hazar  言の葉の林を抜けて、有明の道  風の音

細々と書きためたまま放置していた散文を、少しずつ書き上げ、楽しみにしてくれていた母に届けたい

聲 ―― オフィーリア 異聞 ―― 補遺 (承前)

2018年02月20日 | 随想
神話や伝説や それらに基づく物語を読んでいると
結末や それへと向かう展開がどうにも釈然とせず
ほんとうは まったく違う話が隠れているのでは
と想われてくることがある

移動や征服に伴い 新たに出逢い 占有して獲得するに到った土地に
もともとあった地形や風土に根づいていた 神話や故事伝説は
さまざまな時点で征服した側の視点や伝統が幾重にも覆い被せられてゆき
当初の眞實や意図の片鱗すら伺い知れぬ
破壊や改変 逆行や転向からの統合の途を辿る

【女ハムレット】
昨春『女ハムレット(原題:Hamlet)』という 北欧の無声映画を観た
そこでは 国から離れた戦地で深手を負い
死に瀕している王の 自国の城で 妃が女児を出産
そこへ王 危篤の報せに 世継ぎなきまま王 逝去となれば
忽ち征服や騒乱を招くと 男児出産との使者を放ち 身の安全を図ろうとする

と その報せに 王が奇蹟的に回復
敵味方とも疲弊した戦いを中断 無事帰国の途につく
帰還の喜びに沸く民を前に 城では赤子は男児として育てられ
隠し続けられるも年頃となり
そのうち妃は 王にとってかわろうとする弟に巧みに唆され
王は亡きものに と 実際にそうだったとしても不思議はない展開に

想い起こされるのは 現代でも とりわけ紛争地域では
女性には生きるうえでの選択権がほとんどなく
男性の戦利品として意思尊厳を踏みにじられ
幼い頃から危険な妊娠出産で 命を落とされることも数知れず

【性同一性障害】
第二次世界大戦中 胎児だった男性に戦後多く性同一性障害が発症した
ドイツにおける研究の概要を読んだ記憶がある

そこでは母体が生命の危険の強い不安に曝されると 胎児と自らの生命維持のため
より安定性の高い女性へと胎児の性を変更し なんとか保持しようとする
ホルモンが大量に分泌され すでに男性としての身体が出來てきているのに
女性としての脳が形成されてしまう とあったことが印象に残っている

これは男児と定まった胎児を妊娠中の母体が
絶体絶命ともいうべき 大きな危機的状況下に置かれた場合に発動される
胎児を維持しようとし また そのために我が身を生かそうとする
体内の必死の救急救命活動であり

いつ止むとも知れぬ 空爆などの差し迫った危機を回避するには辛抱と運しかないが
それ以外には胎児も母体も問題がなく流産できず する理由もないうえに
その時点での流産は母子ともに死する危険が極端に高いためである

人類の危機と苦難に満ちた挑戦と闘争の歴史が 厳しい氷河期から
さまざまな迫害や戦争を経る中で ほとんど何の選択権もないまま
踏みにじられながらも生き延びた女性の体内で
そのような胎児期を過ごした男性は数多居たのではなかろうか

しかしながら そのことに光が投じられたのは ごく最近のことに過ぎない
差別と迫害の歴史の中で 男性であったとしても
もしも性同一性障害を負って生まれたなら
心と身体を引き裂かれたまま さらに自らを引き裂いて
隠しつづけるしか 生きる術がなかった

生きるとは 自らが自らであること 自由であることだとすれば
自らを自らでなくさなくば生きられぬ という選択は
もはや選択ではなく 死の宣告に等しい

しかも生まれる前に遡っての たれが選んだわけでもない その性に
生まれたことへの 歴史的社会的な否定であり 拒絶ではないか

【ハムレットと母】
おそらく十二 三才で両親に命ぜられるままに嫁入りし子を生んだ
ひとりぼっちの幼い母親が 戦地へ行ったきりの夫より少し若く
身近で機嫌を取る男に頼るようになり 言うがままにしていたら
いつの間にか夫は亡きものとされ 自分はその男の妻にされていた

そのような顛末を辿らされただけの母に対し
父を殺した叔父の片棒を担いだ不義不貞の極み
と罵るハムレットの眞意は いかなるものだったか

過剰に吐露されているかに見えて
言われなかったこと 隠されていること
ハムレットとともに 自らの心を深く覗き込み
見出さねばならぬ 眞實は なにか

自らも亡き父も己が関心事で手一杯で 母を放ったらかしにし
母の孤独や不安に想いを致すこともなく なんの愛情も関心も覺えなかった
ことへの 痛恨の自責の念

生まれながらに女性という 男性への捧げものとして育てられ
それゆえに叔父の言うなりになってしまった母の愚かさ 寄る辺なさ 哀れさ
に対する 自らをも含む男性一般への憤懣

かような社会を存続させ そこに君臨するため
父王を亡き者とされた 世継ぎの王子として
母を改心させ 叔父に復讐を遂げ 王国を取戻し 安泰なものとして維持する
という社会的 歴史的要求に屈する ことへの怒り

なによりも そのために いまだ形成されつつある 不確かだが
芸術と友と自然を愛する 自分自身であることを放擲しなければならぬこと

それ以外の選択肢がない
あるとしても 唯一の選択肢を進んで選び取り 遂行する
ことができず または失敗して
社会的 歴史的 また実際に 抹殺されるしかないことへの絶望

