●上石見-根雨-米子、下りの快適90キロ
10月25日(2007年)、神戸からJRで岡山、新見経由で上石見駅に着く。地図をみると近くに銀山もあるので、かの世界遺産かと思ったがここは鳥取県。別の石見である。

(伯備線普通列車の自転車席?)
27、28日に城崎で会議があるので、事前に?上石見にやってきたのである。めざすは「根雨」、亡くなった父の出身地で、私自身の本籍も結婚して移すまでは「鳥取県日野郡日野町根雨***」だった。小学校2,3年まで時々訪ねたことがある。

(上石見駅、鳥取県にも石見銀山があるのだ)
父が自慢していた「特急がとまる根雨」に直行してもよかったが、どうせならそのあたりで最も標高の高い上石見駅からスタートしたのである。
以前、自転車雑誌でJRの最も標高の高い小海線野辺山からのサイクリングを紹介してあったが、こんなのもいいなと思っていた。
地図を買って研究した。お薦めはダイソー100円ショップの「分県地図」だ。等高線を工夫しており、200M,500Mの境が一目瞭然だ。JR伯備線で分水嶺を越えると上石見だ。標高は約500M。
この分県地図、鳥取県などあるものは買い占めたが、残念ながら兵庫県版は品切れ。売り切れたら必ず増刷するものでもないらしい。(みんなでダイソーにリクエストしよう!!)

(米子から上石見に列車が登って来る。)

(根雨の標識が見えてきた)

(根雨より少し上流の発電所)
上石見駅で自転車を組み立てあたりを少しウロウロしてから石見川沿い、伯備線沿いにどんどんと下っていく。生山、黒坂をすぎていよいよ根雨だ。役場で本籍地を言うと場所を教えてくれた。飛田という家も3軒あるとのこと。

(父も通った?根雨小学校)

(小学校の?猫)
近くまでいって小学校のころの記憶を呼び覚まそうとするが分からない。訪ねた飛田さんは不在で、となりのそばや「そば道場・たたらや」で遅い昼ごはんにすることにした。そばうちの安達さんは私とほぼ同じ年代で、ここにずっとお住まいとのこと。そばは本当においしかった。親切に地域の方に電話もしてくださり、ほぼ父の旧家の場所が分かる。

(特急も停車する根雨駅)
幹線道路から根雨の町に入るところで、現在は道路だ。坂の具合をよくみると当時の面影があるような気もする。後日、安達さんはわざわざ電話をくださり、祖父家族は熱心はキリスト教で、祖母は奉仕活動をよくしていたという。父のことも覚えている人がいたとのことだ。
安達さんは、飛田家の墓も案内してくださった。(後日の電話で、それは別の飛田家のものだとのこと。)この墓地の管理(おもり)も安達さんがされているとのことだ。

(安達さんの「そば道場」)

(別の飛田家のお墓)

(このあたりに私も遊んだ家があった。今は道路になっている。)
根雨のまちをウロウロしたが、用水を自宅にひいて鯉を飼っているのを見て思い出した。家で余った食材をダバーと鯉にやっていたのを覚えているような気がする。(母が「天ぷらでもなんでもぶちまけていた」というのを聞いたの覚えているのか?)
根雨を後にして、石見川沿いを米子に向って走る。車は少ない。しかし伯耆溝口駅あたりまで下ってくると車が増えてくる。で、できるだけ旧道を行くことにした。だんだんと旧道を発見するコツのようなものが分かってくる。古い集落をキョロキョロしながら、トラックを気にせずに自転車を走らせるのは気分がいい。

(根雨をすぎて米子に向う。いい天気だ。)
なんとか夕方まだ明るいうちに米子に着く。ネット予約していたビジネスホテルに行く。それなりの?ホテルだ。翌日は雨の予報なので、また市内を自転車でウロウロする。米子港は、きれいだった。アベックには(この用語がおじさん?)おすすめだ。

