前述の楯築遺跡より直線距離で南東へ1キロほどの場所に、岩倉神社は鎮座しています。
見ての通り田んぼの中央に突然現れるこんもりとした森がありここに巨石群が累々と集まっています。
まずは、神社へ参拝しに参ります。
本当にこの周辺は岩だらけです。
狛犬一対 両方に球を持つ狛犬は初めて見ました。
岩倉神社拝殿
一段上がった場所に本殿があります。
本殿
祭祀:大稲船命(おおいなふねのみこと)(吉備津彦命が吉備に向かった時、船に米を献上した神)
由緒:
かつては吉備津宮七十二末社の一つとされており、吉備津彦命が吉備へ下向の際、片岡の伊佐穂が稲を栗坂の里(現・倉敷市栗坂。昔は早島という島)で刈り、軍卒に命じて船に積ませて北に向かったが潮が急で運ぶことができず、船を廻して西の岬に停泊させ、稲を積み上げて兵糧として献上した功によって大稲船の名を賜わったという。そして、潮の急だったところを瀬口、稲を積んだところを稲倉と名づけたが、後年、泥砂が流れ落ちて突き立った巌やがあらわれたことから、それが訛って岩倉といったとされる。そして、仁徳天皇の御代(313年〜399年)に、勅して吉備津宮の五社七十二宇が創建されたが、この時、岬に一宇を建立した。その後、元禄年間(1688年〜1703年)に再興され、明和5年(1768年)並びに安政年間(1854年〜1859年)にも再建し、現在に至る。(こちらより引用)
神社名に“岩倉”が付き巨石群もあるので、てっきり“磐座神社”だと、思っていたら…。
稲倉が訛って岩倉となった…。いわゆる由来は磐座とは違うんだそうです。(^^;
また、かつてはここまで海があったことも興味深いです。ここから南東に20キロほどの場所が海岸線となります。
神社ですが鐘撞堂があります。
それでは、たっぷりと境内の巨石巡りを堪能致して参りましょう。
社殿の周りにはこんな感じで巨石がゴロゴロと横たわっています。
いわゆるお供え型と言うタイプでしょうか。
生い茂る樹々と巨石のコラボ いつの時代にこの木はここへ根付いたのでしょうか。
地面にへばり付いているような巨石
こちらは、破断された残骸でしょうか。
「涙石」と勝手に銘々
中央付近周辺はこのように大きな巨石が目立ちます。
銘々「兄弟岩」
社殿前広場
かつてあった泥層が洗われ出現した巨石群と伝えています。
岩屋が構成されています。充分雨は凌げそうです。
角が削れた巨石が目立ちます。
かつてあった大規模な土石流で流されてきた巨石がここへ堆積したものと由緒は伝えてはいますが、なぜここだけピンポイントなのでしょうか。
銘々「一刀石」
銘々(右)昇蛇石(しょうじゃいし)(左)降蛇石(こうじゃいし)
メンヒル状の起立した石はここだけでした。
田んぼの中に、ここだけ異様な雰囲気を持った場所です。
巨石自体には、特に神徳性はありません。自分は、以前紹介した群馬の産泰神社でも述べたように、周辺に点在していた巨石の瓦礫をここへ集めただけの様に思えます。ここだけ巨石が密集しているのも不自然な感じです。
かつて、この地に人々が移り住んだ時にこの辺り一帯を開拓した際に土の中から出てきた巨石の瓦礫だと思っています。
(撮影:2007-8)
お断り:2007年当時の情報となります。当時とは異なる事が想定されますので訪れる際には、事前に調べて頂き記事は参考程度とお考え下さい。
お断り:2007年当時の情報となります。当時とは異なる事が想定されますので訪れる際には、事前に調べて頂き記事は参考程度とお考え下さい。
【マップ】
確かにここだけに集積しているのがちょっと不自然なのです。
由緒などは後付けでしょうからいい様に語られているのかも知れませんが、地名に“日畑”とある様に、イヤシロチの陽の気が溢れた場所で気分的には、良い場所です。