秀山の俳句写真日記

日々の生活、旅先での出逢い・思いを俳句、写真、文にした徒然日記です

(その5 三千院 来迎院)コロナ禍でのヴァーチャル京都もみじ狩

2020年12月22日 00時58分19秒 | 旅行

大蕪につられはんなり試食かな

 三千院でのお参りを終えて参道に出ますと、樽に大きな蕪が大盛りされているいかにも老舗という風情の漬物店がありました。明治34年(1901年)創業の「土井志ば漬本舗」です。京都・大原に千年前から伝わる製法を守りつづけているとのことで、歴史の重み・旨味を感じました。

 漬け物はお酒のダイエットつまみ(?)として私の大好物です。京野菜を漬けた漬物を「京漬物」と呼び、中でも「千枚漬け」、「すぐき漬け」、「しば漬け」は「京都三大漬物」とのことです。聞きなれない「すぐき漬け」とは、蕪の一種の「酸茎菜(すぐきな)」を塩漬けしたものです。また、大原は昔から赤紫蘇の産地として有名で、茄子、胡瓜、茗荷などの京野菜を紫蘇の葉と共に漬けた「しば漬け」発祥の地だそうです。

 「はんなり漬け大根」というのもありました。初めて出逢う「はんなり」とは京ことばで、上品ではなやかな感じがするさまを表す言葉とのことです。食べ物を形容する場合は、「濃くも薄くもなくその中にほんのり優しい、しかししっかりと上品な味わい」を意味するのだそうです。「しょっぱい」、「からい」、「あまい」と一言では言い表せない趣の深い味なのでしょう。長い食の歴史文化を持つ京都ならではの言葉と思いました。

 

裏道まで声明朗々朝もみじ

朝日あびもみじ高みへ三千院

   

 漬物屋さんから来迎院に行きました。歩いて5分ほどのところにあり、その途中には江戸時代以前の歴史を感じさせる高い塀が長く続きます。その塀の造りは下から石垣・白壁・瓦屋根という立派なもので、見上げるような高いもみじの木が朝日を浴びながらお寺の中から道にせり出しています。どこからか、声明が朗々と流れてきます。なんとなく、時間が江戸以前に遡り、静けさ、雅、荘厳さを感じられたひと時でした。

 来迎院は平安時代初期(9世紀頃)、天台宗の慈覚大師・円仁が声明の修練道場として開山され、天台声明の音律の根源の地と言われています。声明の起源はインドで、奈良・平安時代に中国を経て日本に伝来したとのことです。キリスト教の聖歌とは異なるゆったりとした時の流れと心の安らぎを感じさせてくれます。


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(その4 三千院)コロナ禍でのヴァーチャル京都もみじ狩

2020年12月20日 22時09分58秒 | 旅行

朝もみじ徒歩御寺への道すがら

広々と三千院のもみじ狩

静やかに朝の日蔭のもみじかな

朝の日に陰陽の美の黄葉かな

樹間より朝日もみじの浮かびをり

三千院もみじは淡きグラデーション

 京都もみじ狩の二日目は、朝食前に霜の降りた大原の里を散策し、寂光院にも立ち寄りました。体は冷え切りましたが、温かい朝食でエネルギーを補充し、9時頃宿を出、徒歩で三千院に向かいました。大原の里は三千院も含め、黄色のもみじが多いような印象を受けました。

 三千院のもみじの景は、午前中ということもあるのかもしれませんが、朝の日の当たるところと日蔭のところそれぞれに、静かで落ち着きのある美しさを感じました。

 

苦難へし御寺に静か黄葉もゆ

御仏の慈愛千年黄葉もゆ

 天台宗の三門跡寺院(注)の一つである三千院は、広くて開放的で親しみやすいお寺のように感じました。「三千院」の寺名は1871年(明治4年)から使われ始めたとのことで、昔からのお名前と思っていた私には意外でした。波瀾万丈の道を歩まれたお寺さんのようで、開基は8世紀。その後各地を転々とし、寺名も変わり、明治4年に今日の「三千院」になったそうです。