(米子港の夕日)
夕食は自転車で物色していたホテルの近くのお店に入る。もちろん魚料理だ。ひとりですることは何もない。ビールも飲んで超リラックス(この用語はまあまあ?)
●2日目/米子から鳥取へ、それなりの100キロ
朝、天気予報通りの雨。それもけっこう降っている。ホテルで無料の?朝食をとってから、徒歩で米子駅あたりを散策。きょうはJRで、①香住あたりまでいって会議の日の朝に自転車で城崎に向かうか、②明日もまた雨だったら困るのでいっそ城崎まで行ってしまうか、③都会の鳥取市までいって美味しいものでも食べるかなどなど、思いをめぐらしながら米子駅前の場末的な食堂で新聞を読みながら2回目の朝ご飯を食べていた。
10時過ぎ、店をでて先の①②③、どれにしようかなと思っていたら、な、なんと雨がやんでいるではないか。フム、これは自転車で行けるところまで行かねばならない。ホテルにもどり、サイクリング仕様で出発だ。サイクリング仕様といっても、愛用のドイツ・ドイター製のリックサック(28リットル)ひとつ。これは、背中に空間があり、サイクリングには最適だ。そのリックに輪行袋もふくめてすべてをつめる。
米子駅から東へ東へと走る。大山(だいせん)も見えている。父が「富士山は3776メートル、大山は1776メートル」と何回も教えてくれた大山だ。いまも親戚がいる淀江も快調に走った。基本的には国道9号線を走る。しかしサイクリング界の常識では、ひとけた、ふたけたの国道をできるだけ走らない、だ。たしかに車が多い。
旧道をさがしてできるだけそこを走る。きょうの私の目標はできるだけ海岸線近くを走る、だ。例の地図での予習どおりJRなわ駅あたりから下市駅あたりまでは少々アップダウンはあったが、海岸沿いのすてきな道であった。また赤崎駅あたりから丸尾、逢束あたりまでもいい道だ。

(けっこう大きな鳥。目と目があった??)
9号線の北条バイパスと合流したら、そこを走らずに内陸側にいい旧道が続いている。下北条駅あたりから東郷池の北側を廻り込むべく羽合(ハワイ)町方面に。東条湖近辺は雰囲気のいいサイクリングロードがあり、ときどきその道を走ったが東には伸びていないようだ。
羽合町あたりはまた海岸線を進む。快適だが、距離が長いし、アップダウンもそれなりにある。青谷(あおや)駅と浜村駅の中間地点の八束水に来た。ここからいくつか道を間違った。楽をしようとトンネルを走ってしまったのだ。このブログを参考にしてサイクリングしようとする方のために以下、紹介したい。(といっても実際に走ったコースではない。無責任・・・)
八束水より東のトンネルは手前を内陸側に入ってから浜村駅経由で9号線にもどろう。
水尻池あたりには、これまた怖いトンネルが2本ある。自転車を押して歩いても怖いようなトンネルだ。ここは、ひとつめのトンネルの手前に酒津、水尻の掲示のある道を進もう。アップダウンは少々あるかも、またそこにもトンネルが一個あるが(地図をみているだけ)絶対に車もほとんど走っていない快適な道だ(のはずだ)。

(びっくるするぐらいの規模の海辺の墓地)
さらに進むと「因幡(いなば)の白兎(しろうさぎ)」の白兎(はくと)海水浴場の手前にもトンネルがある。これもきつかったが、回避するのは無理のようだ。
そしてまた少々つらい9号線を走ったのち、溝川あたりから9号線を内陸側にはずれて、湖山湖の北(日本海側)を通って鳥取市内に入る。町が近づくとよけい道に迷うものだ。暗くもなっていたし、「鳥取駅」の表示をみて右折したら「鳥大駅」だった。

(名探偵コナンの橋)

(自転車専用道路がけっこうある)

(いなばの白兎がこのあたりで鮫?をだました!!??)
迷ってしまってまた9号線らしき道を走ったら鳥取市街を行き過ぎた。親切に教えてくださる方がいた。
「鳥取大橋を渡ってニッサンの大きな看板を右に回ると自転車道的な歩道のある道がある。すこし遠回りだがJRの高架を越えて少し戻ると鳥取駅です。」
感謝のことばをのべて大橋を渡りかけたらハプニングが起きた。無灯火自転車の高校生が急に現れたのである。私はとっさの判断で自らこけた。幸い少々怪我しただけで、「ごめんなさい」という高校生に「いいですよ」と言って別れた。
チェーンがはずれていたので懸命にはめようとしたが、なかなかはまらない。これまで何度もチェーンをはずしているがこんなことは初めてだ。ギアーのところがまがっているようだ。
やむなく輪行袋に自転車をいれてタクシーで鳥取駅前まで行くことにした。橋の上ではなんなので、明るい店の前まで移動した。そこで再度ダメモトで、今度はギアーのところをかなりの力で引っ張ってみた。そしたらチェーンが入った。
おそるおそる試乗してみる。ギヤーがスムーズではないが、なんとか走れる。輪行袋をかたづけ、駅まで自転車で行くことにした。駅まで無事に着き、それなりのビジネスホテルをさがしてキェックインする。約100キロの2日目だった。

