いつも目立たぬ『園田博之幹事長』
しかし、その人間性は信頼するに足りる人間で有る。
その調整能力、ブレない性格、正義感も有る。
今、街頭演説で平沼・与謝野両氏を支え続けるその姿に感動すら覚えます。
自分の選挙区は大丈夫?
本来、国会議員と申しますモノは、『落選しらたただの人』
なので、国の行く末より、
自分の身の上が大切なのです。
民主党の議員を見れば良く判ります。
国民生活第一と云いながら、嘘ばかり、
皆、小沢の目の色ばかりを気にしている。
さて、園田博之さん、
手短に話ますと、
九州から来て、ずっと平沼・与謝野氏を支え続けるその姿はまるで、
南北朝の頃の園田家の先祖を思わせる。
朝廷の為に命を投げ出し、楠正成、新田義貞と共に一族の命運を賭け、手弁当で支え続けたその姿とオーバーラップする。
園田家の先祖は元をただせば、南北朝の頃の菊池一族。
肥後(熊本)から南朝の応援の為、京都へ馳せ参じた。
しかし、
戦を知らぬ後醍醐天皇の我儘な方針、無為無策の政策にも異を唱えず、新田貞義の応援の為、関東へ、それから果ては奥州の奥まで、
結局、北朝の足利尊氏の戦略の前に、南朝方の義に生きた武士達は滅ぶか、消えて行った。
因み、熊本の園田家の始まりはその南朝に加担した菊池家の子孫、
大軍で足利尊氏が九州に攻め込んで来た時、利は有れど、義は無しと判断、寡兵を持って、多々良浜で迎え撃つが、
一進一退の末、一族滅亡の危機、、その時、子孫を残す為に、
正統の嫡子『菊池小太郎』を『園田小太郎』
名を変え、熊本の南の八代に落とした、
武門の菊池家とは手短に話をすれば、
楠正成の言葉をして『菊池武時は帝(後醍醐天皇)に一命を賭した忠臣第一の人』
菊に池とは、その土地の水利を管理していた豪族と云えば話が早い、
司馬遼太郎の言葉を借りると、『菊池家は常に勝てない戦いでも、利が無くとも、そこに義が有れば、寡兵でも挑む集団、元寇の時も、南北朝の頃も、一族賭けて戦うのが菊池家』
さて、
菊池家の話が続く、
奥州の菊池家は肥後(熊本)の菊池家の流れで有る、
岩手、秋田にも、青森にもいる、
当時、帝の親兵みたいな感じで地元の人は温かく迎え入れてくれた筈、
あの花巻東の『菊池雄星君』の先祖もそうであると言える.
因みに、この菊池~園田家、
西郷隆盛の西郷家もその庶流で有る。
園田家の一部が熊本の八代から鹿児島に下った一族の内、
薩摩藩の馬の奉行になったのが園田家、
それが幕末から明治になった時、
函館に渡り馬牧場を始めた、
その時、苗字を変えた、『武』と
それが今の競馬界の武一族の先祖で有る。
何の脈絡もなくつらるらスイマセン。