【アムレート】
ハムレットの元になったアイスランドを含む北欧の伝説に
「アムレート」という史実からの物語がある(Wikipedia アムレート

シェイクスピアが作り上げた物語と決定的に違うのが
アムレートは狂気を装い 亡き父の復讐を周到に計画 怪我一つせず容赦なく執行
後 機会を設けては人々の前でその顛末を逐一話して聴かせ
その正当性について 賛同と称賛を集める

さらにその最中 仇たる叔父の朋友ブリタニア王のもとで その王女と結婚
その後ブリタニア王その人の結婚申込みのため遣わされたスコットランド女王から
結婚を申込まれ これを受けてブリタニア王と戦うことになるも二人の妻を大切にし
最初の妻 王女との間には子を設けた

彼の死はその直後 デンマーク王(アムレートは その配下のユトランド総督の息子)亡きあと
その世継ぎとなった新王が亡き王の娘であるアムレートの母の財産を召し上げるなど
勝手放題に郷里を搾取侵害していたのを知り 急ぎ帰国して戦うも敗れ 命を落とす

アムレートの妻スコットランド女王は(夫アムレートのもう一人の妻ブリタニア王女の
息子を守るためか)進んで自らを戦利品として新デンマーク王のもとへ下った

かなり違う 違えている
アムレートは王子ではないが賢く 復讐は遂げ 賢妻二人に恵まれるも
故国で戦となれば運も尽き 妻子を遺し斃れ

アムレートの伴侶たる女性もシェイクスピア版との違いは著しく
まず二人居て それぞれに意気軒昂

かたや父ブリタニア王を裏切り 自分と結婚しているにもかかわらず
スコットランド女王の申込みを受け 伴侶とした夫アムレートに従い子を守り育てながら
夫やそのもう一人の妻である女王とともに生きようとするブリタニア王女

かたやアムレートの物語に絆され並み居る求婚者を撥ね退けながら
自らアムレートに結婚を申込み 彼の死後ブリタニア王女とその息子を守り
新デンマーク王に身を捧ぐため単身そのもとへ下るスコットランド女王

一方のシェイクスピア版では 主な女性は
ハムレットの母と 許嫁のような大臣の娘オフィーリア

マクベス夫人の前身かと想われるような
冷酷かと想えば情緒不安定 短慮で移り気な母と

ハムレットの錯乱の振りの影響を一身に受け
まるで感染する如く錯乱死を遂げる 幼き娘御オフィーリア

【タミフル】
まるでインフルエンザに罹って 処方されたタミフルによって
背後からの数を数える恐ろしい幻聴から逃れるため
高層階から飛び降り 亡くなられた子供たちのように

ほんとうに ご冥福を祈りつつ
この薬が日本ではまだ処方されていることに驚きを禁じ得ぬ
薬効よりも 強い精神および神経作用が見られることから
欧米ではすぐに全面禁止されたという

【山月記】
錯乱から虎になる『山月記』にしても 科挙に受かり詩人として生きようとした
男性が錯乱して虎となる理由
もとになった中国の故事伝説と中島 敦では全く異なっている

【水辺の樹木からの墜落からの溺死という事故】
アムレートとは明らかに違うハムレットの 若く過剰な独白に埋蔵された
自責の念と憤怒 怒りと絶望を想う裡

ハムレットは性同一性障害だったのではないか
と想われてくる一方で 同時に
オフィーリアとして亡くなったのは彼だったのではないか
と想われてくるのは

性同一性障害という
母体に迫る重大な危機から胎児を守ろうとする
懸命の努力から生じた後遺症が
心と身体の性別が異なるという
引き裂かれた自己に他ならぬからだろう

自らとして自由に生きたい と切に願い
どうしたらそうできるのか わからず苦しみ抜いた はずではないか

叔父に復讐するとかが問題なのではなく
そうした世間体やしがらみの中で 男子として 息子として 王子として
社会が望むように生きねばならぬ ハムレットとして あること 生きること が
自分に可能なのか 可能だとして それを ほんとうに自分は望むのか

しかしながら それを望まぬとしても ハムレットとして あらざるならば
それは 歴史的 社会的 身体的 死への道を独り歩むことに他ならぬのではないか

ハムレットとしてではなく自分自身としてありつづけ かつ生きるためには
どうすればよいのか 身分と名と性に拘束される ハムレットではなく

名もなき胎児であったとき 世界であった母とともに恐るべき危機を乗り越え
るために分裂せざるを得なかった自分自身として 生き抜き
いままた 母がその身を置いていた世界で この身に襲いかかる大いなる苦難を
もうひとりの自分自身と手を取り合い 乗り越えたい と願ったはずではないか

ただその時代と社会において それはどう考えても不可能で
その答えが 枝が折れる 問の重みで支えとなるものが耐え切れず
身の置き所が失われ 奈落の底へ墜ち 漸く安らぎを得る という
神ならぬ運命ならぬ あのとき 胎児の心と身体を引き裂いた
同じ自然の摂理であり恩寵であり慈悲だったのではないか

【ハムレットとオフィーリアの取違え】
シェイクスピアには 取違えによる紆余曲折の果てに
再発見し元に戻るという喜劇がある
想いもよらぬ体験が二人の縁 絆を深く結びつける

もしもここにも取違えに似たものが隠されていたら

男女の一卵性双生児に母体における重大な不安が引き金となる
先述の胎内危機管理が発動されたら
その後遺症を被るのは男児だけなのだ

知らぬままに寄り添いつつも すれ違う
互いの数奇な命運を一身に受けながら 鏡に映る鏡のように
いつの間にか 互いに互いの身代りとなり
相手の後ろ姿の向うに 自分自身が見えるような氣がするのだが
どちらもしかとは見てとれず 邊りは暗く鎖されてゆき
逃れる術もなく 別れゆくような 悲劇の取違えの狭間に
存在し得ぬ女性の心が 身体も失くし幽霊のように行き場なく 漂う