(鳥取市の飲み屋のトイレのマスコット)
●3日目/そして城崎へにて
鳥取から城崎へはJRで輪行。列車の本数も少なく結構時間がかかった。
夕方まで研究集会が続く。4時から映画「それでも僕はやっていない」の上映会があった。私はすでに見ているのでパスして自転車でまだ見ぬトンネルを見にいくことにする。
山陰線工事に朝鮮人労働者が関わったことは兵庫朝鮮関係研究会の徐根植さんらの研究で明らかになっている。山陰線は地形の険しいところが多く難工事であったが、その工事の跡を訪ねるフィールドワークを何度か行った。今年3月のフィールドワークは、「最後の餘部鉄橋」もひとつのポイントだあった。
これまでのフィールドワークで訪問できなかったトンネルがある。それが城崎近くの芦谷トンネルだ。香住から城崎に抜ける道沿いにあるが、その道が大型車侵入禁止の道なのでこれまで行けなかったのである。

(やっとたどりついた芦谷トンネル。)

(同、全景。)
そのトンネルをどうしても見たいと、自転車で城崎から香住方面に山道を登った。城崎大会議堂からしばらく登ると志賀直哉ゆかり「桑の木」があった。そういえば小説にあったかなあ??

(志賀直哉ゆかりの「桑の木」の看板。もちろん?木もありました。)
道はけっこう急で、線路がどこを走っているのか分からないくらいだ。そこに列車がきた。木々の間に列車が見える。そして、トンネルに消えていった。芦谷トンネルだ。足場の悪い道を下っていくと、トンネルの入口があった。(どっちが入口で、どっちが出口かはわかなない。)
写真をとって大満足のはずなのに、出口も見てみたいと思ってしまった。更に自転車で登っていく。バスが通れないはずの道路だが結構いい道だ。車用のトンネルが見えてきた。これが峠でこれを抜けて坂を下ると芦谷トンネルの出口だ、と考えたが、間違いだった。
(トンネルを抜けると道は急に狭くなり、バス通行禁止を納得する)

(城崎温泉から峠まできてしまう。)
最初から地図を見ていれば明らかだったのだが、その出口?あたりに自動車道はない。自転車はドンドン下って竹野まででてしまった。また城崎に山道を登り返すのは辛すぎるので、海岸線を城崎に戻ることにした。
日本海を眺めながらのサイクリングで気分はいいのだが高低差がけっこうある。海岸沿いの少し平坦なところに集落があるが、集落と集落の間は山なのである。だんだんと暗くなってくる。心細い。車がほとんど通らないのは、いつもは大歓迎だが、きょうは不安だ。平井ノ鼻あたりでは雨も降ってきた。

(日本海は荒れている。暗くなってくる。心細い。)
でもなんとかかんとか城崎まで帰ってきた。宿の人は、大雨で大変だったでしょう、という。城崎は大雨だったらしい。そういえば道がそうとうに濡れている。私が心細く思った雨は城崎の雨に比べればたいしたことなかったようだ。外湯につかり、ゆうゆうに7時の夕食に間に合った。夕方からの26キロのかなりのアップダウンのサイクリングであった。
●4日目/円山川周辺をうろうろして豊岡へ
予定通り昼に集会が終る。当初の予定ではとことんこのあたりをサイクリングして、夕方の列車で神戸に帰るつもりだった。が、あいにく神戸で用事ができてしまった。それでもギリギリの3時半の豊岡発の特急までサイクリングすることにした。

(円山川の雄大な流れ)

(早朝に走った城崎温泉対岸のまっすぐな農道?)
まず円山川を日本海側に走る。きのう心細く走った道だ。津居山あたりで鮮魚店のおっちゃん推薦の食堂で昼食。たしかに美味しかった。

(この食堂、おすすめです。)
昼食後、円山川の港大橋を渡り気比(きひ)海水浴場あたりへ行く。むくげの寺岡さんに聞いたら詳しいだろうが、このあたりは古代には日本の大陸への玄関口のひとつとして栄えていたのだろう。!?!?

(気比海岸のサーファーと子ども)
また道を戻って城崎から豊岡へと進むと単純なのだが、地図をチラッと見てから円山川からはずれて畑上方面から飯谷峠経由で城崎に戻ることにした。畑上まではほんとうに平坦かつ車のいない、レースのできそうな道路だった。

(なが~~い直線道路)
が、飯谷峠はかなりの峠だった。これでも県道かという感じ。そういえば地図上で畑上までの道は直線的でとうげの道はグニャグニャとしている。地図の等高線が良くみえなかったが、グニャグニャしている道は要注意である。(当たり前か!!??)
城崎にはもどらずそのまま円山川右岸(東側)を豊岡に向かう。玄武洞も通った。通行止めのむこうの円山川の土手に自転車を発見して、私も登ってみた。日曜日で工事車両は通らない。かなり長い最高のサイクリング道路であった。

(堤防のうえの素敵な道)

(円山川にはススキがよく似合う?)
最後、豊岡市街で迷ったが無事に豊岡駅に到着。自転車を輪行袋につめて予定通りと特急に乗り込んだ。最終日は約50キロ。
駅でピーナツとビールを買い、車中でひとり乾杯。充実したサイクリングを締めくくった。ピーナツが安くてたくさんあったのでよく食べたが、ピーナツはお腹の中で膨れるのか、夜まで気分が良くなかった。
10月25日(2007年)、神戸からJRで岡山、新見経由で上石見駅に着く。地図をみると近くに銀山もあるので、かの世界遺産かと思ったがここは鳥取県。別の石見である。

(伯備線普通列車の自転車席?)
27、28日に城崎で会議があるので、事前に?上石見にやってきたのである。めざすは「根雨」、亡くなった父の出身地で、私自身の本籍も結婚して移すまでは「鳥取県日野郡日野町根雨***」だった。小学校2,3年まで時々訪ねたことがある。

(上石見駅、鳥取県にも石見銀山があるのだ)
父が自慢していた「特急がとまる根雨」に直行してもよかったが、どうせならそのあたりで最も標高の高い上石見駅からスタートしたのである。
以前、自転車雑誌でJRの最も標高の高い小海線野辺山からのサイクリングを紹介してあったが、こんなのもいいなと思っていた。
地図を買って研究した。お薦めはダイソー100円ショップの「分県地図」だ。等高線を工夫しており、200M,500Mの境が一目瞭然だ。JR伯備線で分水嶺を越えると上石見だ。標高は約500M。
この分県地図、鳥取県などあるものは買い占めたが、残念ながら兵庫県版は品切れ。売り切れたら必ず増刷するものでもないらしい。(みんなでダイソーにリクエストしよう!!)

(米子から上石見に列車が登って来る。)

(根雨の標識が見えてきた)

(根雨より少し上流の発電所)
上石見駅で自転車を組み立てあたりを少しウロウロしてから石見川沿い、伯備線沿いにどんどんと下っていく。生山、黒坂をすぎていよいよ根雨だ。役場で本籍地を言うと場所を教えてくれた。飛田という家も3軒あるとのこと。

(父も通った?根雨小学校)

(小学校の?猫)
近くまでいって小学校のころの記憶を呼び覚まそうとするが分からない。訪ねた飛田さんは不在で、となりのそばや「そば道場・たたらや」で遅い昼ごはんにすることにした。そばうちの安達さんは私とほぼ同じ年代で、ここにずっとお住まいとのこと。そばは本当においしかった。親切に地域の方に電話もしてくださり、ほぼ父の旧家の場所が分かる。

