(三宮花時計、いよいよ出発です。左からkataさん、tazuさん、A太郎さんと私)
このところひんぱんなサイクリング。今回は、三宮花時計前午前10時15分集合とのことで楽々の自行(サイクリングの専門用語で電車、自動車を使わず自転車でいくこと。私は最近知りました)で参加した。さっそてくださったのはA太郎さん、メンバーは、83歳のkataさんとtazuさんと私の4名だ。すでにこれまでの「自転車生活」に登場する先輩たちである。天気は快晴、雨の心配もまったくなし。これ以上のサイクリング日和はない。
まずはポートアイランドに向かう。花時計より南下し、神戸税関前から橋を渡る。快適な歩行者・自転車専用道で、景色もいい。ポートアイから更に神戸空港島に渡る。その橋は、更に広い歩行者・自転車専用道があり気持ちがいい。kataさんの発見したのは、外灯ごとにお休みしているユリカモメだ。
(お休み中の外灯上のユリカモメ)
風もなく車も飛行機も(?)少なくて、スイスイと空港に着いた。ここまで約30分。空港が初めてのtazuさんのために(?)自転車をおいて見学に行く。私は飛行機のために一度、サイクリングで一度、神戸空港に来たことがある。市民の未来に大きな負債を負わせる神戸空港には反対であるが、どんな空港かは知らなくては(?)、と。
(さっそうと橋を渡るあこがれのkitaさん。走りながらパチリ。私のリックサックも映っている。)
昼ごはんをどこで食べるか? 二つの選択肢があった。ひとつは和田岬の神戸市場の安くて美味しい定食屋、もうひとつは新しくポートアイにできた大学の学生食堂である。いずれもリーダーA太郎さんのおすすめである。協議の末、というより、お腹もすいていい時間になったので後者・学生食堂に決定した。
(この内容で620円、上等だ。)
(レシートです)
ポーアイにこの4月から3つの大学ができたが、今回は神戸学院大学の学生食堂を訪問した。教職員用の少し高級な(?)食堂は満席だったので、隣の学生用食堂に入ったのである。教職員用食堂もランチが600円とあった。次回はそれを食べたい。
なにしろこの食堂は、開店が4月1日、我々が訪問したのは開店4日目で、サービスも満点。学生でなくてもウエルカムウエルカム、またきてネ、という感じであった。ただし、教職員用は日曜休み、学生用は土・日が休みである。大のおすすめだが、ご注意を。
更に別棟にある喫茶室でコーヒー、180円だった。天気がいいので海と山を見ながらいただいた。
(桜のトンネル、飛田の今年の秀作?)
次なる訪問先は、摩耶ケーブル下駅付近の「桜のトンネル」である。私は三宮への自行の途中に立ち寄っていた。本当に満開の見ごろなのだ。最後の急坂を登りきったら、桜のトンネルが眼前にあらわれた。私以外の3名はここが初めてとのことで、大感激。記念写真もたくさん撮った。
(桜のトンネルで記念写真)
そして、最終目的地の石井ダムに向かった。異人館街の北野町を抜け、山本通を通り、水の博物館を少しだけ見学し、西進する。ほどなく、湊中学校・湊山小学校に到着する。この学校は、飛田の出身校で懐かしい。
そして、都由乃町(つゆのちょう)の石井幼稚園に。ここも飛田の卒園園で、かつ、生誕の地。母がこの園の園長をしていて園内に私たち家族は住んでいたのである。涙がでそうに懐かしい!!!!????
