だいぶ前コンデジで撮った画像です♪
今日から私も年金受給者 65歳になりました。
自分のことをちょっとつぶやきです。。
19の歳で結婚し、20歳でバンダナ君を生んで。。
それから22年間補助さんと朝から晩までパン作り。
最初の10年間は16、7時間仕事。
朝は立って4,5分でパンを食べ。。
睡眠時間は良くて4時間。もちろん、定休日は寝溜め。
それでも、小さいときの子どもが可愛くて可愛くて、
定休日はバンダナ君と小息子を近くのあっちこっちの公園は連れて行って遊んだし。。
休みが祝日に重なったら、遊園地に行ったり。。
毎日めいっぱいの生活。
『なんでこんな死にものぐるいに働かなきゃだめなの?』の問に。
『子どもたちの希望だったら、どんな事もして上げられるように、
それと老後の資金のため。。』と、 補助さん。
なんと!自分は早死する予感があるからと!
『出来るときに必死に頑張らなくちゃ』と。。
全く根拠がないことを言ってました
教育費の方は、二人共勉強嫌いで、使うことはなかったけど、
まぁ、補助さんの ○運用で消えちゃいました
後の10年も、睡眠時間5時間に増えたけど、
日々の重労働で、補助さんの体が悲鳴を上げて、
パン屋を閉めました。
パン屋の時代は、いろいろ多すぎるぐらい大変なことがありました。。
中でも。。
バンダナ君を生む当日もお店に出て、
あの年はまだパン会社からのパンを販売する形式でした。
おばあちゃん(義母)とお店開けしてるときに破水し、
急遽1人で用意してたトランクを引いて、
すぐ近くの産院さんへ。
誰かが付き添ったり、テレビで見るような悲鳴もあげなく、
ひたすら我慢。。で出産。
補助さん、会いに来たのは夜パン店閉店後でした(笑)
今の時代ではありえないかも(笑)
翌日見舞いに来た母が、産婦さんが芯が強い娘だと言われたと。(≧▽≦)
小息子を生む前は手伝ってくれたバイトの男の子が急に来なくなり、
出産に備えてお願いしたパン職人が来るまでは
睡眠時間2時間半の3ヶ月の日々。。
30代のある日。
風邪気味でめちゃめちゃしんどくて、
熱で目が真っ赤に充血、口中は乾燥でからっから。。
いつヘタってもおかしくない状況の中も。。
仕事終わらなかったら、病院へいけませんでした。
やっと仕事終わって病院へ行って。
だいぶ楽になったところでも熱は38度!
私どんだけ頑張ったか!(笑)
結婚前、内気で気が弱かった私も、
こんな試練で、強くなりました。
パン屋のときの仕事に厳しい鬼のような補助さんに感謝です(爆)
本当~~に強くなりました。
なんやかんや。。
やる気があったら、人間って出来るものだと思いました。
もちろん、若い時のこと! そして、身体的の個人差はあるけど。。
それにしても、寝る時間なくって寝られないのは本当に辛かった!
小息子が中2とき、私の記事が学校通信に掲載されました
ハートランドももう19年!そろそろ引退?(笑)