(特急も停車する根雨駅)
幹線道路から根雨の町に入るところで、現在は道路だ。坂の具合をよくみると当時の面影があるような気もする。後日、安達さんはわざわざ電話をくださり、祖父家族は熱心はキリスト教で、祖母は奉仕活動をよくしていたという。父のことも覚えている人がいたとのことだ。
安達さんは、飛田家の墓も案内してくださった。(後日の電話で、それは別の飛田家のものだとのこと。)この墓地の管理(おもり)も安達さんがされているとのことだ。

(安達さんの「そば道場」)

(別の飛田家のお墓)

(このあたりに私も遊んだ家があった。今は道路になっている。)
根雨のまちをウロウロしたが、用水を自宅にひいて鯉を飼っているのを見て思い出した。家で余った食材をダバーと鯉にやっていたのを覚えているような気がする。(母が「天ぷらでもなんでもぶちまけていた」というのを聞いたの覚えているのか?)
根雨を後にして、石見川沿いを米子に向って走る。車は少ない。しかし伯耆溝口駅あたりまで下ってくると車が増えてくる。で、できるだけ旧道を行くことにした。だんだんと旧道を発見するコツのようなものが分かってくる。古い集落をキョロキョロしながら、トラックを気にせずに自転車を走らせるのは気分がいい。

(根雨をすぎて米子に向う。いい天気だ。)
なんとか夕方まだ明るいうちに米子に着く。ネット予約していたビジネスホテルに行く。それなりの?ホテルだ。翌日は雨の予報なので、また市内を自転車でウロウロする。米子港は、きれいだった。アベックには(この用語がおじさん?)おすすめだ。

(米子港の夕日)
夕食は自転車で物色していたホテルの近くのお店に入る。もちろん魚料理だ。ひとりですることは何もない。ビールも飲んで超リラックス(この用語はまあまあ?)
●2日目/米子から鳥取へ、それなりの100キロ
朝、天気予報通りの雨。それもけっこう降っている。ホテルで無料の?朝食をとってから、徒歩で米子駅あたりを散策。きょうはJRで、①香住あたりまでいって会議の日の朝に自転車で城崎に向かうか、②明日もまた雨だったら困るのでいっそ城崎まで行ってしまうか、③都会の鳥取市までいって美味しいものでも食べるかなどなど、思いをめぐらしながら米子駅前の場末的な食堂で新聞を読みながら2回目の朝ご飯を食べていた。
10時過ぎ、店をでて先の①②③、どれにしようかなと思っていたら、な、なんと雨がやんでいるではないか。フム、これは自転車で行けるところまで行かねばならない。ホテルにもどり、サイクリング仕様で出発だ。サイクリング仕様といっても、愛用のドイツ・ドイター製のリックサック(28リットル)ひとつ。これは、背中に空間があり、サイクリングには最適だ。そのリックに輪行袋もふくめてすべてをつめる。
米子駅から東へ東へと走る。大山(だいせん)も見えている。父が「富士山は3776メートル、大山は1776メートル」と何回も教えてくれた大山だ。いまも親戚がいる淀江も快調に走った。基本的には国道9号線を走る。しかしサイクリング界の常識では、ひとけた、ふたけたの国道をできるだけ走らない、だ。たしかに車が多い。
旧道をさがしてできるだけそこを走る。きょうの私の目標はできるだけ海岸線近くを走る、だ。例の地図での予習どおりJRなわ駅あたりから下市駅あたりまでは少々アップダウンはあったが、海岸沿いのすてきな道であった。また赤崎駅あたりから丸尾、逢束あたりまでもいい道だ。

(けっこう大きな鳥。目と目があった??)
9号線の北条バイパスと合流したら、そこを走らずに内陸側にいい旧道が続いている。下北条駅あたりから東郷池の北側を廻り込むべく羽合(ハワイ)町方面に。東条湖近辺は雰囲気のいいサイクリングロードがあり、ときどきその道を走ったが東には伸びていないようだ。
羽合町あたりはまた海岸線を進む。快適だが、距離が長いし、アップダウンもそれなりにある。青谷(あおや)駅と浜村駅の中間地点の八束水に来た。ここからいくつか道を間違った。楽をしようとトンネルを走ってしまったのだ。このブログを参考にしてサイクリングしようとする方のために以下、紹介したい。(といっても実際に走ったコースではない。無責任・・・)
八束水より東のトンネルは手前を内陸側に入ってから浜村駅経由で9号線にもどろう。
水尻池あたりには、これまた怖いトンネルが2本ある。自転車を押して歩いても怖いようなトンネルだ。ここは、ひとつめのトンネルの手前に酒津、水尻の掲示のある道を進もう。アップダウンは少々あるかも、またそこにもトンネルが一個あるが(地図をみているだけ)絶対に車もほとんど走っていない快適な道だ(のはずだ)。

