また ここまで來た
佇(たたず)んだまま 風に吹かれ
鈍色(にびいろ)に 光傾(かし)ぐ 瀨
探していたものに 出會(でくわ)しそうな 夕
探させられなければ 知ることのなかった 心
暮れなずむ水に映る
蘆(ヨシ)の連なり靡(なび)く蔭
散りぼふ 小さき花白く
囁(ささや)き聲(こゑ)で絶え間なく 口誦(くちづさ)む
日暮れとともに止みて 合掌(がっしょう)
仄(ほの)めく灯明包み
泡翳(かげ)鏤(ちりば)む水紋 挿頭(かざ)し 莟(つぼ)む
忘却を希(こひねが)ふ音色 消え果つ 奥つ城(き)
鏡の裡(うち)なる顔(かんばせ)が 渦巻く髪の蔭
泣き崩(くづ)れ
水底(みなそこ)の沙(すな)
昇らぬ日と月 沈み煌(きらめ)く 夢の破片
涙 目覺(めさ)め 風と波 翳(かす)め響(とよ)み
惑(まど)ひつつ辿(たど)る 月へ戻る橋
佇(たたず)んだまま 風に吹かれ
鈍色(にびいろ)に 光傾(かし)ぐ 瀨
探していたものに 出會(でくわ)しそうな 夕
探させられなければ 知ることのなかった 心
暮れなずむ水に映る
蘆(ヨシ)の連なり靡(なび)く蔭
散りぼふ 小さき花白く
囁(ささや)き聲(こゑ)で絶え間なく 口誦(くちづさ)む
日暮れとともに止みて 合掌(がっしょう)
仄(ほの)めく灯明包み
泡翳(かげ)鏤(ちりば)む水紋 挿頭(かざ)し 莟(つぼ)む
忘却を希(こひねが)ふ音色 消え果つ 奥つ城(き)
鏡の裡(うち)なる顔(かんばせ)が 渦巻く髪の蔭
泣き崩(くづ)れ
水底(みなそこ)の沙(すな)
昇らぬ日と月 沈み煌(きらめ)く 夢の破片
涙 目覺(めさ)め 風と波 翳(かす)め響(とよ)み
惑(まど)ひつつ辿(たど)る 月へ戻る橋
月より日へ帰る道
水に浸(ひた)ったままの蹄(ひづめ)
廻(めぐ)る白毛が かすかに戰(そよ)ぐ
水面(みなも)に滑り広がる 山の端(は)
透き融(とほ)る月の瞼(まぶた)より伝ふ 陸離 空白の橋
觸(ふ)れている間 流れは限りなく遲(おそ)く 遲(おそ)くなる
蒼き翳(かげ)搖(ゆ)らめく波間
月白(げっぱく)の橋 渡り 古(いにしへ)の夢 消えて還(かへ)る
遙(はる)かに望む 時の螺旋(らせん)の彼方(かなた)
薄光注ぎ 蒼き翳(かげ)差す 同じ心に湧き出(い)で
Amalgamation Choir - Ksenitia tou Erota(Giorgos Kalogirou)
水に浸(ひた)ったままの蹄(ひづめ)
廻(めぐ)る白毛が かすかに戰(そよ)ぐ
水面(みなも)に滑り広がる 山の端(は)
透き融(とほ)る月の瞼(まぶた)より伝ふ 陸離 空白の橋
觸(ふ)れている間 流れは限りなく遲(おそ)く 遲(おそ)くなる
蒼き翳(かげ)搖(ゆ)らめく波間
月白(げっぱく)の橋 渡り 古(いにしへ)の夢 消えて還(かへ)る
遙(はる)かに望む 時の螺旋(らせん)の彼方(かなた)
薄光注ぎ 蒼き翳(かげ)差す 同じ心に湧き出(い)で
Amalgamation Choir - Ksenitia tou Erota(Giorgos Kalogirou)
Amalgamation Choir - Tis Trihas to Gefyri(Pontos) DakhaBrakha - Vesna
【未草(ヒツジグサ)】
日本に自生する 唯一の小型の白い睡蓮(スイレン)
花の大きさは四センチ程で スイレン属では世界最小
寒さに強く 初夏から秋に
山間の小さな池や 湿原の水溜(たま)りなどに生え
水位の安定した 養分の乏しい水域に育つ 多年草
浮き葉と 水中葉を持ち
蓮(ハス)と異なり 浮き葉に露を転がす撥水性はない
楕円で 先の深く切れ込んだ葉の形は 遠くから眺めるとき
羊など偶蹄目の 群れ惑(まど)ふ足跡に似る とも
大きな湖では 魚が水中葉を食べ
絶へてしまうことが多い
浮き葉は紅葉し 冬枯れて 水中葉のみで越冬
【未草(ヒツジグサ)】
日本に自生する 唯一の小型の白い睡蓮(スイレン)
花の大きさは四センチ程で スイレン属では世界最小
寒さに強く 初夏から秋に
山間の小さな池や 湿原の水溜(たま)りなどに生え