(石井幼稚園前で)
石井ダムは、幼稚園の北にある烏原貯水池の更に北に防災用ダムとして昨年完成したのである。これも懐かしい烏原貯水池に行く道を間違った。様子が当たり前だがかわっているのである。
(カランカラン、チリンチリンの滝)
間違ったおかげで大発見ひとつ。私は石井幼稚園に小学校4年まで住んでいたが、ある年、カランカラン、チリンチリンの滝壺で中学生?が死亡したので決して近づかないようにと厳禁されていたところだが、その場所が(もちろん私は禁を犯して行ったことがある)分からなかったである。道を尋ねた地元の人がその滝のことを教えてくくれたのである。私が当時、どじょうを採ったりしてして遊んでいた場所のすぐ奥、烏原ダムの東側の沢だったようだ。
烏原貯水池は、kataさんの因縁の地でもある。1923年に完成したダムのために烏原村は水没し移転を余儀なくされたが、kataさん一家はその村に住んでいたのである。そのことを記念して、石臼が貯水池の石垣に残されている。kataさんのおじいさんは、「×番目から△番目まではうちの臼だ」と言われていたという。
(烏原貯水池の石垣の石臼)
(烏原貯水池の掲示板)
当時、おそらく週に2,3度は来ていた烏原貯水池広場の亀石(独特の抑揚<更に神戸弁ぽく?>で「かめいし」と発声)も現存していた。当時、欠けていた部分も復元されて、完璧な姿であった。
(私をなつかしそうに迎えてくれた亀石、奥のアンテナは菊水山)
烏原貯水池の名前の由来についての興味深い話をkataさんから伺った。法然上人?の弟子が京都で処刑されたとき、人間がその首をここに運んで弔った、では具合が悪いということで、烏(カラス)が運んできたことにしたのだという。そしてここの地名が烏原になったのだと言う。kataさんがおじいさんから聞いた話として教えてくれた。
貯水池から更に奥に進むと下水処理場。鈴蘭台が開発されてからできたものだ。このあたりは私の幼少のころよく飯盒炊爨ををしたところだ。更に進むと石井ダムが目の前にガーーンと現れる。このダムによって神戸電鉄の線路が湖底に沈むので付け替え工事が長い間行われていた。
(石井ダムの威容)
このダムの左側に300段の階段がある。この階段を自転車を担いで登るのである。さあ大変だ。
が、なんと、この階段をkataさんはすでに朝、自転車を担いで下りて三宮まで来られたのである。それだけではない。今も烏原貯水池横にある旧烏原村の墓地に時々、この階段を自転車を担いで降り/登りして時々通っておられるのである。もやは83歳のkataさんは怪物か・・・。
(300段の階段を自転車を担いであえぎあえぎ登る)
私はこんな長い階段を自転車を担いで登るのは初めてだ。でも少しずつ慣れて?、なんとかたどり着いた。前回は来たのは夕方で天気も悪かったが今回は快晴。関空のビルも見えるほどだ。
(石井ダムからみる関空の陸地側のビル。写真で見えるかな?)
(散歩に来ていた犬とたわむれるkataさん)
石井ダムで記念写真などして、最後の目的地・鈴蘭台地域のリーダーA太郎さんのご自宅に向う。A太郎さんは知る人ぞ知るチーズケーキづくりの名人。それが楽しみで石井ダムを登ってきたのである。そこで美味しいケーキをいただきながらしばし歓談。残念なことにチーズケーキはすぐに食べてしまったので、写真はない。
5時過ぎにそれぞれの家路につくことにした。もちろん?自行である。kataさんが一番近い。tazuさんは1時間ぐらいかけて西神方面へ。私は車が多くて怖い有馬街道を下ることにした。500Mのトンネルにはつらいものがあるが、なんとかクリアー。しばらく行くと有馬街道の旧道があり、そこは快適だった。
(平野の祇園神社)
やがて平野の祇園神社につく。私の生まれ育った石井幼稚園からは歩いて20分くらいか。この神社の夏祭りは子どものころの最大のイベントだった。学校からは午後9時に先生が、帰る時間だと見回りに来られていた。ときには先生と鬼ごっこも・・・。
今は、旧道の一部に夜店がでるだけだそうだが、昔は、平野交差点から、今の旧道のかなり上の方まで夜店がでていたのである。実は、「祇園祭(ぎおんさん、と発音する。念のため)」とはこの平野の祭だと思っていた。京都の祇園祭のことを聞き、「京都にもあるの」と言って笑われたことがある。
懐かしくなってそのあたりをウロウロした。平野町の東に五宮町に五宮(ごのみや)神社に行った。神戸は三宮神社が有名だが?、一宮神社から八宮神社まである。五宮神社は私の中学校の校区内にあるのに全く記憶がない。初めてかもしれない。
(五宮神社にあった神戸の神社の一覧表)
そのあとついでに、石井幼稚園のあと引越しをして中学2年ごろまで生活した再度筋(ふたたびすじ)にも立ち寄った。家は建て直されていたが露地はほぼそのまま残っていた。自転車だからどんな細い路地でも入れるのがうれしい。
なつかしうれしのこの日のサイクリングであった。鶴甲まで帰って70キロ。それなりによく走っている。A太郎さん、kataさん、tazuさん、ありがとうございました。
笹薮のがけに、名誉の滑り幸いゲガなし。
とハイキングの後は登り坂が待ってました。
万年青年さん御元気でーー
ikeは
5月4日~5日は青少年との走り大丈夫かな
ところで、ちりんちりんからんからんについて、最近知ったのですけど、もとは林間学校とかあって、プールがあったそうです。 神戸大水害(昭和13)で埋まってしまったあと、畑などに利用されていて、上の写真に写っている手前の構造物はその遺跡の一部分だそうです。
石井幼稚園ですか・・。
遺跡の一部・・。また確認に?いってみたいと思います。