私が独り立ちをしたのは、自分の家で「家庭集会」を開くためだった。
家庭集会とは、メッセンジャー(聖書を分かり易く読み解く人)をお迎えして、集まれる方が集まってお茶や食事をしながら自由なひと時過ごす会だ。
私は母に救われて欲しかった。母は不幸な結婚生をしていたから・・・。。
母は親としては申し分ないくらい優しく、綺麗で友達からは羨ましがられていた。
でも、私の記憶の中では俳人の「杉田久女」の様にいつも台所の片隅で考え事をしており、笑いが見られなかった。
私は母を笑わせたかった。それには信仰を持つことしか考えられなかった。
私が病気だったから、家庭集会をする時はいつも手助けに来てくれた。お掃除もしてくれて感謝している。
家庭集会を開くとき一度に出来ないので、案内状を出す日、買い物をする日、お料理又はケーキを焼く日、お皿類を並べる日、と分けて少しずつ準備した。
母は仕方なく来ていたが、皿洗いなどの家事をして、最初は家庭集会には参加しなかった。
それでは意味がなく呼び寄せて参加するようにし、色んな人の問題を聴いているうちに、不幸なのは自分だけではないのだと、少しずつ心を開いていった。
ドイツ人宣教師のベックさんも来てくださり、母は洗礼を受けるまでになった。
母には拝んでいる偶像(熊野摩崖仏)があったから、信仰は行きつ戻りつしながらも漸く笑顔が見られるようになった。
私の作戦は見事成功したのだった。
家庭集会にて 熊野摩崖仏
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