出資馬のタイキヴァンベール号が引退しました。
(引退レース 仁川S出走時のもの
大樹レーシングクラブ提供)
今年9歳、戦績は47戦6勝、2着10回、3着5回、そして2着から降着1回。
デビューは、大樹として珍しい2歳、2002年の7月でした。
2歳から9歳まで、特に大きな怪我もなく走り続けてくれました。
田中清隆調教師が大事に使ってくれたこともありますが、足元に不安もなくこれだけ長い期間コンスタントに出走しつづけることは、競走馬にとって恵まれたことであり、ありがたく思います。
(写真は筆者撮影
2005年9月24日
阪神オークランドRCT)
2歳時には、デビュー戦からおしいレースが続き、ヤキモキさせてくれました。
クラフトワークやブラックカフェなどの評判馬に突き放されての2着続きのあと、ようやく初勝利。
とは言え、2歳で中距離をこなせるとあって、出資者的にはクラシックの夢が膨らみます。
昇級して、年が明けた寒竹賞。あわや連勝か!?というところを伏兵マジックボーイの激走で2着。
3歳500万特別での善戦は、さらに期待を高めてくれました。
が、その後は善戦に留まるもの。
ゼンノロブロイやタイムウィルテルと走ったことも、「昔あいつとは一緒に走ったことがあるんよ~」みたいな感じで、このまま500万条件で好凡走を繰り返していくのかなと思っていました。
(筆者撮影
2007年1月14日
京都 雅S)
元々、兄がタイキレッドというダートで活躍した馬。父ルビアノもダート血統。
なのになぜ芝レースばかりという疑問は持っていました。
そろそろ引退かもなと、芝レースで頭打ちになっていたヴァンベールに転機が来たのは4歳の暮れ。
目先を変えて出走した中京のダートレースの直線、今でも思い出しますが、
いつもならここで伸び悩むところ、グングン伸びてきて
「あ、勝っちゃうよ!」と思わず声が出たほど。
ダート向きだったのです。
半信半疑で出走した次走、出遅れにもかかわらず、5馬身もちぎり、これは本物。
1000万クラス卒業までアッサリ。
そして一番人気で迎えた準オープン麦秋S。不可解な大敗。
その後も準オープンでは上位に入れず、ここで頭打ちかと思い出した頃ブラジルCで3着。
次第に好レースを繰り返すようになりました。
2着で負けた馬をあげると、ワイルドワンダー、イブロン、フィールドルージュ、トーセンブライト、タガノサイクロンなどオープン・重賞で活躍した馬ばかり。
オープンへの昇級を夢見ながらも準オープンで2年半近くも過ごしこのまま終わってしまうのか~と思ったころ、休み明けの2007年12月白嶺Sで見事勝利。
晴れてオープン馬となることができました。
その後はダートのオープンレース、中山金杯にも出走。
偶に入着する程度でしたが、オープンで戦えることに満足でした。
(大樹レーシングクラブ提供
2008年3月9日
阪神 仁川S)
今回、引退となりましたが、既に何年も前かえら覚悟していたこと。
タイキヴァンベールには競走馬への出資という体験を十分に満足させてもらい感謝の思いで一杯です。ありがとう。