hazar  言の葉の林を抜けて、有明の道  風の音

細々と書きためたまま放置していた散文を、少しずつ書き上げ、楽しみにしてくれていた母に届けたい

2014年01月28日 | 散文詩
瞼の内に木々が立ち並び、視野が閉ざされていく。  霧が渦巻いている
灰色の板根の波を、苔が深々と洗い、谷を渡る羊歯が、月明かりに緑閃光の飛沫を噴き上げる
樹海の其処此処で、苔のに宿った露に、仄暗い光の脈打つ繊毛に覆われた
小さな森が照らし出される

木の間を透かし、ぼんやりと明かりが瞬いている。  枯れ枝をかき分けながら
近づいていくと、網目のような影が広がる中、電球のようなものが下がっていた
龍が目玉を引っ掛けていったのだった。  揺らめくだけで、此方を向くことはなかった
枝ごと払い落とす。  透き通った影を封じ込めたまま、目玉はゆっくりと泥の中へ沈んだ

うとうとしながら、窓の氷柱を眺めていると、沈もうとする日の光が、先のほうへ
逆様の蝋燭のように燃え渡ってゆき、ゆっくりと煌めいた。  消える前に願い事をすれば
叶うことは無いかもしれない。  叶って欲しく無いことを、心から願えるものなら

松葉杖を衝いて食堂へ向かっていると、透明な液体の袋を吊るした支柱を曳きながら
男の人がやって来た。  袋から下がる管は、胸へ貼り付けてある
壁に凭れ休んでいるようだったので、盆を取って差し出すと、吃驚したように頭を振った
「いやあ、そんな事してもらうなんて。  僕はもうずっと此処に居るけど、初めてですよ
 そんな事してもらうの」  「皆同じ食事なんですね、とても食べ切れない」
「僕は、食べるのが楽しみでね」  湯気の向こうに、目を落した笑顔を見たのだった

出口を探して、時を逆様に進む龍の歩みが、森を生まれる前の泥に還そうとしている
昔はそう思っていた。  年老いた龍は溜息をつく。  吾はこの森が生まれた処へ還る扉を
守っている。  鍵を携え使者が到着し、扉が開かれる迄。  今枯れ疲れ狂わされた森の
彼方此方で、扉を探し脱出口を喰い破って元の世界へと渡り、其処をも喰い尽そうとする
狂った種子が生まれた。  その子らを救う力も滅ぼす力も吾には無い。  吾に出来るのは
この森の魂の大半を宿した鍵を携えた使者を待ち続け、その魂だけをその扉から送り還すことだ
他の誰も連れて行けぬ。  使者が鍵で吾が扉だからだ。  使者はこの森が生まれて後の
新たな魂であり、吾はこの森が生まれる迄の古の魂であり、吾らは相まみえて、
この森が生まれる時、一つのものが二つに分かれた、死に物狂いの唯一無二の舞踊を、
年老いた身で、終わりから初めへと踊らねばならぬ。  間違いや中断はあり得ぬ
吾らが相まみえる時、その舞踊が森の全てから想い起こされ、奏でられ、終わりから初め迄
初めて始められ、之を最後に終わるからだ。  その扉は嘗て在ったのと同じように、
開くのでも閉じるのでもなく、無くなる。  無くなる前に今一度顕現する、その瞬間に
吾らは通り還る。  使者が脚を曳き摺り、遥か外の世界からこの森に到ったのが判る
使者は何も知らず、怯え疲れ果て、吾を探している。  良し。  吾は此処、森の真央に居る
来たれ

影のような広がりの中を、霧が棚引いていく。  目を開いても見えるものは同じだ
立ち尽くしていると、霧は水面からゆらゆらと昇って、枝を広げ、森を形づくろうとした
重なり合いながら上へと伸びていく、葉が震えた。  切れ切れに消えてしまっても、瞼が
木洩れ日で温かかった。  泥の海を渡って、岩場に立つと、目の前に湖が広がっていた
鳥が躊躇うように、僅かな水に波紋を広げていた。  動きが止まり、細かな羽毛の全てから
滴が落ちた。  あれは記憶という鳥だった。  振り仰ぐと急速に暗くなっていく空で、
一声鳴いて消えてしまった。  ひたひたと泥が湖を覆い、霜が張った
対岸で、二つに分かれていた草叢が閉じた

時折、霧の彼方に、別な世界が見える。  ビルが立ち並び、反射する明かりに映像が渦巻く
それとも焼夷弾で焼き尽くされ、煙の立ち昇る瓦礫の街。  誰も居ない
いや彼方此方に、槍を手に彷徨う姿が見える
瓦礫の角、洞窟の隅で、槍を差し伸べる使者を待ち、朽ち果て凍りつき痛む肢を踏ん張り、
鎖されて久しい瞼を持ち上げ、澄んだ耀きで未知なる吾を見通そうとする古の吾
龍よ、汝だけが素足で焼け跡を走り続け、突き飛ばされて脚を砕かれ、
倒れながらまた起きて走り続け、竟に斃れた母をその背に乗せて
故郷へと連れ帰った

