(快鷹丸遭難碑)
浦項の2日目、POSCO前を通り、半島を時計周りに半島を回る。
新井英一の歌で有名な迎日湾を望みながら回った。
「快鷹丸遭難碑」。1907年(M40)9月3日、快鷹丸が遭難した。
1926年、花崗岩の記念碑が建てられたが、1945年、それは九萬洞の住民によって打ち壊されたが、1971年、住民の反対運動があったが12月に韓国人の手によって再建された。
この半島には虎の形に似た朝鮮半島のしっぽの部分にあたる。虎尾岬と言われる由縁だ。
大きな手の像が2つある。立派な新千年記念館がある。
ここが韓国で最初に陽が登るところで、元旦にはたくさんの人が集まるようだ。
(快鷹丸遭難碑の裏面、亡くなった方々の名が刻まれている)
(日本語の説明文もある)
(有名な李陸史の「青葡萄」の詩碑、むかし、朝鮮語の勉強で暗記したこともあるが・・・)
(李陸史年表です)
(詩碑全体です)
(新千年記念館です)
(海にも大きな手があります)
(結構大きいです)
(虎尾岬です。たくさん虎がいます。)
(しっぽの先が虎尾岬です)
(新千年の光です)
(大きな釜)
(これ、です)
(正月には二万人?分のスープができます)
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