水位の安定した 養分の乏しい水域に育つ 多年草
浮き葉と 水中葉を持ち
蓮(ハス)と異なり 浮き葉に露を転がす撥水性はない
楕円で 先の深く切れ込んだ葉の形は 遠くから眺めるとき
羊など偶蹄目の 群れ惑(まど)ふ足跡に似る とも
大きな湖では 魚が水中葉を食べ
絶へてしまうことが多い
浮き葉は紅葉し 冬枯れて 水中葉のみで越冬
初夏から秋まで 花咲く
一つの花が 三日程の間
日が落ちれば 閉ぢて 水中に没し
日が昇れば 水面より浮び出て 開くことから
睡(ねむる)蓮(はす) の名が あてられた という(『大和 本草』)
明治以降に 外来種 water lily が輸入されると
ヒツジグサ と同様 スイレン と呼ばれるようになるが
『大和本草』(1709)の刊行された 江戸時代 以前 日本には
ヒツジグサ しか存在せず 睡蓮 といえば ヒツジグサ を指した
一つの花が 三日程の間
日が落ちれば 閉ぢて 水中に没し
日が昇れば 水面より浮び出て 開くことから
睡(ねむる)蓮(はす) の名が あてられた という(『大和 本草』)
明治以降に 外来種 water lily が輸入されると
ヒツジグサ と同様 スイレン と呼ばれるようになるが
『大和本草』(1709)の刊行された 江戸時代 以前 日本には
ヒツジグサ しか存在せず 睡蓮 といえば ヒツジグサ を指した
この花について詠(よ)まれた歌 纏(まつ)わる物語
伝承は 記紀 万葉集などに 見当らぬようだ
何故(なぜ)だろう
数多(あまた)の別れとともに 忘れ得ぬまま消え果て
遙(はる)かに立ち昇る 霧の螺旋(らせん)の間を漂ひ
探し求める夢の畔(ほとり)を彷徨(さまよ)ふ
胸の底深く 切立ち抉(えぐ)れた山奥 ひたひたと溢(あふ)る
水溜(たま)りへ浮び出(い)で ひっそりと花咲く
「未草」という 花名の由来について『大和本草』には
「京都の方言で呼ばれている」もので「未の刻 すなわち 午後二時頃
(季節により 午後一時~三時)から花が閉じる」ことから と説かれ
『大和本草』 八 水草 睡蓮(ヒツジグサ)
ヒツジグサ ハ 京都ノ方言ナリ、此花 ヒツジノ時ヨリ ツボム、
遙(はる)かに立ち昇る 霧の螺旋(らせん)の間を漂ひ
探し求める夢の畔(ほとり)を彷徨(さまよ)ふ
胸の底深く 切立ち抉(えぐ)れた山奥 ひたひたと溢(あふ)る
水溜(たま)りへ浮び出(い)で ひっそりと花咲く
「未草」という 花名の由来について『大和本草』には
「京都の方言で呼ばれている」もので「未の刻 すなわち 午後二時頃
(季節により 午後一時~三時)から花が閉じる」ことから と説かれ
『大和本草』 八 水草 睡蓮(ヒツジグサ)
ヒツジグサ ハ 京都ノ方言ナリ、此花 ヒツジノ時ヨリ ツボム、
唐ノ段公路 北戸錄ヲ引ケリ、夏秋 花サク、花白クシテ 數重ナリ、
蓮ニ似テ 小ナリ、其葉ハ 荇(アサザ)ノ如シ、
其花 夜ハ ツボミテ 水中ニ カクル、晝(ヒル)ハ又 水面ニ ウカブ
故(ユエ)ニ 睡蓮ト云(イフ)、北戸錄ニ 所云(イフ トコロ)ト
相同(アヒ オナジ)、他花ニ コトナル物也、蓴菜 荇菜(ジュンサイ)ノ
類ナリ、畿内 江州 西土 處々(トコロ ドコロ)ニ多シ、他州ニモ多シ、
一方『和漢三才図絵』(1712)や『本草図譜』(1828)では
逆に「未の刻に花が開く」と紹介されているが
実際には 朝から夕方まで咲き
ほぼ平らに全開するのが 正午から未の刻の頃
花は三日程の間 日々開閉を繰り返し
明け方 水中より水面(みなも)に
一方『和漢三才図絵』(1712)や『本草図譜』(1828)では
逆に「未の刻に花が開く」と紹介されているが
実際には 朝から夕方まで咲き
ほぼ平らに全開するのが 正午から未の刻の頃
花は三日程の間 日々開閉を繰り返し
明け方 水中より水面(みなも)に
Debussy: Prélude à l'après-midi d'un faune / Rattle water lily スイレン
【ウェールズ民話 銀の牛】
竪琴(たてごと)の音(ね)を愛し 山間(やまあひ)の
池より 六匹の銀の牛の姿で顕(あらわ)れた精霊が
竪琴(たてごと)の沈んだ池に スイレンとなって
花咲くようになった物話が ウェールズに伝わる
「ウェールズの山間(やまあひ)の池に
water lily(スイレン)が 咲くようになったわけ」
ウェールズの山間(やまあひ)に暮らす 少年が
白い牛と黒い牛を連れ 池の畔(ほとり)の草地で
竪琴(たてごと)を奏(かな)でていた時のこと
池から銀色の牛が六匹浮び出て 岸へと上がり
少年を取り巻いて 楽の音(ね)に耳を傾け
日暮れて家路につく時も 少年についてきた
銀の牛たちは 濃い乳を出し 家族は喜んだが
一頭が乳を出さなくなると 肉屋に売払うことにし
助けてほしいと頼んでも 耳を貸さなかったので
少年は牛たちを連れ 池の畔(ほとり)で曲を奏でる裡(うち)
悲しみのあまり 竪琴(たてごと)を池に投げ入れた
すると六頭の銀の牛は皆 竪琴(たてごと)の後を追い
池に走り込んで ニ度と姿を現わさなかった
やがて その池を埋(う)め尽(つく)すように えもいわれぬ銀色の
water lily(スイレン)が花咲くようになったという
【ウェールズ民話 銀の牛】
竪琴(たてごと)の音(ね)を愛し 山間(やまあひ)の
池より 六匹の銀の牛の姿で顕(あらわ)れた精霊が
竪琴(たてごと)の沈んだ池に スイレンとなって
花咲くようになった物話が ウェールズに伝わる
「ウェールズの山間(やまあひ)の池に
water lily(スイレン)が 咲くようになったわけ」
ウェールズの山間(やまあひ)に暮らす 少年が
白い牛と黒い牛を連れ 池の畔(ほとり)の草地で
竪琴(たてごと)を奏(かな)でていた時のこと
池から銀色の牛が六匹浮び出て 岸へと上がり
少年を取り巻いて 楽の音(ね)に耳を傾け
日暮れて家路につく時も 少年についてきた
銀の牛たちは 濃い乳を出し 家族は喜んだが
一頭が乳を出さなくなると 肉屋に売払うことにし
助けてほしいと頼んでも 耳を貸さなかったので
少年は牛たちを連れ 池の畔(ほとり)で曲を奏でる裡(うち)
悲しみのあまり 竪琴(たてごと)を池に投げ入れた
すると六頭の銀の牛は皆 竪琴(たてごと)の後を追い
池に走り込んで ニ度と姿を現わさなかった
やがて その池を埋(う)め尽(つく)すように えもいわれぬ銀色の
water lily(スイレン)が花咲くようになったという
その最初の花々に 少年は 心の裡(うち)で
竪琴(たてごと)を かき鳴らしつつ 独(ひと)り旅立つ
Silver Cow, written by Susan Cooper, illustrated by Warwick Hutton
見返しから見開きで 夜明けの池が描かれる 最初と最後
汀(みぎは)に咲くスイレン越しに 向う岸から
丘の向うへ見えなくなる その道を ずっと見送るように
閉ぢた目を 池のほうへ向けたまま 少年が遠ざかってゆき
やがて見えなくなった後も あちらこちらを向いて
白いスイレンが 静かに群れ咲いている
「狭き山間(やまあひ)を抜け 共に奏で響き合ふ
心に出逢(であ)ふまで 立ち止まらず 行きなさい」
明るく馨(かを)る かすかな聲(こゑ)で
響(とよ)み 頷(うなづ)き 励ますように
「振り返らずに わたしたちは あなたの音楽を忘れぬ
わたしたちは あなたの音楽に棲(す)む いまも これからも
いつも ずっと いつまでも 生きとし生けるものの 心に鳴り響く」
少年は 竪琴(たてごと)を奏でていたのではなかったか スイレンたちに
ここでも 脇に挟(はさ)んで
少年の竪琴(たてごと)は これまで 怠(なま)けているとして
幾度となく 叩(たた)き壊(こは)されてきた
疲れと眠気と闘(たたか)ひ 辛抱(しんぼう)強く 繕(つくろ)ひ
粉々に砕(くだ)かれたものは 一から作り直した
身動きのとれぬ 深い夢の底で 少年が
ずっと堰(せ)き止めていた 涙を流し
旅立ちを心に決め 安らかな睡(ねむ)りに落ちた頃
銀の牛たちが 池の底から掬(すく)ひ上げ
潰(つぶ)れた くしゃくしゃの枕元へ届けてくれたのではなかったか
本を閉じるとき その音色が 聴こえて來そうになる
清清(すがすが)しき 花の馨(かを)りとともに
「花に な(鳴)く うぐひす(鶯) 水に す(棲)む かはづ(蛙) の こゑ(聲)を き(聴)けば
【牧神(パーン)に追はれ 蘆(ヨシ または アシ)になり
そうではない と 蘆笛(あしぶえ) は語る
ただ その歌聲(こゑ)に 尽きせぬ天の惠(めぐ)みを感じ
解き放ちたい と感じながら 傳(つた)へることが出來ぬまま
月の女神の巫女(みこ)として満足していた 幼きシュリンクスは
話も聴かず 逃げ惑(まど)ひ 早瀬の深みへ向ったのを 止めようと
伸ばした手が 届かず 觸(ふ)れられまいと その背は捩(よぢ)れ
失はれたものに茫然とし 水瀨(みなせ)を通るたび 戰慄し
暗澹たる想ひに駆られ ある夕べ 坐り込んで
その日 何度目かの許しを乞うていたら
風が枯れた蘆(ヨシ)を そっと揺らし かすかに鳴らした
蘆(ヨシ)は歌ふようだった
「あなたが わたしの歌聲(こゑ)を好きだったこと
いまは知っています ありがとう」
「優しい人だと わからなくて 怖がって ごめんなさい」
「ここは靜(しづ)かで とても冷たい わたしが ここに居ることを
あなたが ずっと悲しんでいると 月の光が 敎(おし)へてくれた」
「わたしは もう 何も出來ないけれど あなたを怖がってはいない
恨んでもいない あなたは わたしの歌聲(こゑ)が
好きだったのだから それを想ひ出して 聴かせてほしい
わたしは もう 歌ふことは出來ないけれど あなたは出來る
悲しまず その歌聲(こゑ)と 生きてほしい」
耳にシュリンクスの聲(こゑ)が甦(よみがへ)る
亡き人の聲(こゑ)を伝へてくれた 枯れた蘆(ヨシ)の一つに
あの日 届かなかった 手を伸ばし 注意深く 折り取って
並べて結び そっと息を吹き込むと それは 歌ってくれた
唐の 李 賀(791-817)の詩に詠(うた)はれる
伶倫(れいりん)は 黄帝に仕えた 音楽の創成者
竹を切り 二十四の笛を作った とされる
黄帝は 半分の十二を用い
天地を構成する諸物質の運動を調整した
黄帝が天に昇られるとき 二十三管は帝に從(したが)ひ
殘された人類の爲(ため)一管が この地に留(とど)まった
が すでに人に德(とく)なく 誰も手に入れられなかった
竹を切り 二十四の笛を作った とされる
黄帝は 半分の十二を用い
天地を構成する諸物質の運動を調整した
黄帝が天に昇られるとき 二十三管は帝に從(したが)ひ
殘された人類の爲(ため)一管が この地に留(とど)まった
が すでに人に德(とく)なく 誰も手に入れられなかった
【李 賀の詩 天上の謠(うた)】
李 賀には 回転する銀河について 歌った詩も ある
天上の謠(うた)
天河夜轉漂廻星 天の川 夜 回転し めぐる星を漂わせ
銀浦流雲學水聲 銀の渚(なぎさ)に流れる雲 水聲を模倣する
玉宮桂樹花未落 月宮の桂の樹 花は未(ま)だ落ちず
仙妾採香垂珮纓 仙女らは佩(お)び玉たれて 香る花つむ
秦妃巻簾北牕曉 秦の王女 簾(すだれ)を巻けば 北窓は暁(あかつき)
牕前植桐青鳳小 窓の前に植えた桐には 青い小さな鳳凰(ほうおう)がいて
王子吹笙鵝管長 王子 喬 鵞鳥(がちょう)の首より長い笙(しゃう)を吹き
呼龍耕煙種瑤草 龍を呼び 煙を耕し 瑤草を植えさせている
粉霞紅綬藕絲君 朝焼けの紅綬をおびた 蓮糸のもすそ
青洲歩拾蘭苕春 青洲を散歩して 蘭の花を拾う春
東指義和能走馬 東方を指させば (日輪の御者)義和は巧みに馬走らせ
海塵新生石山下 乾いた海に新しい砂塵(さじん)が上がる 石山のもと
天河夜轉漂廻星 天の川 夜 回転し めぐる星を漂わせ
銀浦流雲學水聲 銀の渚(なぎさ)に流れる雲 水聲を模倣する
玉宮桂樹花未落 月宮の桂の樹 花は未(ま)だ落ちず
仙妾採香垂珮纓 仙女らは佩(お)び玉たれて 香る花つむ
秦妃巻簾北牕曉 秦の王女 簾(すだれ)を巻けば 北窓は暁(あかつき)
牕前植桐青鳳小 窓の前に植えた桐には 青い小さな鳳凰(ほうおう)がいて
王子吹笙鵝管長 王子 喬 鵞鳥(がちょう)の首より長い笙(しゃう)を吹き