   (注)他の二つは青蓮院と妙法院

 国宝の阿弥陀如来像は往生極楽院本堂に安置されています。仏像は比較的大きく立派なものですが、堂は小さく極めて開放的のように私には思えました。この像と堂とのある意味アンバランスのお蔭で、国宝の仏像が建物の中というよりお庭、又は自然の中におられるようで、とても身近に感じました。阿弥陀さんをしばし拝顔しながら、この千年、このお一人の阿弥陀さんに、数えきれない人間が願いや悩みを打ち明けながら今日に至る不思議さを思いました。慈愛溢れるお顔をされているこの阿弥陀さんはそもそも何なんだろう、とも思いました。

山茶花や明るく耐へむコロナ禍も

 山茶花にも出会いました。この花の花言葉は「困難に打ち克つ」、「ひたむきさ」とのことです。生きるには厳しい冬に花を咲かせる山茶花です。日の当たるもみじを背景にした日蔭の白い山茶花には、「美しさ」と「逞しさ」を感じました。


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(その3 大原 寂光院)コロナ禍でのヴァーチャル京都もみじ狩

2020年12月13日 00時13分51秒 | 旅行
大原や豚の味噌鍋一人酒
大原やひとり燗酒方丈記
 
 
 大原の里を訪れるのは今回が初めてです。高校時代、古典は苦手な科目でしたが、なぜか「大原」の名前は心に惹かれていました。
 今回の京のもみじ見たさの旅立ちは衝動的でしたが、大原の里の民宿を選んだのは潜在的な憧れがあったのかな~、と思います。
 鞍馬寺を出る頃は日も暮れ始め、宿に着いた時は結構寒かったのを覚えています。泊り客は少なく、湯につかり、一人部屋でひとり名物・豚の味噌鍋をつつきつつ、燗の酒をちびりチビリと味わっていました。無音の時空で、鴨長明さんの時代に思いを馳せました。方丈記を持っていきましたので、拾い読みもしました。その一節;
五十の春をむかへて、家をいで世をそむけり。もとより妻子なければ、捨てがたきよすがもなし。身に官祿あらず、何につけてか執をとゞめむ。むなしく大原山の雲にふして、またいくそばくの春秋をかへぬる・・・
 
 一夜明け、朝食前に寂光院まで散策しました
 
長明の棲みし大原霜の朝
大原は紅葉に霜の取り合せ
手袋がほしや大原朝もみじ
 
 
 
 
 いや~、寒かったです。もみじの時期に霜が降りるているとは、私にとっては予期せぬ出来事でした。そして、賑やかな京都の町から目と鼻の先でしかない大原の風景が全くの素朴な山里なのには驚き、感動もしました。長明さんの時代は人も家ももっともっとまばらだったのでしょうか?ここに5年ほど住まわれ、60歳の時に大原より南の伏見区の日野山に三丈の庵を作り、62歳でご逝去とのこと。
 ヨーロッパの諺に「最後に笑う者が最もよく笑う(He laughs best who laughs last)」というのがあります。私は人生をこのように終えられたらと思っていますが、長明さんの場合はどうだったのでしょうか・・・
 
建礼門院の祈り寂光もみじ路
長明も聴くや囀り冬もみじ
 
 
 寂光院はそのホームページによれば、天台宗の尼寺で推古2(594)年に聖徳太子が父・用明天皇の菩提を弔うために建立されたとのことです。その後、時を経て1185年、この年の4月、源平の壇ノ浦の戦いで入水したものの助けられた建礼門院(注)は、同年9月に入寺し真如覚比丘尼と称し、平家一門と我が子安徳天皇の菩提を弔いながら、終生を過ごしました。
    注:平清盛息女、高倉天皇中宮、安徳天皇母
 寂光院に着いたのは開門時間前でしたので中には入れませんでした。寂光院の歴史が念頭にもあったからか、周りから見た当院は質素で落ち着きのある優しいお寺のように思えました。「寂光」とは「静寂な涅槃の境地から発する智慧の光」とのこと(広辞苑)。石を敷きしめ朝露に濡れた寂光院への小路は味わい深いものがありました。波乱万丈の人生を送った建礼門院その人と、彼女の祈りのことを思いながら寒い大原の冬もみじをしばし眺めていました。
 寂光院の生け垣越しから小鳥の囀りが聞こえてきました。朝の静寂の中、冬もみじをバックに小鳥たちが歌い、お喋りをし、ちょんチョンと跳び回り、時折私と目が合う(と思う)場面に逢えたのはラッキーでした。人間界との関係を疎遠にした長明さんは小鳥たちの会話が分かり、ひょっとするとお話しができたかもしれません。
 このような訳で、宿に戻った時は身体が冷え切り、部屋の暖房とご飯とお味噌汁の暖かさが一番のご馳走であったことを今でも覚えています。

