この巻では、まさにタイトルどおり、ローマ世界におけるキリスト教のの勝利の過程が描かれています。
勝利とは、キリスト教以外の「異教」そしてローマ皇帝に対して。
コンスタンティヌス帝の跡を継いだ息子たちの分割統治をへて、そのうちの一人コンスタンティ「ウ」スが絶対的な立場に立っての数十年の統治を行っていく中で、キリスト教優遇策の浸透がなされていきます。
いやがらせともいえる副帝境遇の中で、敵地に進行しての蛮族撃退、行政のリストラなど実績を残し、ガリアの兵たちに頂かれたユリアヌスが、運よく正帝につき、古きよきローマの再興を目指し他のもつかの間、続く皇帝達が再度キリスト教保護に向かいます。
コンスタンティヌス、コンスタンティウス帝は死ぬ直前まで洗礼を受けずにいた。それは神の権威で帝位にあるとはいえ、キリスト教徒でなければ宗教が口出ししにくい立場であったのですが、テオドシウス帝は、病に倒れて治癒した時にキリスト教徒となってしまいます。
以後、一キリスト教徒として司教に逆らえない立場になってしまい、宗教的なやり方でやり込められる場面もありました。
まさに中世での、王とローマ法王の関係そのもの。
生活の中でしみこんでいたローマ・ギリシャ宗教、多神教ならではの寛容さで他の文明のよさをどんどんとり入れていた姿はなくなり、
一神教ならではの異教への非寛容さで過去の文明が失われて行くことを著者は嘆いています。
たとえば、キリスト教以外のローマ宗教に関係する記述があるということで、公立図書館の記録や図書を廃棄したり、裸の彫像はだめとすべて破壊したり、異教の神殿も破壊・改造されたり、もったいないことをしています。
にもかかわらず、一部の彫像がほぼ無傷で発掘されたりすることから、当時の人の思いを想像できるのではないかとも。