呼龍耕煙種瑤草 龍を呼び 煙を耕し 瑤草を植えさせている
粉霞紅綬藕絲君 朝焼けの紅綬をおびた 蓮糸のもすそ
青洲歩拾蘭苕春 青洲を散歩して 蘭の花を拾う春
東指義和能走馬 東方を指させば (日輪の御者)義和は巧みに馬走らせ
海塵新生石山下 乾いた海に新しい砂塵(さじん)が上がる 石山のもと
(李賀歌詩編1 原田 憲雄 訳注 平凡社 東洋文庫 645)
同じ深度 角度で虚空へ身を投げ上げる
体内の古き道 仄(ほの)暗く通底する 天体物理の翳(かげ)
記憶の底を うねり流れる 脈打つ波動
耳を傾ける裡(うち) いつしか睡(ねむ)りの底に 投影し されて
耳を傾ける裡(うち) いつしか睡(ねむ)りの底に 投影し されて
魂魄の巴投げ 結び合ったまま
手を放すことはない 螺旋(らせん)を舞ひ上がり
一目一翼 比翼の鳥が 合体せず
一つの呼吸で舞ひながら 翔(かけ)り飛ぶ
天の川銀河の 渦巻く腕の一つの一端に
ぶら下がる 明るき炎の瑤(たま)
遠く近く廻(めぐ)る昏(くら)き瑤(たま)
その中に 碧(あを)く仄(ほの)光る地球が見えただろうか
続く「銀裏流雲 學水聲」
「銀河も雲も音を立てないが
銀河の渚を流れる雲が
観ていると 水音の感じがするのを
「学ぶ」摸倣するといっている
このような疑似感覚を歌ったものは 空前で
すぐれた表現として たいへん有名になった」
(原田 前掲書)という
星々は音を立てているらしい
「学ぶ」摸倣するといっている
このような疑似感覚を歌ったものは 空前で
すぐれた表現として たいへん有名になった」
(原田 前掲書)という
星々は音を立てているらしい
李 賀には 聴こえたのかも知れぬ
木星は人間の可聴域で 和音の中を
廻(めぐ)る歌聲(こゑ)を響かせている ようだ
そのように
銀河の回転を眺めながら 月の仙宮で笙(しゃう)の笛吹く春
太陽が廻(めぐ)り 忽(たちま)ち悠久の時が過ぎ去って
海底が隆起し 岩山となり屹立する
終盤 二句
銀河の回転を眺めながら 月の仙宮で笙(しゃう)の笛吹く春
太陽が廻(めぐ)り 忽(たちま)ち悠久の時が過ぎ去って
海底が隆起し 岩山となり屹立する
終盤 二句
「春といえば東だから そちらを指さすと
日輪の御者の義和が駆け登ってくる
なかなか うまいじゃないか と思っているうちに
たちまち何億年かが過ぎ去って
海が干上がり あらたに生まれた陸地では
岩石の山のあたりで砂塵が舞い上がっている」
(原田 前掲書)
近年 地軸のづれと それに伴ふ 生態系の変化を
日輪の御者の義和が駆け登ってくる
なかなか うまいじゃないか と思っているうちに
たちまち何億年かが過ぎ去って
海が干上がり あらたに生まれた陸地では
岩石の山のあたりで砂塵が舞い上がっている」
(原田 前掲書)
近年 地軸のづれと それに伴ふ 生態系の変化を
憂(うれ)ふ 北米 極地帯の先住民族 は
古来 肉眼で日月星辰の位相から 季節の到来と
天翔(あまかけ)る 斬新 鮮烈な洞察力と想像力で
渦巻き耀(かかや)く天の川銀河の 腕の先の一端に
渦巻き耀(かかや)く天の川銀河の 腕の先の一端に
ぶら下がる 太陽 を廻(めぐ)る 地球 が
天の川銀河の腕に一波 搖(ゆ)られる間の
二億五千年余り前のこと
二億五千年余り前のこと
すべての大陸が衝突し終へ
超大陸パンゲアが形成された頃
地球内部からスーパー・プルームが上昇
あらゆる火山活動が激烈となり
古生代の海生生物種の九割五分以上が絶滅した のを
遠く海塵立ち昇る裡(うち)に 見てとったのだろうか
超大陸パンゲアが形成された頃
地球内部からスーパー・プルームが上昇
あらゆる火山活動が激烈となり
古生代の海生生物種の九割五分以上が絶滅した のを
遠く海塵立ち昇る裡(うち)に 見てとったのだろうか
(続く)
しかしながら流石は御母上樣にては、ご無事に厄を落され、ご退院なされて早速リハビリの独り歩きは、ご心配も尽きぬことと存じますが、お天気が良く暑さ寒さの過ぎぬときのみにしていただき、ご一緒にお散歩なされますれば。