(びっくるするぐらいの規模の海辺の墓地)
さらに進むと「因幡(いなば)の白兎(しろうさぎ)」の白兎(はくと)海水浴場の手前にもトンネルがある。これもきつかったが、回避するのは無理のようだ。
そしてまた少々つらい9号線を走ったのち、溝川あたりから9号線を内陸側にはずれて、湖山湖の北(日本海側)を通って鳥取市内に入る。町が近づくとよけい道に迷うものだ。暗くもなっていたし、「鳥取駅」の表示をみて右折したら「鳥大駅」だった。

(名探偵コナンの橋)

(自転車専用道路がけっこうある)

(いなばの白兎がこのあたりで鮫?をだました!!??)
迷ってしまってまた9号線らしき道を走ったら鳥取市街を行き過ぎた。親切に教えてくださる方がいた。
「鳥取大橋を渡ってニッサンの大きな看板を右に回ると自転車道的な歩道のある道がある。すこし遠回りだがJRの高架を越えて少し戻ると鳥取駅です。」
感謝のことばをのべて大橋を渡りかけたらハプニングが起きた。無灯火自転車の高校生が急に現れたのである。私はとっさの判断で自らこけた。幸い少々怪我しただけで、「ごめんなさい」という高校生に「いいですよ」と言って別れた。
チェーンがはずれていたので懸命にはめようとしたが、なかなかはまらない。これまで何度もチェーンをはずしているがこんなことは初めてだ。ギアーのところがまがっているようだ。
やむなく輪行袋に自転車をいれてタクシーで鳥取駅前まで行くことにした。橋の上ではなんなので、明るい店の前まで移動した。そこで再度ダメモトで、今度はギアーのところをかなりの力で引っ張ってみた。そしたらチェーンが入った。
おそるおそる試乗してみる。ギヤーがスムーズではないが、なんとか走れる。輪行袋をかたづけ、駅まで自転車で行くことにした。駅まで無事に着き、それなりのビジネスホテルをさがしてキェックインする。約100キロの2日目だった。

(鳥取市の飲み屋のトイレのマスコット)
●3日目/そして城崎へにて
鳥取から城崎へはJRで輪行。列車の本数も少なく結構時間がかかった。
夕方まで研究集会が続く。4時から映画「それでも僕はやっていない」の上映会があった。私はすでに見ているのでパスして自転車でまだ見ぬトンネルを見にいくことにする。
山陰線工事に朝鮮人労働者が関わったことは兵庫朝鮮関係研究会の徐根植さんらの研究で明らかになっている。山陰線は地形の険しいところが多く難工事であったが、その工事の跡を訪ねるフィールドワークを何度か行った。今年3月のフィールドワークは、「最後の餘部鉄橋」もひとつのポイントだあった。
これまでのフィールドワークで訪問できなかったトンネルがある。それが城崎近くの芦谷トンネルだ。香住から城崎に抜ける道沿いにあるが、その道が大型車侵入禁止の道なのでこれまで行けなかったのである。

(やっとたどりついた芦谷トンネル。)

(同、全景。)
そのトンネルをどうしても見たいと、自転車で城崎から香住方面に山道を登った。城崎大会議堂からしばらく登ると志賀直哉ゆかり「桑の木」があった。そういえば小説にあったかなあ??