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(その2 鞍馬寺)コロナ禍でのヴァーチャル京都もみじ狩

2020年12月12日 16時04分27秒 | 旅行

西日受け美の深みますもみじかな

冬千回杉の根生命逞しく    生命:いのち

 

 齢を重ねますと、いつの間にか仏教的な感受性が沁みこんでいるようで、鞍馬山での西日は優しく、もみじの美しさも一段と深みを増し、なにかありがたみを感じます。

 鞍馬駅から鞍馬寺の本殿金堂までは結構な山道です。さらに奥の院参道を登っていきますと「木の根道」に辿り着きます。杉の木の太さ・高さよりも、その太くて長い根が大地をがっちりと掴んでいる様に感銘を受けます。

 この根を観ながら三木成夫さん(1925~87年の生命形態学者)の本をおぼろげながら思い出しました。

 地球の最初の生命は「原初の海に生まれた小さな有機滴」。それが菌類に発展し、さらに植物と動物に分化した。光合成能力を具備した植物は天と地に向かい、植わったままで生本来の「栄養と生殖」の営みを展開する。合成能力を持たぬ動物は、動き回って植物の実りか、それを食べた動物の体を食べて「栄養と生殖」の営みを展開。動物はこの営みの中で「感覚と運動」能力を獲得してきた。

 木も人間と同根であり、かつ人間は木に生を依存している。しばし、木の肌に耳をつけていました。なにも聞こえませんでしたが・・・。


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(その1正定院ちご地蔵 鞍馬寺)コロナ禍でのヴァーチャル京都もみじ狩

2020年12月10日 10時16分27秒 | 旅行

今回からの京都もみじ狩紀行は、実は12年前のものです。

 今年は、11月末から12月の初旬にかけて家内と京都のもみじ狩に行く予定でしたが、コロナ禍との関係で取り止めました。2008年のちょうど同じ時期、急に京都のもみじが見たくなり、一人で朝6時に家を飛び出して行ってきました。当時の俳句と写真を見ますと記憶が鮮やかに甦ってきます。そこで、今年の夏の新緑の京都と重ねながらヴァーチャルもみじ狩を試みることにしました。

京もみじ見むと朝焼け東立

    東立:あづまだち、芭蕉ゆかりの小名木川にて

 

臨時バスもみじ盛りの京都行

お地蔵さんと背の子まなざし冬うらら

    正定院ちご地蔵

孫宿るの 報旅先で京もみじ

いざ行かむ鞍馬天狗のもみじ見に

 

 二泊三日で大原の民宿にお世話になり、鞍馬寺、寂光院、三千院、天竜寺、二尊院、清水寺、嵐山、真如堂、永観堂、二条城のもみじを観てきました。

 伊丹空港に着きましたら、京都には臨時バスが出ていました。最初の目的地は鞍馬寺ですので、叡山電車鞍馬線「出町柳」駅で下車。電車への乗り継ぎに時間が少しありましたので、晴れわたる暖かい日差しの中(まさに「冬うらら」です)、駅周辺をぶらぶら歩いていましたら、女の子を背負っているお地蔵さんが目に入りました。初めて見る取り合せのお地蔵さんで、女の子と地蔵さんの眼差しがえも言われぬ心打つものでしたので、写真を撮らせていただきました。この後です、家内からの「電話ください」とのメールに気付き、「何事か?」と思いながら電話しましたら、娘に二人目が宿ったとのこと。驚きました~! ちご地蔵さんとの出逢いは全くの偶然で、そこに予期せぬ孫宿るの吉報です。私にとっては三番目の孫で、全てに感謝しました。

 

鞍馬線もみじ観覧電車なり

京もみじ見よとばかりに鞍馬寺

御社の朱とまじりあふ紅葉かな

         御社:みやしろ

誰がなすや黄葉紅葉の取り合せ

      誰:た、 黄葉紅葉:もみじもみじ

 

 

 

孫宿り願ひ事ふゆもみじ旅

 

                      その1おわり・・・


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