お仕事、家事、萬事なされましたうえで、ほんとうにお忙しく大変なことと拝察されますが。
さてEvelyne Paul樣ですが、まことにありがとうございます、全く存じ上げず、拝見して青木 繁、水島 爾保布を想い起し。
青木 繁 わだつみのいろこの宮(ARTIZON MUSEUM)
ほぼ同い年、わだつみのいろこの宮が1907年、1911年に青木は亡くなり、御紹介の御本が1912年。
互いに影響を受けるべくもなき、この不思議な共振。
それは水島 爾保布も想い起させ。
ヱヴリン(1883–1963)樣を挟み年子のように、青木(1882–1911)水島(1884–1958)(wiki)。
没年も水島とヱヴリン樣はわれら生るる前後。
爾保布は当初よりビアズリーやクリムトの影響を騒がるるも、本人はそのどちらも知らなかったと。
水島爾保布 絵本 西遊記(上下:国立国会図書館デジタルコレクション)
B.island(新潟県立万代島美術館ニュース)第20号-6 「鱗に覆われる―水島爾保布の人魚たち(1)」
B.island(新潟県立万代島美術館ニュース)第20号-7 「鱗が落ちる―水島爾保布の人魚たち(2)」
水島爾保布とビアズリー ―― 行樹社展と『モザイク』を中心に 桐原 浩(新潟県立万代島美術館)
水島爾保布の大正前期『大阪朝日新聞』挿画について 桐原 浩(新潟県立万代島美術館)
人魚の嘆き 水島爾保布252 郷愁俱楽部
魔術師 水島爾保布267 郷愁俱楽部
興味は尽きず、ありがとうございます、マルクーマ樣。
御礼に御同志樣方の。
ハンガリーの夜啼鶯 Nevezetes Névtelen Csalogány (Luscinia megarhynchos) 1.,2.,3.
https://www.youtube.com/watch?v=PPh8OuAOQWE
https://www.youtube.com/watch?v=qLkzVdhTFXQ
https://www.youtube.com/watch?v=e7fkC-Qr5G8
Komitasの歌 Ignat Frangyan Komitas songs
https://www.youtube.com/watch?v=PQSDX6nYUxY&list=PLN63Pznn0jHrOjE4E-WwP7xq4sK932ocV
この頃は、本は、パトリック・モディアノとポール・オースター、朽木 祥(かはたれ)に斉藤 倫(どろぼうのどろぼん)
映画は、幸福なラザロ(アリーチェ・ロルヴァケル監督)アスファルト(サミュエル・ベンシェトリ監督)アイ・イン・ザ・スカイ(ギャヴィン・フッド監督)アマンダと僕(ミカエル・アース監督)
絵画は、笠松 紫浪(太田記念美術館)
に感動。
どうか良き魂魄に囲まれ幸運に満たされまして、御母上樣とお健やかで安らかで穏やかで充ち足りた良き日、良き日々をお過ごしになられますよう。
叡智漲る優しき御聲を賜わりますのを、心から樂しみにお待ち申し上げております。
いつもまことにありがとうございます。
アッシは遂にYTubeもダメで自分のページも見られない…、アルターさんの動画にもコメント出来ない始末ですので、何卒どうか皆様には宜しくお伝え下さい。
〜二月に母が腰椎を圧迫骨折で二ヶ月入院、その後やや認知症状も出て、徘徊しそうになるので注視してないと為らぬので、まあ一寸忙しいです。
/さて、ちょっと興味深い洋書を見付けましたのでご報告を、御存知か知らん?、
ラファエロ前派の直系で、1900年頃の女流画家なのですが、
エヴリン・ポールさんと云い、日本神話を中心に、かぐや姫や御伽草子、大江山の鬼退治や耳なし芳一などの紹介の豪華本、其の装丁と挿絵が驚きの出来で、
『Myths & Legends of Japan/Evelyne Paul【The Project Gutenberg】
https://www.gutenberg.org/files/45723/45723-h/45723-h.htm
アマテラスや木花佐久夜毘売なんかは、プレラファエロ描く大和絵の雰囲気で、当時のジャポニスムでも出色だと思いましたが如何でしょ?