アムレートの ともに愛情深いが やや対照的ともいえる
二人の妻のどちらとも似ていないオフィーリアは
まるで彼女らの影のようで なんのために居るのか判然としない
つまり彼女は そこに居場所のない 存在し得ぬ者として
存在し 死に追いやられたのかも知れぬ

ゆえに ハムレットは 引き裂かれたもう一人の自分である彼女として 死に
彼女 オフィーリアもまた 引き裂かれたもう一人の自分であるハムレットとして
死ななくてはならなかったのではないか

彼女は それゆえ彼女の兄ではない男レアーティーズの妹ではなくなり
妹つまり彼女の死を悼む 実は彼女の兄ではない男レアーティーズは
彼女として死んだ 彼女の引き裂かれたもう一人の自分であり
彼女を死に追いやった男ハムレットと命を遣り取りしようとし
生きていた彼女を死に追いやった

それでもレアーティーズは その時代と歴史を体現した一人の男として
おそらく面目躍如 自己満足し絶命したように見える
まるで家族の約した夫のもとから逃げ出した姉妹を殺す兄弟のように
(殺せず その途中別な少女を絆されて助けたために裏切り行為で殺される弟
遺された幼い妹が姉の身代りとなり嫁ぐ やるせない映画を同じときに観た
Hisham Zaman ヒシャーム・ザマーン監督 雪が降る前に Before Snow Fall

【木からの墜落や水辺の事故で亡くなられた 歌手や画家のかたがた】
絵画や音楽を挙げた幾人かのかたがたは 水辺や木から墜ちるという
想いがけず不可思議な事故死を遂げられている

Hamlet Gonashvili(20 June 1928 - 25 July 1985) "the voice of Georgia"
といわれた名テナー 充溢した壮年期に自宅の庭の林檎の木より墜ち亡くなる

Thomas John "Tom" Thomson (5 August 1877 – 8 July 1917) カナダの画家
独りでカヌーを漕いで カヌー湖(四枚目の絵)をめぐる旅に出かけ
行方不明となり八日後 遺体が発見される

イーディス・ホールデン(Edith Blackwell Holden 1871 – 1920年 3月15日)
英国の動・植物画および挿絵画家
キューガーデンの遊歩道近く テムズ川の澱みで溺れているところを発見される
テムズ川沿いへ大学のボート部の練習を見に行く と夫に話していたという
死因調査の結果 花芽をつけた栗の木の枝へ 手を伸ばそうとしていたのではないか
枝に手が届かず 傘で引き寄せて折ろうとして川に落ち 溺れたのではないかとされた

【最初のイメージ】
あまりにもオフィーリアと重なる 場所と仕草の裡に突然の死を迎えた
最後に挙げた植物画家の女性が 黄泉の国へ向かう途上
自転車に乗って廃墟の庭園を通りかかる
そこで なにかを想い出そうとするように草花を探しながら
耳に毒を流し込まれて死んだ ハムレットの父ハムレット王の霊魂の宿る彫像の聲をきく
というシーンが 四半世紀も昔 心をよぎったのが 始まり

【蝸牛管】
耳に毒を流し込まれたというのが 記憶違いか 確かめていないが
毒に覆われ死に瀕しながら もう一つの耳(の蝸牛管)に逃げるように伝える 蝸牛管
というイメージも 最初のイメージと同時にあり

蝸牛管については まだ謎の部分が多く
外側は硬い殻に覆われ 内側はリンパ液で満たされていること
蝸牛管自体が音を出している ことは

松果体が 目と同様に最初期には二つあり
そのうちの一つが頭頂の第三の目だった
という進化の過程の記憶を再現した後 消滅するのと同様

非常な驚きで いつか その話を書きたかった

Wikipedia 蝸牛 より)
蝸牛管の内部は、リンパ液で満たされている。
鼓膜そして耳小骨を経た振動はこのリンパを介して
蝸牛管内部にある基底膜 (basilar membrane) に伝わり、
最終的に蝸牛神経を通じて中枢神経に情報を送る。
解剖学的な知見に基づいた蝸牛の仕組みについての説明は19世紀から行われてきたが、
蝸牛が硬い殻に覆われているため実験的な検証は困難であった。
1980年代ごろよりようやく生体外での実験が本格化したものの、
その詳細な機構や機能については依然謎に包まれた部分がある。

ヒトの蝸牛はおよそ 2 巻半ほどに渦巻いた骨で覆われた
閉じた管を形成しており、管を伸ばせば長さはおよそ 3 cm ほど、
中耳側の基部の太さはおよそ 2mm ほどである。
蝸牛内部は渦巻く方向に沿って膜で仕切られた 3 つの区画、前庭階 (scala vestibuli)、
中央階 (scala media)、鼓室階 (scala tympani) からなっている。
このうち、前庭階と鼓室階は蝸牛管の先端にあたる頂部でつながっており、
共に外リンパ (perilymph) で満たされている。
対して、中央階はイオンの能動輸送 (active transport) によって
カリウム・イオンに富んだ内リンパ (endolymph) で満たされている。
そのうえ、中央階は外リンパよりも相対的に 80 mV ほど高い電位を保っている。

内有毛細胞が振動の情報を神経パルスへと変換する一次感覚受容器である。
蝸牛のラセン状の中心軸である蝸牛軸 (modiolus) には数多くの蝸牛神経節
(ラセン神経節、spiral ganglion)があって、内有毛細胞とシナプス結合を形成している。
これらの神経細胞の軸索は蝸牛神経 (cochlear nerve) を形成し
延髄と橋にまたがるいくつかの蝸牛核 (cochlear nuclei) へと投射する。
興味深いことに、内有毛細胞より数の上ではるかに勝る外有毛細胞は
逆に延髄のオリーブ (olive) から遠心性の神経繊維を受け取っている。

[耳音響放射]
通常、感覚器官とは外界の刺激を受動的に受け取り中枢神経へと伝達するものであるが、
蝸牛増幅器の概念はこの見方を覆すものであった。
実際、1978年にイギリスのケンプによって蝸牛が音を受動的に知覚するだけでなく、
自ら小さな音をたてていることが明らかとなっていた。
これは何の刺激がないときにも、外部からの刺激への反応としても現れ、
耳音響放射 (じおんきょうほうしゃ、otoacoustic emission, OAE) と呼ばれている。
適切な周波数の違いを持つ 2 種の純音を重ね合わせた刺激に対しては、
それらとは別の周波数に非線形の効果による反応が表れることも明らかになっており、
これは特に新生児に対する聴覚検査として臨床上も有用である。
この耳音響放射も蝸牛増幅器の活動によるものであると考えられている。

【松果体】
脳の断面図における 松果体を表す とされる ホルスの目
絶対収束する幾何級数 を表しているとされる

ホルスは オシリスの息子で
オシリスの弟セトに殺されたオシリスの復讐を遂げる
際 左目を失う

この目は世界を旅して あらゆるものを見 叡智を貯え
月に癒やされ ホルスの左の眼窩に戻り
オシリスに捧げられた

Wikipedia 松果体 より)
[動物の進化における松果体]
発生過程を見れば、松果体は頭頂眼と源を一にする器官である。
まず頭頂眼について説明する。

脊椎動物の祖先は水中を生息圏として中枢神経系を源とする視覚を得る感覚器に
外側眼と頭頂眼を備えていた。
外側眼は頭部左右の2つであり現在の通常の脊椎動物の両眼にあたる。
頭頂眼は頭部の上部に位置していた。初期の脊椎動物の祖先は頭部の中枢神経系で、
つまり今では脳に相当する部分に隣接して存在したこれら左右と頂部の視覚器官を用いて
皮膚などを透かして外界を感知していたが、皮膚の透明度が失われたり
強固な頭骨が発達するのに応じて外側眼は体表面側へと移動した。
また、外側眼が明暗を感知するだけの原始的なものから鮮明な像を感知できるまで
次第に高度化したのに対して、頭頂眼はほとんど大きな変化を起こさず、
明暗を感知する程度の能力にとどまり、位置も大脳に付随したままでいた。
やがて原因は不明ながら三畳紀を境にこの頭頂眼は退化して
ほとんどの種では消失してしまった。
現在の脊椎動物ではヤツメウナギ類やカナヘビといったトカゲ類の一部でのみ
この頭頂眼の存在が見出せる。

受精後に胚から成長する過程である動物の発生過程では、動物共通の形態の変化が見られるが、
この過程で頭頂眼となる眼の元は間脳胞から上方へと伸び上がる。
この「眼の元」は元々は左右2つが並んで存在するが、狭い間脳胞に生じたこれらは
やがて前後に並んで成長する。2つあるうちの片方が松果体となり、
残る片方はある種の爬虫類では頭頂眼となるかまたはほとんどの種では消失してしまう。

[機能]
松果体は虫垂のように、大きな器官の痕跡器官と考えられていた。
松果体にメラトニンの生成機能があり、概日リズムを制御していることを
科学者が発見したのは1960年代である。
メラトニンはアミノ酸の1種トリプトファンから合成されるもので、
中枢神経系では概日リズム以外の機能もある。
メラトニンの生産は、光の暗さによって刺激され、明るさによって抑制される。
網膜は光を検出し、視交叉上核(SCN)に直接信号を伝える。
神経線維はSCNから室傍核(PVN)に信号を伝え、室傍核は周期的な信号を脊髄に伝え、
交感システムを経由して上頚神経節(SCG)に伝える。そこから松果体に信号が伝わる。

松果体は子供では大きいのに対して、思春期になると縮小し、メラトニンの生合成量も減少する。
性機能の発達の調節、冬眠、新陳代謝、季節による繁殖に大きな役割を果たしているようである。
子供の豊富なメラトニンの量は性成熟を抑制していると考えられ、
小児に発生した松果体腫瘍は性的な早熟をもたらす。

【イアン・マキューアン 『未成年』】
イアン・マキューアンは すばらしい
とくに これは

女性の判事が出てくるが 彼女の年齢はいまの私とほぼ同じだ
彼女はピアニストでもある 声もすばらしいことが後でわかる

片方が片方に依存しており 脳も臓器もなく 依存されている方に負担がかかり
死に瀕したシャム双生児の 脳と臓器のある方を分離することで
何もせず双方を死なすよりも 一方を救い生かす手術に
信仰の篤い両親が反対しているため 医療機関が緊急提訴した
裁判を担当し 見事な判決で 分離手術を成功させ 一命を救ったが
その失われた命の 脳も臓器もない腫れ上がった顔が
物言わず悲しげに見つめる夢を しばらくの間見ていた
が 誰にも言わず 黙々と優れた判決を出しつづけ
多くの子どもを救いながら 人知れず立ち直ってゆく のが
出だしで語られる

彼女がいましも担当するのが エホバの証人の夫婦の一人息子で
急性の白血病にかかり 抗がん剤四種を使えば ほぼ間違いなく寛解できるが
それには輸血が必要であり これに まもなく成人に達する本人と 両親が反対し
二種の抗がん剤のみの治療でも貧血が生命を脅かす状況となり 医療機関が緊急提訴したもので
このとき彼女は 双方の言い分を聴いて 本人が若年ながら正しく情報を認識したうえで
医療行為を拒否する権利を備えていることを確認するため 病院へ赴き少年と話した後
深夜 ほんとうに深く優れた判決を下し 輸血による治療を認め 少年は完治する

彼女はその信仰に敬意を払い 少年の知性を認めながらも その信仰を持つ両親のもとで
育てられ その影響を受けざるを得ず その考えが 彼自身の考えであるということに
疑問を抱かざるを得ないこと そしてなによりも少年の福利が最優先されねばならないこと
少年の福利とは 生きて いま興味を抱いているすべてのことを すること
彼の信仰は 彼の福利に敵対するものとなっていること この信仰から輸血による治療を
拒む権利は 少年の福利が最優先されねばならぬゆえに 認められない
少年の福利は 彼自身からも 守られねばならない と明言する

この判決で 治療は粛々と行われ エホバの証人は 本人たちの決死の覚悟を以て
一家を破門することなく 両親は愛する息子を罪なくして救えることに涙にむせび
完治した息子は自分の愚かさと信仰のあまりの手前勝手さに悲憤慷慨し 判事に心酔する

まだ読み終わっておらず いつまでも読んでいたいが
この少年は詩を書いており ヴァイオリンも習い始めていて
判事は 自分もピアノでよく弾く民謡を 少年が弾くのを聴き
その調を正しつつ 歌詞があることを知っているか と言って
少年の伴奏で唄う 楽に生きてほしいと彼女は言った
だが私は若く愚かだった いま私は後悔している と

その少し前 判事は自分も若い頃に書いた詩があるのを想い出す
それは 水の中を草花と一緒にまわりながら溺れてゆくというもので
少女の頃 学校でテート・ギャラリーに行き あの有名なオフィーリアの
絵に魅せられて書いた と


ジョン・エヴァレット・ミレー John Everett Millais オフィーリア Ophelia 1851-1852
油彩 キャンバス Oil on Canvas 76.2×111.8cm テート・ブリテン ロンドン Tate Britain

これは 私が最善を尽くしていない ということだと想える

マキューアンの判事は 一瞬で本質を見抜き 必要最小限のわかりやすい言葉で
最も大切なことを端的かつ丁寧に伝えている
時間内に 短く
それでいて何もおろそかにせず 感情に流されることなく

それは心を打ち 美しく いつまでも残り 支えてくれる
最善の翻訳を引き出し あらゆる言語で正しく理解される

伝えたいことがあるならば 相応しい表現があるはずだ
一生かかっても そういうものを目指したい

判事の草稿は 膨大な資料と判例集が頭の中で整理され
完成したものとほとんど変わらないようにみえる

絵画には ほとんどの場合 数多の草稿 構想 素描がある
構想を練るにはそれらが必要だが
それらをただ並べただけでは絵画にならぬ

伝えたいことがあり
構想を練ったなら それに基づいて新たに描く
それをしない臆病な怠け者になって
人様に不出来なものを見ていただいて あるべき姿を読み取ってもらい
自分は人様のすぐれた本を読み 絵画や映画を観て楽しんでいる
そんな資格はないはずだ

まずこれから書き直します
ほんとうにありがとうございました
どうか御力を御貸しいただけますよう希い上げ奉ります

聲 ―― オフィーリア 異聞 ――

2018年02月02日 | 散文詩

「ハムレットの 御父上 ですか」
と きくと 目と眼鏡の間を きら と なにか よぎった

素足の裏から きこえた 水底 深き音域は 「ハムレット」 と だけ
それは 父の名で 子の名 「ハムレットの 父は ハムレット」
という 應(いら)へ だった かもしれぬ

  「」は「応」の 正字
  「心」+ 音符「䧹」で 会意 形聲する
  「䧹」は「鷹」の 原字  人が 大鳥を しっかりと 抱きかかえる(「擁」)さま
  そのように しっかり受け止める 意

埋葬された ところは 少し離れている けれども
昏く 冷たい波に 呑み込まれなかった ほう の 蝸牛
「ここから出るんだ いま すぐ」
と 垂れこめた オーロラに 半ば とざされた
夢の 向う岸より 響き渡った 聲に からくも 逃れ出て

それきり 失われた 雙子の兄弟を探し
まだ この邊りに 居る かもしれぬ

  「 」は「双」の 正字
  「隹」は 鳥の形 「雔」は 二羽の 相対する形 「又」は 手
  一羽を 手に持つ のが「隻」 二羽を 手に持つ のが「雙」
  二羽一つがいの鳥を 手で持つこと から 二物にして 一対となるもの を表す
  その 鳥占(とりうら) により 獄訟を決する のが「讐(讎)」