時が止まり、もうあの喰意地の張った種子共の居ない、凍ったような蔭に包まれた森には、
疲れ果てた龍の背で眠る幼子しか居ない。  龍が最後の草をかき分け枝を除けると、其処は
断崖絶壁で、眼下に広がる森に靄が立ち籠め、夜の虹が掛かっている。  此処からはまた
独りで行くのだ。  素足で槍を曳き、傍らに何か大きな犬のような馬のような翳を従えながら

解れた糸のように鞍や手綱が散り落ち、元の丈に戻った馬は、露に濡れた草を嗅いでいる
傍らに眠る幼子は仄光っている。  日が昇る

川底に潜むもの、苔の森に棲むもの (承前)

2014年01月26日 | 映画について
ふと思い立って、以前から鯰に似ていると思い、気になっていたアルトドルファーの龍を拡大してみた



ヨーロッパに自生する鯰には、ドナウ川で、体長 3 m、体重 200 から 250 kg の
個体を釣ったという Heckl と Kner の古い報告もあるそうだ



現代の何処かで、そのような鯰を釣った人 …



トルコの セミフ・カプランオール 監督が、ユスフという青年詩人の、現在 (青年期) ・少年期・
幼年期を、遡っていくように描いた、 『卵』 『ミルク』 『蜂蜜』 という三部作の中の、 『ミルク』 で、



幼い頃に、父を亡くした主人公が、母の再婚相手となる駅長が、朝、母を送って来た後、
水鳥を狩りに、丈の高い草の生い茂る、浅瀬に入って行く後をつけていく …、という場面で、
間近に銃声がし、何を思ったのか、大きな石を振り上げ、背後に迫ったか、という、その時 …
それを止めようとするかのように、目の前の浅瀬に、大きな鯰が居るのに、少年は
気づいた … 振り上げた石を下ろし、脇へ置いて、少年は、魚を捕らえるも、
思いもかけず大きな、その魚を抱いて、浅瀬に坐り込み、事無きを得る …
… 今想うと、その魚を抱き締める様子は、何か、その魚を助け、守ろうとしているようにも、
また、魚にしがみついて、自らを戒め、魚と共に、我と我身を狩り立て、駆り立てるものから、
必死で逃れようとし、隠れようとしているようにも、思われ …
… 魚を抱く裡、少年の顔色が変わり、母が、自分が留守の間に、秘密裡に再婚話を
進めていたことを、悟ったのかもしれない … 亡き父を愛し、一家の大黒柱として、必死で
母を支えてきた彼に、何の相談も、説明もなく … 彼が、徴兵されようかという、この時に …



大きな獲物を抱え、意気揚々と家に帰った少年は、母が送り届けられたばかりの、水鳥を調理すべく
夢見心地で羽を毟っているのを、目にする …
それは、その浅瀬に坐ったまま、心の眼で想い描いた、幻だったのかもしれない …
夢を諦め、無理を重ねた自分が、母と自分の二人共を犠牲にするようにして、母に贈れるもの
よりも、その男が悠々と自然に、母に贈ることができるものを、母が選んだことを …
そして、やがて去っていくであろう少年との別れを待つだけの未来でなく、
その男との新しい暮らしという未来を、母が選んだことを …
それは、もう何の心配もせずに、母の元を離れ、自分の夢を追い、素敵な娘さんと出逢って
新しい、自分の家族を築きなさい、と、彼を解放する、その為だったのだが …
少年と母の未来を守って、死んだ鯰は、がっかりした少年の腕から滑り落ちる …
のではなく、それは、母を解き放ち、独りで生きることを少年に伝えるという、役目を
終えた鯰が、亡き父の霊魂から解き放たれ、また、全てを悟り、肩の力の抜けた少年の
腕からも解き放たれて、川底へと音もなく戻っていった、瞬間だったのかもしれない …

水辺には、目には殆ど見えない位小さいが、 ガスマスクのようなものをつけ、
宇宙服と見紛うばかりのものを纏って、古くから苔の森に棲んでいるもの
もいる
電子顕微鏡に気づいているらしい、その様子 は、未知の存在との邂逅に
計り知れない好奇心を湛えている



