1945年(昭和20年)
8月6日
午前8時15分
アメリカ軍は日本の広島市に原子爆弾を投下しました。
使われた爆弾は
「Mark‐1:リトルボーイ:Little Boy(小さな少年?)」
ウラン型の核爆弾です。
ちなみに8月9日に長崎で投下された爆弾は
「Mark‐3:ファットマン:Fat Man(太っちょ?)」
プルトニウム型の核爆弾です。
核爆弾の歴史を少しおさらいしてみたいと思います。
原子爆弾の歴史はアメリカ合衆国から始まります。
アメリカ合衆国
1942年 : アメリカが開発を進める、(マンハッタン計画)
1945年7月16日 : 人類最初の原爆実験(トリニティ実験)が実行。ニューメキシコ州のアラモゴード軍事基地の近郊の砂漠で行われる。
→ 原子爆弾のコードネームはガジェット (Gadge)
ソビエト連邦
1943年 : 開発を始める
1949年8月29日 : 核実験成功(プルトニウム型原爆RDS-1)カザフ共和国(当時)のセミパラチンスク核実験場。
イギリス
1952年10月3日 : 核実験(ハリケーン作戦)、モンテベロ諸島と西オーストラリアの間の珊瑚礁で行った。
フランス
第二次世界大戦直後から開発を続けていたが、一時停止、その後
1948年 : 開発
1960年2月13日 : 核実験に成功。(アルジェリア領のサハラ砂漠)
CHINA(中国)
1960年代より開発第9学会と呼ばれる研究都市を海北チベット族自治州に設けて、核開発を推進してきた。
1964年10月16日 : 原子爆弾実験に成功。
1967年 6月17日 : 初の水素爆弾実験に成功。
インド
1974年5月18日 : 核実験。
パキスタン
1998年5月28日 : 核実験。
北朝鮮
2006年10月9日 : 核実験(1回目)
2009年5月25日 : 核実験(2回目)
実際に核実験がどのくらい世界で行われてきたか、よく知るべきです。
A Time-Lapse Map of Every Nuclear Explosion Since 1945 - by Isao Hashimoto
現在の事故よりもはるかに規模の大きな実験がこんなにもされてきました。
こうして核保有国が次々と増えていくわけです。
では日本は??
実は原子爆弾の開発は進められていました。
1943年1月 研究開始
1944年3月 ウラン濃縮実験
1945年5月15日 : 東京大空襲で熱拡散塔が焼失し、研究の続行不可
昭和天皇が植物学者だったこともあり、研究は敗戦直前に潰えました。
ただ、研究はアメリカやソビエトとほぼ同時期に行っていたのは事実です。
ここに将来の原発大国となる伏線が存在していたと思います。
当時、第二次世界大戦の末期でアメリカの大統領、ルーズベルトは急死しており、
副大統領だったトルーマンが大統領職を引き継ぎました。
最初に核実験を行って成功したのが1945年7月16日
そのわずか1か月も経たない後に実践されてしまいました。
広島では「ウラン型」
長崎では「プルトニウム型」
ここに様々な意味が推測できると思います。
実戦で使われた世界最初の核兵器、リトルボーイ。この一発の兵器により当時の広島市の推定される人口35万人のうち約14万人が死亡したとされています。
広島県、広島市などを指す「広島」が「ヒロシマ」とカナ表記される場合は、広島市への原爆投下の関連での言及を意味するようになりました。
広島市中区の爆心地に近い平和記念公園では毎年、鎮魂を込め、黙祷を行い「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)を営んでいます。
今年は福島第一原子力発電所の事故もあり、過敏な年になっていると思います。
原爆による放射線は「被爆」
原発による放射線は「被曝」
それぞれ字が異なります。
前者は「虐殺、戦争」、後者は「人災」を意味すると思います。
一ついえることは、どちらも人の手により防ぐことが可能だということだと思います。
脱を訴える考えもありますが、国そのものが弱体化したら本末転倒です。震災と円高で大打撃中ですので、さらに弱体化する危険も考慮しなくてはいけません。
人の手により未然に防ぎ、かつ国の力を保つ。
そんな政策が今は必要だと思います。まあ、今の人には全く期待していませんが、このあたりにも注目してみたいと思います。
8月6日
午前8時15分