兄弟と 一緒に居たのは 遙かな昔
この洞窟の奥の 温かな砂洲で
背に乗せてくれた 海馬 の すべすべした首を撫でながら
松果体 の 明滅する 話を 聴いていた頃

すべてが二つで 手をとり合う中
松果体は とても早くに その兄弟を 失った と

狭い 洞窟で ともに育つ うち
ひとりは 遙かに 天を目指し 浮かび上り 脳漿 の海から外へ
青い光の中へ 出てゆき やがて とけ去った
泡のように

兄弟が 最後に見たものは いまも 松果体を 森閑とさせる
青い 青い光

帰り道 考え込んだまま 現れては消える 曲り角を通り抜け
ふと気づくと 独りきりの小部屋に居て 振り返ると
背が 壁につき もう どこへも行けなかった

近くて遠い どこかで 同じように 洞窟に埋もれた
雙子の兄弟とは それきり ずっと 別れたまま
互いに 聲だけが 聴こえていた オーロラが 降り 閃く までは


重なり合った 雲の底で 罅割れるような 光が走った
うねうねと つづく徑に 片足をつき
眩暈のする高みへ昇ってゆく 逆光の翼を見つめた

下では 矢のように 低く 数羽が交錯していた
「見つけた」 と 草々まで 囁いている氣がした

自転車の翳が 引き伸ばされながら 這い込んでくる
ふいに 向きを変え 扉に散った
淡い青が 血のように揺れ やまなかった

ゆがんだフレームは 海馬に 戻ろう と するかのように
暗がりで 静電気を帯び かすかな電場を放つ
弟に ばらまかれた オシリス
身体の一部を 呑み込んだ の 昏迷が
凍りかけた 泡のように 出口を探し 蠢く

妹と結ばれ 弟に殺される オシリスの
弟の嫁は もう一人の妹で
彼らは ふたりずつ居て
母が天空 父が大地であるように
生命と 死の世界を分け持ち 平和だった

爭いの神話は 後の世に 生み出された

  「」は「争」の 正字  会意
  ひとりの 手「爫(< 爪)」と もうひとりの 手「ヨ」が
  なにか「亅」を つかんで 反対に 引っぱり合う さま

オシリスから順に 生まれるとき
先に生まれんとして 子宮を破り 脇腹から生まれた
という 弟は 間に合わなかった が
理不尽な災害を起こす 力は 極端に強い とされ
軍神として 崇め奉られた

われ こそ
われ のみ 力を支配せん と
策略を廻らし 眞実を捻じ曲げ
新たな神話を 縒り出そう と
妬み 爭う心は なぜ 生まれるのか

けたたましい音がして 古びたガラスが割れる
骨のように いびつな 濁った氷の塊が
あちこちに跳ね 足先へ転がってきた

手に取ると ひどく ゆっくりと溶ける
空の高みの 目のように
なにも映っていない 水の匂いがした

石段を下りると 笹が茂り立ち
水溜りに 穴だらけの葉が群れている
花は一つも ない

ぶぅーん と音がして 見上げると
あちこちから 黒ずんだ 蔦が 降りてくる
よく見ると 濃い煙の塊りで
先で 目を とじた顔が 昏く
空洞になった口を 開けている

耳を近づければ なにか きこえるだろうか
無音で繰り返された 光景が
壁を覆い 枯れ 頽れた後も 反響している のが
カブトガニ の 血
ヘモグロビン に含まれる 鉄一つ ではなく
銅二つ で 酸素を運ぶ ヘモシアニン
シアン 淡い 青

それは 細菌内毒素と反応し 汚染されると凝固
ゲル状となり それを封じ込める
その感度は ppt(一兆分の一)

その血を 三〇%も抜いて
ワクチン 等の 汚染試験 に 用いられる という
海に返される というが その死亡率も 三〇%

血を抜かれた カブトガニが
溺れながら 必死で 泳いでゆく 昏い海
深い波間

探していたのは 昨日見かけた 小さな蝸牛の殻だ
水溜りの脇の 苔生した丸石に くっついていた

苔の宇宙を ゆっくりと旅するクマムシの
手首の邊りが 綻びている

蝸牛の殻の表面や 瀕死のカブトガニの傍らを
漂っていた 目が翳り 顧みて
やがて 針のような爪と 一すじの糸が
縁で きらめき 繕いはじめる

「こんなで 出かけては だめでしょ」
という呟きが 脇腹のどこかで きこえ
クマムシは その邊りを眺めるが
綻びが 直っていくのには 気づかぬ

蝸牛の殻の中は しづまり返っている
邊り一面 ニュートリノ が降り注ぐ
宇宙は 退き 寄す 音楽に満ちている
響きは 波へ合わさり いつまでも やまぬ

近々と寄せる 音の狭間を潜り 遙かな彼方から
きらめく記憶が 傍らで 大気と水と光を紡ぎ
ほつれを直す
治らぬときは 手で さすり 覆い
留まる 唄を 呟きながら

蝸牛の殻から 一つづきの ニュートリノの波が
子守唄に ひき寄せられる 星座のように
連なり 流れ來る
トム・トムソン Tom Thomson カヌー湖 Canoe Lake   
Spring 1914 年 春 Oil on wood 21.5 × 26.6 cm   

初めて ここで出逢ったとき 「探しに 來られたか」 と きかれ
「なにを ですか」 と 言おう と した のに
「いや 見つけられに」 と

宮廷で遠く 人垣越しに見た頃と ずいぶん違って見える
悪戯書きされた 眼鏡は 重宝している とのことで
消すには及ばぬ と

壁にも 同じ 悪戯書きがある
丸石の向う 溶けた蝋の川の上 小さな跳ね橋の絵が
リアルト橋 悪魔に憑かれた者が 奇蹟的に治癒した ところ

長靴のように 渡る人の足ばかりが 残っている
「残りの部分は どこへ行ったのか」 と 言っていた
「渡ったきり 戻って來なかったか」

オフィーリアと ハムレットは 雙子だった かもしれぬ

オフィーリア の ほうが 後から生まれ
姉だが 女だから こっそり養子に出される
なんでも押し頂く 大臣のもとへ
幼い頃から ともに 勉強し 剣術を習う

姉のほうが よくできて 弟は やる気が無い 実は
性同一性障害 試合や試験に臨み
せがんで服を取換え 入れ替っても
気づかれず 姉は ここぞとばかり
日頃 控えさせられていた 力と素早さを発揮
若者たちを倒す のが 痛快で
進んで つき合うものの
性同一性障害 では ない

母は 上の空 だが 父は
ハムレットの していることに 気づく
母は 雙子だったことを 知っている のに
忘れ 想い出さず 父は 知らず
母は 時折 深い昏迷に陥る
父子の間に 軋轢が生ずる

そのさなか 父は殺害され ハムレットは
もう抑えつけられることが なくなり
ほっとしている自分に 気づく
が 気が咎め 亡霊に復讐するよう迫られる
夢幻を見るようになり 錯乱してゆく

最後だから と 姉とは知らず 弟は
弟とは知らぬ 姉に 頼み込み
長き裳裾に身を包み 川邊を彷徨う
墓を想い 花を摘みながら 枝に登る

川面に映る 昏い面輪
ふと 自分は いったい なにもの なのか
なぜ こんなことを しているのか
これからも なお 父の名を継ぐ 王子として
父の 後釜に座った 叔父に
脅され 馬鹿にされ 抑えつけられ
つづけねば ならぬのか

“To be or not to be, that is the question.”
「ハムレットであるか ハムレットであらざるか
 それが 問いだ」
自らへの 母への 神への

Tchaikovsky - Hamlet Overture (Valery Gergiev) 2/2

ピエトロ・ペルジーノ Pietro Perugino 青年の肖像 1495 板に油彩
oil on panel 37×26 cm ウフィツィ美術館蔵 Galleria degli Uffizi, Firenze

重すぎる もう支えられぬ

どちらにも 應へは なく
大きすぎる鳥は 羽搏き
振り落とされ 永遠に落下しつづけるか
喰らいついて來て 目を抉り出され
顔を失い 聲も出ぬ

涙が頬を傳い 腹這いになっていた
枝を締めつけ 動かず 身悶える

そのとき 木に登ったこともなく
泳ぎもできぬ 不器用な身体の下で
枝が折れる

己が死体が 揚がったとき
王子の衣の中に居た オフィーリアは
よそよそしかった兄の 狂ったような
憎しみの眼差しに 凍りつく

これから ずっと
ハムレットで 居なければ ならぬ
死ぬまで 兄に つけ狙われ

死んだのが 弟で
自分を殺そうとしているのが 兄でない
ことを知らず 進退窮まる

決闘に臨み 兄を殺さぬよう 逃げ回るも
傷つき 防戦する際 つい 致死の一撃を 放つ
斃れた兄の口から 血と憎しみの言葉が
溢れる裡にも 傷ついた脇腹が 痺れ
母は なおも 上の空のまま 毒盃を呷り

もはや わが身が たれであろうと
邊り一面に 死の幕が降りつつあり

それは 妙なる とは言い難い が
胸を切り裂いて 垂れ込める オーロラの下
冷たく 青昏い 水底へと沈んでゆく
数多の カブトガニや
あんなにも遠かった 頭頂で
目を ひらきかけ 頽れる
もう一つの 松果体の
ため息に 重なる

たれにも聴こえぬ
たぶん 死者と
小さき者だけに 聴こえる
かもしれぬ
ニュートリノの唄が
棚引き 霞んでゆく 薄青い血を
震わせながら 響く

マグヌス・ヴァイデマン Magnus Weidemann 写真 photograph   

いつも そこで開けてくれる 扉を見つめ 言った
「言伝てを 頼みたい 旅の途上で はぐれた魂に」
 「先に ゆく」
 「いつも 聲の中に居る」
 「いつも ずっと そうだったように」

魂は 無我夢中で
下になっていた耳から 毀れ出
崩れ落つ 洞窟に 記憶を残したまま
苔の楽園に 迷い込んでしまった と

目の前の 罅割れを渡る
蔓を 小さな蝸牛が這っていた
淡く かがやく軌跡を 曳きながら

どこかで クマムシが
時間の狭間を ゆっくりと遊泳していて
ニュートリノの唄が 爪の先で跳ねる のを 見る
カブトガニの鼓動が ゆっくりになり
苦しみは 消えゆく

消えた松果体の兄弟は
目の遺伝子となって ニュートリノに宿る
兄弟の見るものは あなたにも見える
あなたの目の後ろ
奥深くの狭い洞穴に遺された
兄弟の 松果体に浮かぶ
夜 ささなみ立つ 鏡の水面に

聲は あなたの蝸牛の中から 聴こえる
それは あなたの中で 母の
微笑みと唄になる 父の
ざわめきになる 母の
翳ときらめきになる 父の
闇と炎になる

永遠は どこに かかっているのだろう
それは 橋のように 渡れるだろうか
そこを渡ると 足を残し
どこへ往く のか
降り注ぐ 羽毛のような
囁く波に 運ばれ

マグヌス・ヴァイデマン Magnus Weidemann オクシタニア地方 ベズ o.Bez  
1954年 12.5×9.5cm 水彩 スケッチ watercolour sketch  

