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【神社】地元では“いっきゅうさん”の呼び名で親しまれ朝鮮半島より但馬国に渡来した二柱の祭神を祀る~但馬國一宮 出石神社@兵庫県豊岡市出石町宮内

2023-08-21 17:57:28 | 磐座・巨石・社寺
今回は、兵庫県豊岡市出石町宮内に鎮座する但馬國一宮“出石神社”の紹介になります。
関東圏の人間からすれば、兵庫県と言ったら神戸から姫路にかけての瀬戸内に面した南部でしかイメージが湧きませんが、実は京都もそうですが日本海側にも市町村があってかなり広大な県であった事を大人になってから地図を見て知りました。
JR豊岡駅の南東10Kmほど 行った場所に鎮座していますが、豊岡市自体も日本海側の兵庫県北部の都市部でイマイチピンとこない地域でもあります。

一宮の扁額
かつて兵庫県の北部一帯は但馬国と呼ばれていましたがその一宮だったのがこの出石神社です。(最も但馬と言えば但馬牛で有名サシが入った高級牛肉)

一の鳥居(出典:Googleストリートビュー)

二の鳥居 木製両部鳥居
丹塗りの鮮やかな神門

神門は八脚門で構成され複数の蟇股を持っています。
拝殿

本殿 (当日は、あいにく補修作業中で全体像が写せず)
祭祀:天日槍(あめのひぼこ)・伊豆志八前大神(いずしやまえおおかみ 出石神社の御神宝の「八種の神宝」を神格化したもの )
由緒:
旧国幣中社(現、別表神社)。祭神、出石八前大神・天日槍命。社伝によると垂仁天皇の時、天日槍命が来朝し、当地を開拓したので、その徳を敬慕し、命が奉持していた八種の神宝を八前大神として祀った。八種神宝とは、玉津宝・珠二貫・振浪比礼・印浪比礼・振風比礼・切風化礼・奥津鏡・辺津鏡であり、このことは既に『延喜式神名帳』にも八座の神として明記され、名神大社となっている。更にこれより先、天平九年(七三七)神戸租調稲およそ一六八〇束を充て、承和一二年(八四五)七月に従五位下となり、貞観一六年(八七四)三月には正五位上に叙せられている、但馬国一宮として崇敬されて来た当社であるが、戦国時代に入ると、天正年間(一五七三-九二)豊臣氏のために社領を没収された。江戸時代には出石城主歴代の尊崇をうけ、小出、仙石両氏が社殿を造営した。本殿三間社流造、檜皮葺、本殿の前面に切妻造の幣殿が連なり、更にその前に舞殿形式の拝殿(入母屋造平入)が連なっている。社宝としては、重文指定の脇差一振(南北朝時代、銘但州住国光)がある。例祭一〇月二〇日、その他御年花祭(おはなびらまつり)が一月二二、二三日に行われる。こちらから転載)


由緒案内(写真クリックで拡大)
社名に出石とあったので“石”に纏わる何かがあるのか期待して訪れたのですが、由緒にもあるように元は“伊豆志”からの転用でそれがそのまま地名の出石に使われたようです。 
また、天日槍は朝鮮半島から日本に渡来した人々が信仰した神様だと考えられています。出石神社由来記には天日槍が、その当時入江湖であった但馬地方を瀬戸の岩戸を切り開いて耕地にしたと記されています。
本殿の鳥衾部分が独特な構成をしています。

本殿の東側に約300坪の「禁足地」があります。天日槍命の墓所と言い伝えられており古代より立ち入りが禁止されているそうです。一木一草も刈り取ってはならず、踏み入れば、祟りがあると言われている聖域なんだそうです。
 
興味深かったのは、かつて存在していて出土した鳥居の残骸です。
この案内によれば、かつての参道は西向きだった事が分かります。創建当時は西向きにお社が建っていた事を裏付けています。(かつて参道の先西側に国府があった事から何か因果関係がありそうです。)
更にここから5キロ離れた位置に一の鳥居があったとの事で、かなり広大な敷地を持った神社だった事が伺い知ることが出来ます。

位置関係をざっとマップに記述して見ました。(写真クリックで拡大)
出石町片間までは国道472号で4キロちょっとになります。(出典:Googleマップ)
(撮影:2007-8)
お断り:2007年当時の情報となります。当時とは異なる事が想定されますので訪れる際には、事前に調べて頂き記事は参考程度とお考え下さい。
【マップ】



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2 コメント

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Unknown (umaonaosora3104)
2023-08-29 05:59:52
立派な社殿&神門ですね。
朝鮮半島の人々が由来ですので、こちらの高麗神社と一緒ですね。
鉄器文化・たたらなど大陸から来た方々が、日本の国づくりに貢献していただいたのですね。
次回も楽しみにしてます。
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Unknown (ruribo)
2023-08-30 06:53:46
いつもコメントありがとうございます。

改めて「天日槍」を調べていたのですがWIKIに、興味深い一文が書かれていました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%8E%E3%83%92%E3%83%9C%E3%82%B3

新羅王子を自称する天日槍が持って来た但馬の神宝の中のひとつに
『ただしこれらとは別に「出石(いづし)」という名の小刀1口があった』
“出石”の出自が書かれています。
神社の由緒には、一言も触れていません。
その後のくだり
献上品の小刀を隠していたのが酒の席でばれた辺り…。
なかなか興味深いエピソードです。
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