(志賀直哉ゆかりの「桑の木」の看板。もちろん?木もありました。)
道はけっこう急で、線路がどこを走っているのか分からないくらいだ。そこに列車がきた。木々の間に列車が見える。そして、トンネルに消えていった。芦谷トンネルだ。足場の悪い道を下っていくと、トンネルの入口があった。(どっちが入口で、どっちが出口かはわかなない。)
写真をとって大満足のはずなのに、出口も見てみたいと思ってしまった。更に自転車で登っていく。バスが通れないはずの道路だが結構いい道だ。車用のトンネルが見えてきた。これが峠でこれを抜けて坂を下ると芦谷トンネルの出口だ、と考えたが、間違いだった。
(トンネルを抜けると道は急に狭くなり、バス通行禁止を納得する)

(城崎温泉から峠まできてしまう。)
最初から地図を見ていれば明らかだったのだが、その出口?あたりに自動車道はない。自転車はドンドン下って竹野まででてしまった。また城崎に山道を登り返すのは辛すぎるので、海岸線を城崎に戻ることにした。
日本海を眺めながらのサイクリングで気分はいいのだが高低差がけっこうある。海岸沿いの少し平坦なところに集落があるが、集落と集落の間は山なのである。だんだんと暗くなってくる。心細い。車がほとんど通らないのは、いつもは大歓迎だが、きょうは不安だ。平井ノ鼻あたりでは雨も降ってきた。

(日本海は荒れている。暗くなってくる。心細い。)
でもなんとかかんとか城崎まで帰ってきた。宿の人は、大雨で大変だったでしょう、という。城崎は大雨だったらしい。そういえば道がそうとうに濡れている。私が心細く思った雨は城崎の雨に比べればたいしたことなかったようだ。外湯につかり、ゆうゆうに7時の夕食に間に合った。夕方からの26キロのかなりのアップダウンのサイクリングであった。
●4日目/円山川周辺をうろうろして豊岡へ
予定通り昼に集会が終る。当初の予定ではとことんこのあたりをサイクリングして、夕方の列車で神戸に帰るつもりだった。が、あいにく神戸で用事ができてしまった。それでもギリギリの3時半の豊岡発の特急までサイクリングすることにした。

(円山川の雄大な流れ)

(早朝に走った城崎温泉対岸のまっすぐな農道?)
まず円山川を日本海側に走る。きのう心細く走った道だ。津居山あたりで鮮魚店のおっちゃん推薦の食堂で昼食。たしかに美味しかった。

(この食堂、おすすめです。)
昼食後、円山川の港大橋を渡り気比(きひ)海水浴場あたりへ行く。むくげの寺岡さんに聞いたら詳しいだろうが、このあたりは古代には日本の大陸への玄関口のひとつとして栄えていたのだろう。!?!?

(気比海岸のサーファーと子ども)
また道を戻って城崎から豊岡へと進むと単純なのだが、地図をチラッと見てから円山川からはずれて畑上方面から飯谷峠経由で城崎に戻ることにした。畑上まではほんとうに平坦かつ車のいない、レースのできそうな道路だった。

(なが~~い直線道路)
が、飯谷峠はかなりの峠だった。これでも県道かという感じ。そういえば地図上で畑上までの道は直線的でとうげの道はグニャグニャとしている。地図の等高線が良くみえなかったが、グニャグニャしている道は要注意である。(当たり前か!!??)
城崎にはもどらずそのまま円山川右岸(東側)を豊岡に向かう。玄武洞も通った。通行止めのむこうの円山川の土手に自転車を発見して、私も登ってみた。日曜日で工事車両は通らない。かなり長い最高のサイクリング道路であった。

(堤防のうえの素敵な道)

(円山川にはススキがよく似合う?)
最後、豊岡市街で迷ったが無事に豊岡駅に到着。自転車を輪行袋につめて予定通りと特急に乗り込んだ。最終日は約50キロ。
駅でピーナツとビールを買い、車中でひとり乾杯。充実したサイクリングを締めくくった。ピーナツが安くてたくさんあったのでよく食べたが、ピーナツはお腹の中で膨れるのか、夜まで気分が良くなかった。
『雄さんの自転車旅行体験記』母に送ってもらってありがとうございます、とても喜んでいました。やはり根雨の話となると懐かしいようです。根雨には一昨年、昨年と連れて帰りました。我々の先祖、祖父母のお墓は坂を上がって雄さん見た別の飛田家のお墓の左手前のお墓です。雄ちゃん、つうちゃんともネコちゃん家族が多いようですが、我が家にも犬(シェリー)8才を筆頭にネコ(小豆、寅次郎、小太郎、美黒(ミク)、湖々)5猫です。機会が有ったら是非会いたいものですね。まずは御礼まで。
お宅のネコの方が、すごいですね。機会をみつけて再会したいと思います。みなさまによろしくお伝えください。