
──ぼくはその球技をやってきて、
その球技だったら、誰にも負けないっていう自信がある。
小学校の教室というのは不思議な空間だ。首都圏の小学校の校舎が鉄筋コンクリートに切り替わったのが昭和40年代頃、それ以前は木造の校舎で多少趣が違うのかもしれないが、私たちはちょうどその、建ったばかり白い箱に先陣を切って入っていった世代にあたる。ヒビキが通っていた区の小学校は、みんなこの時代の建物で、震災後も建て替えがない。だから私以外の多くの父母にとっても、校舎や教室は、きっと非常に見慣れたものであるに違いない。うっかりするとタイムスリップしたような既視感にすぐにとりつかれてしまう。なにしろ国旗の掲げ方も同じなら、黒板の角度も、体育館への渡り廊下も同じ。照明も、校内放送のシステムも、下駄箱やロッカーも、昔とほとんど変わっていないからだ。
そんな空間の中にいる先生は、まず、なんといっても背が高かった。そのなにもかも知悉したものとわれわれが錯覚する時空の中に、ぽつんと挿したような若さだった。
「自分は先生になって3年目だ」と先生は言った。「子ども達ひとりひとりの成長と、それがクラスの中でお互いにいい影響を与え合っているのを、すごいと思って見ている。さすが6年生だなと思う」と。
3年目ということは、25歳ぐらいだろうか。子ども達の歳の倍、つまり私たちの約半分というわけだから、若いには違いない。そのくらいの頃、私はここまで平静だっただろうか。こんなふうにゆっくりものを考えたり、自分が確かにわかることだけをそのまま差し出すように話したり、そうする自分というものを客観的に見たり……なんてことができただろうか?
ヒビキは音楽がすごい、と先生は言った。自分は球技だけど、それがヒビキの場合は音楽なんだと思う、と。そしてそのような「自分はこれ」というものがあることは、とてもいいことだと思うし、ヒビキだけではなく、たとえばデザインがすごいとか、運動がすごいといった子どもがそれぞれに、たくさんでてきているのだ、と先生は文字通り目を輝かすのだった。輝くというのは本当にそうなのだ。そういう時先生はわずかに校庭に続く窓のほうを眺めるので、座っても背の高い彼の瞳に、外の明るさが映るのである。
しかし、意外なことも言った。ヒビキは運動が苦手だろうというのである。本人は別にそう思ってないと思います、と私は言ったのだが、私の知らない間に特に男の子のなかに、体がずっと立派にできてきて、体力的にもものすごいパワーを出し始めている子がいるんだそうだ。そういった子達と比べると、要するに比べものにならないということらしい。しかもヒビキは体育をどちらかというと休みがちで、見学なども多いという。
「そういうときは、おもいっきり楽しい授業にしようと思って」と先生は楽しそうに話す。「あ、休まなければよかったな、と悔しく思うような思いっきり面白い授業にしてるんです(笑)」
(つづく)

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