では又そのうちに、ご機嫌よう。
遅いにも程があり、恥ずかしさのあまり、何と御礼申し上げ、御詫び申し上げたらよいか、わからなくなるという状態が ずっと続いており…
昨夏の終わりから年の暮れまでかかった PCの修理や、年明け後から微熱の続いた インフルエンザやらの 遙か以前に、続きとも言われぬ 引用と感想を 書き連ねる間に、御礼できぬ とは 眞に勝手至極、失礼千萬の 大たわけにて、たいへん申し訳ございませんでした。
相変わらず長く纏まりがつかず 言い切れて居らぬものを、間髪を入れず 読み解いていただき、端的に言い表していただきました。
読みごたえがある、オリジナリティもある、とまで仰っていただき、ほんとうに ありがたく、感に堪えません。
わざと読みにくくしているのではないか、と首を傾げたくなる、旧字や旧仮名遣いの 統一感のない使用、雰囲気だけの 感傷的な形容詞や比喩の羅列、同じことを ほとんど同じ言い方で何度も繰り返す、すべてに 元になる物語があり、引用と感想、でなければ、再話と翻訳に 終始している、にも かかわらず。
未草は、種漬花などと同様、たとえ古歌に詠われていたとしても、単に花とされているか、あるいは、白き波動としてのみ、視野 行間に漂っているのか…
人麻呂 歌の「みちのへの いちしの はなの いちしろく」が、彼岸花 である 可能性を思えば、どこかに、目の前に、詠われているのが、見えて來ない だけなのかも知れず…
芭蕉の句の後に、山頭火の句を、合わせ読んでいることを教えていただいた、摩訶不思議な現代イタリア映画「ローマに消えた男」の折の 感動は忘れることができません。
春なれや 名もなき山の 薄霞 うしろすがたの しぐれてゆくか
しかも、五七五 七七と、山頭火の破格が 芭蕉と一つに なることで 古の和歌に…詠む、と 読む、これも一つの共振と…
季節の移り変わりに、同じ一つの季節が ―― 人が 息を引き取り、同じ自然が ――人が真っ新に生れ変わる…ただ 同じ季節の ―― 人の中で死んだ季節は ―― 人は、もはや そこに居らず、同じ自然は ―― 人は、もはや同じ自然 ―― 人ではない…
教えていただいた 永島 慎二さんの熊の御話は、前にも探したのですが、まだ見つかりません。
人間に変身する熊 ―― 熊に変身する人間の役に息子を起用、ロシアの伝説を撮られた映画監督の、その息子さんは早世され…た 物語、久方振りに想い起し…
Bear's Kiss https://www.youtube.com/watch?v=0TnXJT7xw-Q&list=PLED9AEAD3794E51D0
マルクーマ樣が お気に入りくださったのでしたか…
ウェールズ伝説 the Silver Cow の 心優しい、音楽を愛する少年は、正に alterd樣 のように思われました。
大切な竪琴を 湖に投げ込まずに居れなかった、心震わす 遣る瀬ない 大きな かなしみ…
短い人生を まともに生きたことで満足せよ、との古代ローマ皇帝の御言葉に、從う、と仰る、潔く 謙譲で 誠実な御心。
そして、善き他者との 共振を含んだ響きに 耳を傾けたい、との御言葉、時空がどんなに離れていても、共振は互いを大きく豊かにする…
alterd樣と、お話しできます限り、そして alterd様との御縁にて、みふゆ樣、マルクーマ樣と、お話しできます限り、鈍く衰え しどろもどろに 破れかぶれに なってゆく、甘ったれな自分という 小さな宇宙の回転も、眞に ありがたき 稀有なる共振の御蔭を以ちまして、何とか軋み止まることなく、再び渦巻いて、日々生死をかけた波動を潜り 波動に乗り、波動を繰り出してゆけるのか と。
いつも 眞に ありがとうございます。
銀波の竪琴〜協奏曲「…共奏の、心に出逢ふまで立ち止まらず 行きなさい」
決然とはゆかずに…振り返ると既去りし夢、野中に遺した涙一粒、清洌に…、蘇るのは忘れ難き記憶か、彼の人が指し示した未生の道標か?