馬の瞳の中に映る、露の一滴の中にも、広大な世界があって、
その広大さは、頭上遙かに遠ざかってゆく宇宙と等しく、揺るぎない

霧の松林から 黒金の森を抜け、 海底のデンドライトの森へ

2014年01月24日 | 絵画について
森は、古くから風景画の主題となってきた
漢字に如実に表されるように、森は木立や林でなく、視野いっぱいに
木々が立ち並んで、空間が閉ざされるような風景を形づくる
落葉樹の雑木林が殆どの日本では、木々をそのように描いた絵は
あまり見当たらないが、霧に巻かれた松林を間近から眺めた、
長谷川等伯 『松林図屏風』 (16世紀末、東京国立博物館) は、
森を内側から描いたイメージに近いかもしれない



間近な木々を見上げながら、閉ざされた空間の中で行きあぐねる、
という旅人に身を変じた、見る者の胸を過る寄る辺なさは、ここでは
太古の不安の明滅する、胎動にも似た淡い光を含んでいるようにも思われる

同じ頃、ドナウ派が描いていたドイツの黒い森は、森が下草や灌木の茂みや
樹木とその梢を這う蔦や苔、幾重にも重なり合い、絡まり合った木の葉の
穹窿から成り立っていることを、改めて教えてくれる
深い森では、立ち並ぶ木々の葉叢は、一つの大きな天蓋となって空を覆い、
下枝の落ちた幹の隙間から、木洩れ日や西日が差し込んで、
荘厳な柱廊のような光景が形づくられることもある



アルブレヒト・アルトドルファー 『聖ゲオルギウスのいる落葉樹の森』 Laubwald mit dem Heiligen Georg
(1510年 ミュンヘン、アルトピナコテーク) では、森は仄暗い光の脈打つ、
繊毛に覆われた胎内のような小部屋を形づくっている
驚いている馬のほうへ首を廻らす龍と、槍を脇に垂らしたまま見下ろす
聖人の、双方のあまりに小さく、ぼんやりした様子から、両者は
淡い光の中で暫し見つめあった後、伝説のようには闘うことなく、
それぞれの道を進んで森の両端に出る、という不思議な結末も思い浮かんでくる

ジョン・クロウリー 『ナイチンゲールは夜に歌う』
(浅倉久志 訳 早川書房)
NOVERTY (1989) 所収 『時の偉業』 には、
人々の全ての願望の果てにある、最後の変化を済ませ、もはや何一つ
変化するものが無くなった世界として、次のような風景が記されている

 けさも海中の森の夢から目覚めた ―― 人びともなく、事件もなく、
 ほかのどんなものもない夢。そこにあるのは、青白い葉むらの塊を
 どこまでもひろげた巨大な模樹石と、潮流のない海だけで、その海は
 明るく日のさす水面からまったく光の届かない海底へとしだいに暗さを
 ましている。そこには魚の群れ、それとも葉むらに棲む鳥の群れが
 いるらしく、ときたまなにかに驚いてかすかな騒ぎが起こる。
 それ以外はまったくの静寂。

このような光景は、言葉でしか描けないものなのかもしれず、それでも
この森を夢に見てみたいと思い、もしも本当に見てしまったら、
次に目を開くときには、その森の一枚の葉になっているに違いない、という気もする
視線の風にそよぎ、水底より文字の音色を空へ送る、言霊、かぎろひ、言の葉となって

蓬莱

2014年01月15日 | 散文詩
高みから見ると、その島は、飛んでいる鳥の翳のようでもある
但し、飛んでいる、その鳥にしか見えない
その鳥はいつも飛んでいた訳ではない
片翼の鳥だったから、飛ぶことを知らずに夢見ていただけで、
憶えている限りの昔から、暗い狭間の片隅に蹲って居た
島になる前の、鳥の夢。 鳥だった頃の、島の記憶

時折頭上に現れる、墨を流したような松の枝
遙か下に海を望む断崖。 岩壁で揺れている綱の端
触れず、そっと敲くような音

俄かに居眠りから醒め、呼ばれたのに間に合わずと
涙目で走り出て、一、二歩、脆くなった骨がまた割れて蹲る
横倒しになり、舞い広がった疎らな白髪
霧から棹差す舟が現れる。 崖の吊り棚から手を振る人影

風と波が礫に凍り逆巻く夕べ、これを最後と投げ入れた網に
後から後から魚が掛かり、止めることを知らず、
と話し掛ける。 もう往くか、と渡し守
やっと最後の一尾まで養い終えた。 おう来たか
松明を持ってうら若い妻が現れる。 御無事でしたか
燃え落ちて綱を切りませんでしたか。 大丈夫だから降りて御出で
綱を曳きましょう。 重過ぎる、それより降りて来て、見て御覧

手に松明を掲げたまま風の如く身は軽く、不思議とは覚えつつ
まあ本当に見事な七色の大きな魚が、おや次々身を躍らせ波間に消える
手を伸ばすと、いいんだ、と夫。 船頭が待って居る
朧な島が見えるだろう、これから二人で暮すんだ、魚は獲らなくていいんだ

