぬ足どりで進む
脱ぎ捨てた毛皮と角
斃れているような身と影を
隘路の隈に置き去りにしたかもしれぬ
視線は投じなかった
助けを求める声がかすかに
響いていたからだ
熱と灰の降りしきる町
大人の斃れた傍らで
子どもたちがうづくまり泣いている
おいで、と若者は呼びかける
灰にまみれた子どもたちの目が耀く
なんのために、この迷宮にとじ込められ
獣じみた叫びに切りさいなまれながら
待っていたのか、いまわかった
迷宮の奥へと戻る道すがら
ナルシスたちが水鏡から子どもたちを連れ
戻ってくるのに行き逢った
灰と煙、漆喰と硫黄の中に穿たれた迷宮の
深奥に氷河の湖がある
遙かな高みから、一条の光が差し込んで
月の舟が浮び上がる
子どもたちを乗せると、若者たちは
仄暗い迷宮に散り、それぞれの持ち場に戻る
そして氷河の耀きが、かすかにわだかまっている
優しく憂鬱そうなナルシスたちの
水鏡の奥から
途惑い疲れたようなテーセウスたちの
傍らから、響いてくる
舟がゆっくりと昇ってゆく音に
耳を傾ける
轟く水音が聴こえてくる
瀧裏の しづくに揺るる 半夏生
碧潭くぐり いにしへ わたる
白き蝶 どこかで母の うたふ 道
瀧さかのぼり 月 櫂かしぐ
花かげに 波うづくまり 身と影と
守宮に沈く いにしへの空
そこにはかつて瀧裏を
登り抜ける道があって
ほとばしる水の穹窿を眺められたが
明治の終りに台風で崩落
その後直すこともならず
裏見はできなくなったという
第三紀と第四紀の地層の境となって
いたらしく、太古に橋かける道だった
出羽三山より請來されたという
不動明王像はいまも
途切れた道を護り佇む
「奥の細道」 には次のように記される
廿余丁山を登つて瀧有
岩洞の頂より飛流して百尺
千岩の碧潭に落たり
岩窟に身をひそめ入て
瀧の裏よりみれば
うらみの瀧と申伝え侍る也
しばらくは 瀧にこもるや 夏の初
(しばらくは たきにこもるや げのはじめ)
ほととぎす 裏見の瀧の 裏表
ほととぎす 隔つか瀧の 裏表
あなたの前に、二つの道があるならば
そしてそのとき、あなたが健康ならば
困難なほうの道を行きなさい、とラマ僧は
友の フランス人映画監督 に云ったという
映 画 の中で、長男を亡くし塩を運ぶ ヤク の
キャラバンを数十年ぶりに率いた老族長は
ラマ僧の絵師となり、いま父のため寺を出て
ついてきた次男から、師の教えを聴くと
若き日に一度だけ通り抜けたことのある
深い谿を崖伝いに行く、悪魔の道に挑む
石と板とを積み上げ、組んだ道は途中で崩れていた
老いた職人と老族長が残った石と板を一つ一つ
重ね直した道は、再び通り始めたヤクの足の下で
ゆれ動き、土と小石を絶え間なく降り落とす
しんがりを行く次男の目の前で、ついに再び道は崩れ
最後のヤクが転げ落ちゆくなか、なすすべもなく
崖に張りつき目をとじ祈る次男に、かけ戻った
兄嫁が崩れた崖を踏みしめ、手を差しのべる
ヤク一頭と塩二袋、悪魔に支払った
と族長は云い、一行は道を切り抜ける
まばゆい青空を映す、谿底の水
見知らぬ土地をゆく列車の窓から
幼い頃の夏の日につづく道が
木立の間にきらめいて
山裾に消え、海端で途切れることも
昔はあった
駅の改札を抜けるとあった
睡蓮の葉の浮かぶ小さな池
仄紅い花が
灯るように咲くこともある
探しても、いつもいなかった
緑の雨蛙が
記憶の底で、葉に手をついて坐り
ころころ鳴く
水面から、もう一組の目玉が出て
きょろきょろ動く
地下鉄工事のまばゆいランプが
目路の限り下がる、板囲いのつづく道
憧れに満ち、夕暮にまばゆく耀くいくつもの灯りに
仄白く照らされた板囲いに、目を瞠りながら
こんな場面があったわ
最後独りで、ずっと入って行っちゃって、倒れてるのが見つかるの
昔見つけて、ずっと探してた、庭園につづく緑の扉だと想って
H・G・ウェルズ の 「塀の上の緑の扉」
という本だったと想う、と母が帰り道々話してくれた
遙かな昔、見たこともない庭園への
扉を見出し、夢のような時を過ごしたのに
その後再び、その扉を目にしたときはいつも
将来がかかり先を急いでるさなか
あとで想い出し戻ってみても、もうそこにはない
暇はどんどんなくなり、はずかしさも先立ち、やがて興味も薄れ
だが閣僚となったいま、またあの扉を見つけ
今度こそはその場で開け、きっとくぐりたいと願う
そして地下鉄工事の板囲いの内に、夜更け
独り入り込んで、トンネルの奥に倒れ
亡くなっている大臣が発見され
最近になって再会、思いがけぬ話を聴いた、幼な友だちの
書き手は、ついに見つけたんだな、と独りごちる
できた地下鉄で高校へ通った
大学に入り、院を出て助手になった頃
その本 を見つけた
母は学生時代、原文で読んでいたのだ
贈ったら、とても喜んでくれた
ボルヘスの序文に、ほぼ自伝に即したとある
亡くなったのはベッドの上だが、死出の夢の中
きっと扉を開け、くぐり抜けたのだ
ここは深い迷宮の底
氷の松明を掲げ、若者は
覚束ぬ足どりで進む
脱ぎ捨てた毛皮と角
斃れているような身と影を
隘路の隈に置き去りにしたかもしれぬ
視線は投じなかった
助けを求める声がかすかに
響いていたからだ
熱と灰の降りしきる町
大人の斃れた傍らで
子どもたちがうづくまり泣いている
おいで、と若者は呼びかける
灰にまみれた子どもたちの目が耀く
なんのために、この迷宮にとじ込められ
獣じみた叫びに切りさいなまれながら
待っていたのか、いまわかった
迷宮の奥へと戻る道すがら
ナルシスたちが水鏡から子どもたちを連れ
戻ってくるのに行き逢った
灰と煙、漆喰と硫黄の中に穿たれた迷宮の
深奥に氷河の湖がある
遙かな高みから、一条の光が差し込んで
月の舟が浮び上がる
子どもたちを乗せると、若者たちは
仄暗い迷宮に散り、それぞれの持ち場に戻る
そして氷河の耀きが、かすかにわだかまっている
優しく憂鬱そうなナルシスたちの
水鏡の奥から
途惑い疲れたようなテーセウスたちの
傍らから、響いてくる
舟がゆっくりと昇ってゆく音に
耳を傾ける
轟く水音が聴こえてくる
瀧裏の しづくに揺るる 半夏生
碧潭くぐり いにしへ わたる
白き蝶 どこかで母の うたふ 道