ハムレットの父上は 記憶の胸像 かもしれぬ
朽ち寂れた庭園で
待って居る 遠ざかりながら
失われた 手を どこまでも 差しのべ

きらめく水滴の中 蝸牛が
澹として 永遠を 渡る間

眼鏡の彫像が なくなってから
荒れ果てた庭園を 当てどなく歩く
鶺鴒を 幾度も見かけた

それは さまよう 言伝て かもしれぬ
ニュートリノの唄の中に 紛れ込んだ
古の子守唄に のって

失われゆく姿 を 映す川面で 劫初から
淵を渡る 風に 攫われた かもしれぬ
自ら進んで ふたりの裡 ひとりが
昏い波間を転がり 朧に きらめく光の裡へ

ささなみ いつしか消え
太古の彼方より のぞき込む 月に
砕けた眼鏡の弦が 一すじの道のように
光っていたので
蝸牛は 聲を 見出したのかもしれぬ

闇の舌が 頭蓋の裡の迷宮を
捜し回っていた間

闇の舌は ここまで やって來た
高き雲と 数多の雹と なって

薔薇窓が 砕けながら落ちてきたとき
水溜りに飛び込んで
蝸牛の殻がついていた 丸石を覆った
潰さぬよう そっと

ガラスの後から 雹が落ちてきた
それから 星と風が

切り裂かれた花々が どこか
別の次元から 数多
投げ込まれる 墓の底の ように

Jennifer Higdon - Lullaby        

トム・トムソン Tom Thomson Fishing in Algonquin Park

しばらくして 反転すると
邊りは 闇に包まれていた
かすかに白く
柔らかで 温かな闇に

いってしまった
屋根や窓だったところから 無数の星が見えた
痺れかけた手を ひらいて 蝸牛の殻を 胸に落とした
それは夜通し 飛び飛びの鼓動に乗り
同じ胸骨の間で 少しずつ動いた

目をとじて また ひらくと
星がすっかり つながって見えた
天の川

凍るような夜が明けると 雹が溶けて
水が溢れ 川となり 流れていった

蝸牛を抱いたまま 水中に棚引く
花々の下を回りながら
水底へ 足を振り捨て
長い 帰還の旅のはじまり に
すべての息を吐き 唄う 囁く 默(もだ)す

泥のこびりついた頭蓋骨
手にとったとき どうして
わからなかったのだろう
ずっと そばに居た

息子は 娘と雙子で
ひとりしか生れなかった かもしれぬ
あるいは ひとりも
父は XXY だった かもしれぬ

だから たれの子でもなく
生れる前に 別れてゆく
数多の雙子

鏡の水面から 手を差しのべ 遠ざかる翳
身体が斃れると 手に手をとって 逃げ出した
倒れた椅子や 砕けた盞の欠片
いくつもの 右往左往する 靴の間を
ゆっくりと縫って

まもなく 永遠に つづく軌道に入る
天の川を渡ってゆく 星々と
その下を飛びながら 橋掛ける翼
滑らかな背と首
ゆっくりと進む音が かすかに
笹を揺らす 風に乗り
きこえる かもしれぬ

トム・トムソン Tom Thomson 風の夕暮れ Windy Evening summer 1914年 夏

薄く波紋を広げ 月光が窓邊に波立つ
なにか ばらばらと出てゆく
メラトニン の 分子結合のようなもの

透明な中に 仄赤い柘榴の粒と
かすかに青く翳った 柔らかな窪み
ひよめく羽搏きと きこえぬ囀り

たれかが 裾を長く曳きずり
水邊へ降りていった
泣きながら笑う ような
月が 雲の翳から 波間へ顔を背け
昏い枝で揺れているのを 手折ろうと
裾が縺れ 滑って

昏く まるで目と鼻の先に 壁が あるよう
それとも 胸の奥 頭の中に

海馬から松果体への 階段の
踊り場の天井 附近
大き過ぎる 抜け殻のような 青白い翳が
夜の 入道雲の 夢のように
内側で 雷を ゆっくり轟かせる

ほつれ破れた裾を捲り 覗いてみる
なにも 居らぬかに見え
だが ひっそりと 奥に居る
そっぽを 向いているようで
片目だけで

きらめく眸は 瞬きもせず
音と光を吸い込んで 色を吐く
しづけさの波紋
仄かな白に縁取られた 灰色
遺伝子の鳥たちが
かすかに羽毛を逆立て 膨らませている

月の光を浴びて 透き通り
逞しい脚が見える 振り返ると
布を透かし こちらを見つめる目が
入れ替わっている

霧に翳った 鏡の奥
のように どこまでも たわんだ枯木に
細い月明りが 一つ ゆらめき灯っている

夜半から深更までの どこかで
鳥たちが呟く声を聴いた
ためらう 息のような気配
かさこそ と 脚を踏み替える音

時の巻きひげから 長い一しずくが
滴りそうになって また凍りつく
明け方近く

時の澹から伸びた
巻きひげの か細い先が
赤錆びた 鉄塔の裾へ
撒きつこうとしている
水底深く 立つ 銅の塔の
青い かがやき

沈む 新月
細く開いたクレバスから
遙か氷河の青い 青い底深く
Jennifer Higdon - Legacy        

イーディス・ホールデン Edith Holden (1871 – 15 March 1920)

いっせいに 飛び立つ音

すると 失われた 兄弟が 佇んでいる
ひっそりと 翳も無く
あるいは 翳だけで かすかに息を呑み
吐息を洩らす 氷河の奥の 反映のように
海の底の 鏡のように 聲が きらめく

綻びし 袖縢る糸 棚引きて
母のしづけき 気配する朝
古き岸邊 新たな遺伝子の鳥たちが
やって來る かすかな 囀り

わたしたちは 変われるだろうか
いつか 遙かな記憶の 潮汐の裡に
見つめ合う 目に すべてが重なり合った
同じ ひとつの命が 宿っている ように

涕し 笑い 唄い 默す 聲が 数多
同じ ひとつの響きへ 和してゆく ように
ひとりで ふたりの
数多の 全き命を 生きる ように