夢先スイレンの残り香、闇中に、ポツポツ開く、清らな気配で分るでしょう
記憶、の曲り角を超えれば改たに、世界も変わり…、皆目の薄暁に行く末はボーヨー、彼方アナタを頼りに道歩むしかなく…
一粒の湖、の中にも多くの命と、記憶が住んでますね?!
「生きとし生けるもの」全ての原初の発火、質量はエネルギー、変換されれば何れも光り輝くでしょう、そして發音も…、紀貫之も共感覚か
それら原子の明滅は、そのまま星々の脈動で…。〜星雲の水音…、
李賀には聴こえたのかも知れぬ…〉そうなのでしょう。我々の細胞を構成する重元素の鉱物は全てファーストSTAR由来なのでしたか…
ハザルさんも東南アジアや東欧で見ましたか?!、満天の星空に銀河
生きてる様な瞬きは、脈打つ命❣️と見るべきなんでしょうね!?
フローベールと友が、夜の海辺で寝そべって仰ぎ見た星空の話を思い出します。〜その時には脳が星に成ってたと云う…、星々の放つ電磁波と脳波が共振するのでしょう。クオンタムの情報は宙に偏在して、距離を無化するそうですから、〜新たな星霜の年初に。
\追って\グーブログは秋の改変で又、拡大可能になって読める様に成りました!
PCは直りましたか?、お礼は未だか?、未礼だぞ〜無礼である、火付盗賊改であ〜る、ミフモフ燃や〜す❗️と言われますよ〜!
昨年はお誕生日祝い出来なかったので、新珠の新年お年玉で、新作動画、動物物ですが差上げます、小芝居も入ってますがご愛嬌で、お許しを!お暇な時にでも、。
ヒツジグサ=日本に自生する 唯一の小型の白い睡蓮、花の大きさは四センチ程でスイレン属では世界最小の話はとても良かったです。銀の牛の話しはすごく面白かったです。 竪琴を池に投げ入れて、六頭の銀の牛は皆 竪琴の後を追って、池に走り込んでニ度と姿を現わさなかったのは悲しい 牧神(パーン)は、シュリンクスを 自分のものにしたかっただけなのかそうではないと 蘆笛(あしぶえ) は語る
ただ その歌聲、 尽きせぬ天の惠みを感じ解き放ちたいと感じながら傳へることが出來ぬままだった! 牧神の閉ぢた眼から涙が溢れ、耳にシュリンクスの聲が甦るのもすごく良い話し 【李 賀の詩 伶倫の作った 竹の笛】もとっても良かったです。終盤二句のところもよい… 一番印象に残ったのは水牛と少年の話!いいね! あとは文章を削る工夫! じゃあまたね~
よし、明日もお仕事がんばるぞ!
hazarさま、お身体に充分に気をつけられてください
漸く、更新ですね。
しかし、まだ中途ですか。
時間掛かる訳です。
読み解くのが決して楽な文章ではありませんが、読み応えも十分です。
オリジナリティもありますしね。
睡蓮は未の刻に睡りますか。
古歌に詠まれてないのが不思議です。
山間に住む想い人との逢瀬を楽しんだ貴族とかが詠んでいても可笑しくないです。
銀の牛と牧童とのエピソードは切ないです。
飼っていた熊を殺され、人を愛せなくなった漫画家を描いた、永島慎二の作品を思い出します。
芸術は人々を鼓舞し癒します。
理由のひとつに波動があるのでしょう。
それは善き波動と言えます。
後は、色、形でしょうか。
色は周波数の違いだし、物語も波と言えるでしょう。
ローマ皇帝だったマルクス・アウレーリウスが
「短い人生をまともに生きたことで満足せよ」と書いてました。
私もその言葉に従います。
そして、この世を去る時、善き他者との共振を含んだ響きに耳を傾けたいです。