何処ですか、目を凝らすと見える。 松に羽衣棚引く島影
鴇が、と妻。 入り日の海に

永いこと待って居たが、一緒になると一瞬のことだった
一声啼いて飛ぶと消えた。 その前の一瞬というものがあるのなら、
その永遠の狭間に島があるのが見えただろう
その鳥が飛ぶ時、その鳥にだけ見える永遠の島

『北越雪譜』 が開かれ、閉じられる。 何処からか片翼の鳥が出て来る
視野の隅に這い込んでしまうので、見えない
折節、見えない島に幽かな風が吹き、海が波立つ
居ない鳥が羽搏いて、啼くように。 海原を、翳が過ぎる

どの鳥も、いつかは飛ぶ。 夢は記憶。 比翼の鳥
夢が記憶を夢見、記憶は夢を憶う。 鳥が飛び、島が浮かぶ
朧な霧の海鏡、夢幻の空と無限の時の狭間に

淋しい場所で、よく知っている誰かが三輪車に乗っている

2014年01月15日 | 本について
彫刻家のスティーヴン・グレゴリーの作品は、どれもちょっと怖いが、
それは幼い頃、暗がりや、丸めた紙が開こうとして
屑籠の中で幽かな音を立てて動くのが、途轍もなく怖かった …
そういう、何処か心の奥の片隅で封印され、忘れ去られてしまった …
でも確かに無くなってはいない、記憶の古い箱に
触れられるような、怖さなのだ …

  Steven Gregory  One of us on a tricycle



初めて見た時、強烈に、こいつの話を聞いたことがある …
と思い、暫くしてから、その小説を想い出した

  オーガスト・ダーレス 『淋しい場所』 表題作 (1948)
 (国書刊行会 森広 雅子 訳 アーカム・ハウス叢書)

振り返った本棚の下の端に入れてあって、すぐに見つかったが、
短いのに、問題の箇所を探すのに時間がかかり、
結局、後ろから途中から最初から、全部読んでしまった
終りのほうに、こんな記述がある …

  … こいつは長いしっぽを引きずり、鱗に被われ、爪の生えた
   大きな足をした何かの仕業だ ―― しかもそいつには顔がない。

それから、最初のほうに、

  「何か見たかい?」 ジョニーがたずねる。
  「ううん、だけど音は聞いたよ」 わたしが答える。
  「ぼく、あいつにさわっちゃった」 思いつめた声でジョニーはささやく。
  「平たくてでっかい、爪の生えた足をしてた。
   いちばんいやらしい足ってなんの足だか知ってる?」
  「もちろんさ。臭くて黄色いスッポンの足だろ?」
  「そうだ。そいつだよ。 すごくいやらしくて、ぶよぶよしてて、
   とがった爪が生えてたっけ! 横目でちらっと見たんだけどさ」
  「顔は見たかい?」
  「顔なんてないんだよ。 嘘じゃない。 だから、よけいこわいんじゃないか!」
    ああ、そのおぞましい生き物ときたら ―― やつは動物でもなければ
   人間でもなく、淋しい場所に潜んで、餌を求めて夜な夜なうろつき、
   わたしたちが通りかかるのを待っている ―― 。
   こんなふうに、そいつはわたしたち二人の経験を糧に育っていった。
   そいつには、竜のような鱗と、長く太いしっぽがあることがわかった。
   どこからか火のように熱い息を吐くのだが、顔も口もなく、
   のどにはただ恐ろしい穴がぽっかり開いているばかり。
   大きさは象ほどもあったが、象みたいに人なつっこくはなかった。
   そいつは淋しい場所からよそへ行くことはなかった。
   そこがそいつの住処で、餌がやってくるのをそこでじっと待っている ――
   夜、淋しい場所を通りかかるうかつな子供たちを。

この淋しい場所に潜むものを、象のように人なつっこくして、
何か他のものを餌にして、暮らしていけるようにしたのが
one of us なのかもしれない …
たとえば、そのような恐怖を共感しつつ励まし合える友人や、
馬鹿にしたり叱りつけたりせずに耳を傾け、守ってくれる親や兄弟、
少し大きくなった若者たち、近所の大人やお年寄りの善意と見守る眼
などにくるまれた恐怖は、彼らを元の象の姿に戻し、それでも、
警告するような、その顔のない、ぽっかりと開いた喉の孔は
密かに忍び寄る音や、声なき恐怖の叫びに、耳を傾け、
吸い込んで消し去りながら、そのような恐怖は決して無くなることはないし、
見かけはもっと普通の姿をしていても、今も淋しい場所に潜んでいることを
拡声器のように … だが無音で … 発信しているのかもしれない …



one of us には、子どももいるようで、それでも葉の落ちた林の中、
陽の落ちた後で会うのは怖い …