アメリカ軍は日本の広島市に原子爆弾を投下しました。
使われた爆弾は
「Mark‐1:リトルボーイ:Little Boy(小さな少年?)」
ウラン型の核爆弾です。
ちなみに8月9日に長崎で投下された爆弾は
「Mark‐3:ファットマン:Fat Man(太っちょ?)」
プルトニウム型の核爆弾です。
核爆弾の歴史を少しおさらいしてみたいと思います。
原子爆弾の歴史はアメリカ合衆国から始まります。
アメリカ合衆国
1942年 : アメリカが開発を進める、(マンハッタン計画)
1945年7月16日 : 人類最初の原爆実験(トリニティ実験)が実行。ニューメキシコ州のアラモゴード軍事基地の近郊の砂漠で行われる。
→ 原子爆弾のコードネームはガジェット (Gadge)
ソビエト連邦
1943年 : 開発を始める
1949年8月29日 : 核実験成功(プルトニウム型原爆RDS-1)カザフ共和国(当時)のセミパラチンスク核実験場。
イギリス
1952年10月3日 : 核実験(ハリケーン作戦)、モンテベロ諸島と西オーストラリアの間の珊瑚礁で行った。
フランス
第二次世界大戦直後から開発を続けていたが、一時停止、その後
1948年 : 開発
1960年2月13日 : 核実験に成功。(アルジェリア領のサハラ砂漠)
CHINA(中国)
1960年代より開発第9学会と呼ばれる研究都市を海北チベット族自治州に設けて、核開発を推進してきた。
1964年10月16日 : 原子爆弾実験に成功。
1967年 6月17日 : 初の水素爆弾実験に成功。
インド
1974年5月18日 : 核実験。
パキスタン
1998年5月28日 : 核実験。
北朝鮮
2006年10月9日 : 核実験(1回目)
2009年5月25日 : 核実験(2回目)
実際に核実験がどのくらい世界で行われてきたか、よく知るべきです。
A Time-Lapse Map of Every Nuclear Explosion Since 1945 - by Isao Hashimoto
現在の事故よりもはるかに規模の大きな実験がこんなにもされてきました。
こうして核保有国が次々と増えていくわけです。
では日本は??
実は原子爆弾の開発は進められていました。
1943年1月 研究開始
1944年3月 ウラン濃縮実験
1945年5月15日 : 東京大空襲で熱拡散塔が焼失し、研究の続行不可
昭和天皇が植物学者だったこともあり、研究は敗戦直前に潰えました。
ただ、研究はアメリカやソビエトとほぼ同時期に行っていたのは事実です。
ここに将来の原発大国となる伏線が存在していたと思います。
当時、第二次世界大戦の末期でアメリカの大統領、ルーズベルトは急死しており、
副大統領だったトルーマンが大統領職を引き継ぎました。
最初に核実験を行って成功したのが1945年7月16日
そのわずか1か月も経たない後に実践されてしまいました。
広島では「ウラン型」
長崎では「プルトニウム型」
ここに様々な意味が推測できると思います。
実戦で使われた世界最初の核兵器、リトルボーイ。この一発の兵器により当時の広島市の推定される人口35万人のうち約14万人が死亡したとされています。
広島県、広島市などを指す「広島」が「ヒロシマ」とカナ表記される場合は、広島市への原爆投下の関連での言及を意味するようになりました。
広島市中区の爆心地に近い平和記念公園では毎年、鎮魂を込め、黙祷を行い「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)を営んでいます。
今年は福島第一原子力発電所の事故もあり、過敏な年になっていると思います。
原爆による放射線は「被爆」
原発による放射線は「被曝」
それぞれ字が異なります。
前者は「虐殺、戦争」、後者は「人災」を意味すると思います。
一ついえることは、どちらも人の手により防ぐことが可能だということだと思います。
脱を訴える考えもありますが、国そのものが弱体化したら本末転倒です。震災と円高で大打撃中ですので、さらに弱体化する危険も考慮しなくてはいけません。
人の手により未然に防ぎ、かつ国の力を保つ。
そんな政策が今は必要だと思います。まあ、今の人には全く期待していませんが、このあたりにも注目してみたいと思います。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます