大和田の事は気にせずそのまま美月の家に着いて中に入って部屋に通された。美月の雰囲気はいつもと変わった様子はないように見えた。
『バドミントンだと?もう実戦投入してきたと言うのか?ホントにそれだけで終わったのか?ホントにそれだけで?』
小春の言葉も相俟って美月を何となく不潔に思えてしまう自分がいる。『非処女』という言葉の尾を引く力は絶大だった。
「どうかしました?」
「いや、何と言うかさっき大和田に会ってさ。昨日、ヨミさんとバドミントンやったぜって言ったもんだからさ」
「そうなんですよ。目が覚めたら学校の体育館にいまして、それで二人でバドミントンをしました」
『目が覚めたら?日中の方が加担しているって事だよなぁ・・・』
「バドミントンってとっても難しくって・・・ラケットにシャトルが全然、当たらないんですもの。自分がちょっと情けなくなりました」
「普段、あまり体を動かさないんだからそうかもしれないね」
「大和田さんは、ラケットを振るのが速過ぎるからもっとゆっくりって言うんですけどそれが良く分からなくって・・・」
日中の美月の肉体でもあるから運動能力そのものは高いのかもしれなかった。
「楽しかったんだ」
「初めてばかりで新鮮でした。で、でも、私は大和田さんが練習しているのを見ているばかりでした。下手な私とでは対戦は出来ませんから練習をするって」
今は下手だろうがそのうち上手くなってにこやかに1組のカップルがバドミントンをやっている光景が目に浮かんだ。
「帰りは大和田さんに送ってもらいました」
このままでは捨てられるのではないかと思えて来た。しかし、それでよかったはずだった。そうしてくれるのが一番のはずだった。今の自分には今日の糸居が言ってくれたように居場所がある。こんな厳しい場所にいなくても楽になれる場所が。保険みたいなものであったが、それがただの逃げ場所だという事に今、気付いた。
「それで色んな場所に行ったの?」
「いえ、学校から真っ直ぐ家に帰ってきました。あまり遅くなるとお父さんやお母さんが心配しますから」
「そうなんだ」
暫しの沈黙。美月自身も大和田とあっている事で後ろめたさでもあるのかもしれない。お互いに歯切れが悪かった。そのタイミングであった。
「ちょっとみっちゃーん!」
部屋の外から母親の声がしたので美月が返事をして廊下に出た。
「悪いんだけどこれから牛乳買って来てくれない?倉石君もいるから夜でも大丈夫でしょ?」
「ええ?そんなの悪いですよ。ね?光輝さん」
「いや、俺は気にしないけど」
「ヨミちゃん。お願いよー。私はちょっと手が離せないの!」
お客でもある自分にも買ってきてと頼む母親は凄いと思った。しかも夜間である。年頃の娘と一緒に外に行けというのも普通はあり得ないだろう。母親に押しに負けて、行くことなった。
「それじゃ、美月の事を頼むね。ボディーガードさん」
「あ、はい」
我ながら頼りないボディーガードだと思う。というより、寧ろ自分にガードマンをつけるべきなのではないかと思う。それとも信用されているのかそれとも、自分は手を出さないと思われているのか。色々と考える。
「ちょっと外で待っていてください」
外に出て数分すると美月が出てきた。空は晴れ渡り綺麗な星空が輝いていた。
「お待たせしてしまってすみません」
出てきた美月にじっと見ていた。二人っきりで外というのがいつもと感覚を違わせるのかもしれない。
「そんなに見ないで下さい。どんな外で服を着ていいのか分からないものですから」
「あ、ごめんごめん。」
「いつも部屋の中で過ごしてばかりでどんな服装が良いのか少し・・・」
「そうだよね。俺も部屋で過ごす事が多いから外に出る時はどんな服を着ていいのか今日も迷ったよ」
「光輝さんもですか?家の中なら15着ぐらいパジャマを持っているので今日は何を着るのかって迷うんですけど、外だと何を着ていいのか」
「パ、パジャマを15着!?」
「そうですよね。変ですよね。コハちゃんも持ちすぎだって」
「いや、別に変っていう意味じゃなくて、どうやってその日に着るパジャマを決めるのかなって気になっただけで」
「特にコレと言った理由はありませんがその時の気持ちでその日に着るパジャマを選んでいます」
「へぇ。例えばどんな時にどんなのを着るの?」
「とっても良い事があった時は胸の所に大きい星がある物を着たり、小さい事でも沢山会った時は小さい星が全身に散りばめられた物を着たり、三日月の日でしたら三日月が描かれたものを着たり、テレビで可愛い動物を見たら動物が描かれたものを着たり、他にパジャマは柄で言えばチェック柄やボーダーの物、あまり着ませんけど猫の着ぐるみのものなんてものもあります」
『着ぐるみ』という単語にビクッと反応してしまう。一種の職業病ならぬオタク病とでも言える症状だろう。
『パジャマか。今まで気に止めなかったけど、それだけの種類が言われて見れば興味が出てきたな。それに美月さんが着ているとなれば十分に・・・アリ!!』
光輝の新しい属性への目覚めかもしれなかった。
「へぇ。色んな種類があって何だか着るのも楽しそうだね」
「はい。私だけの小さな趣味みたいなものです」
「出来たら見てみたいな」
「きっとつまらないですよ。そ、そんな人に見てもらうような凄いものでもありませんから。ごく普通のパジャマを沢山持っているだけですもの」
「その普通の奴がどんな種類があるのか見てみたいと思ったんだよね。美月さんが見せるのが嫌ならいいけど。俺なんか、パジャマなんて持ってなくていつもジャージみたいなのを着て寝ているだけだからさ」
「そ、そうですか?でしたら、今度、少しだけ・・・」
「やったぁ!」
ちょっと照れている仕草が可愛いらしい。出来ればパジャマだけではなく美月がパジャマを着ている姿を見てみたかった。
それから牛乳を買いに良くという話になるが、美月の家から最短のコンビニまで3分ぐらいといった所だ。コンビニで話などしてゆっくりしてもせいぜい15分から20分ぐらいの買い物になるだろう。少し短いのではないかと思っていると自分の自転車が目に止まった。
「自転車で少し出かけてみない?それで帰りに牛乳買って帰るの」
美月は申し訳なさそうな顔をして少しもじもじした。
「ごめんなさい。え。あの・・・そのぉ・・・」
「どうしたの?」
「私、自転車に乗れないんですよぉ」
日本人であれば自転車など乗れて当たり前だと思っていた光輝には衝撃だった。
だが、確かに、夜しか生活が出来ない美月は外に出ることが極端に少ないのだから自転車など必要ないのだろう。だが、歩くとなると移動できる範囲はせいぜいコンビニを往復するぐらいになってしまう。少し考えた後。
「じゃぁ、二人乗りすればいいんじゃないかな」
「でも、二人乗りっていけないって」
「まぁね。でも、少しの時間だから大丈夫だと思うんだけどな」
普段、真面目な光輝は極力二人乗りをしてこなかったが、自転車の男女の二人乗りはちょっとした憧れを持っていた。普段、自分と同じぐらいの高校生のカップルが二人乗りしている姿に遠い羨望の眼差しを送っていたぐらいである。
『遥か見えない夢だったかここで叶うのか?叶ってしまうのか?』
「嫌ならいいよ。確かに美月さんの言うとおり悪い事だし、元々、近くのコンビニに牛乳買いに行くだけだからあんまり時間をかけたらお母さん心配するかもしれないし」
ちょっとした美月の逡巡。答えを待つ。
「でしたら、ちょっとだけ・・・」
「本当に?やった!」
『ゆ、夢が叶う!こんなに簡単にかぁ!?』
思わずガッツポーズしてしまった。美月は少し驚いていたようで、光輝は笑って誤魔化しつつ自転車を取りに行き、スタンドを蹴り、跨った。
「じゃ、後ろに座って」
緊張の一瞬だった。荷台の左側に足をそろえて座っていた。メリーゴーランドと同じ状態である。当然、跨ぐような形で座ってもらった方がバランスを取りやすいが彼女に任せてもいいだろう。
「こ、コレでいいですか?」
「ちょっと動くから捕まった方がいいよ」
彼女はサドルと荷台に手を掛けた。期待が外れてちょっと寂しい。俺の腹に手を回してと指定したほうが良かったかもしれなかった。ただ彼女の肩が背に触れる。
「じゃ、出発!」
「あっ」
足が地から離れて驚く声がした。スピードが出ないうちは不安定で少し蛇行していた。というよりも、自転車に乗らない美月が怖がっているようで体を振るように前後に体重をかけていた。
「体、揺らしちゃダメだよ。バランス崩して転んじゃう・・・よっ」
「で、でもぉ~」
その震え声に彼女の不安感が伝わって来た。自転車に乗らないのだから感覚が判らないのだろう。安心感を与えられるような気の利いた言葉は思いつかなかった。止まって足を着いて一息つく。
「怖いなら自転車乗るのやめる?」
今なら、美月のうちに戻るのも早い。自転車の技術があったからといって、後ろの美月の体重のかけ方で転倒する恐れがあるのだから当然であった。
「光輝さんはどう思われます?私、二人乗り出来そうにないですか?」
返事に困る質問だった。気持ちとしては続けたかったが、怪我をさせてしまっては元も子もない。安全策をとるのが妥当な判断だろう。
「俺は続けたいけどな。美月さんには大変だろうけど頑張ってもらいたいな」
言ってしまってからすぐ、何を言っているのかと思った。ただ、美月の気持ちを汲めばそのように言わざるを得なかった。
「は、はい。頑張ります」
美月に怖がらせない為にゆっくりと走るが自転車は激しく揺れる。自転車はそれなりのスピードを出していた方が安定するのである。ゆっくりだとその分、バランスを取るのが難しい。その上で、美月が揺れるのだから自転車はカクカクしていた。
「大丈夫だから、心配しないで」
「は、はいぃ~」
美月の声が軽く裏返る所から相当な恐怖体験なんだろう。口で言うのは簡単だが、それを実際にやるのは相当困難であると言えた。
『こりゃ、二人乗りで少し遠くに行くなんてのは夢のまた夢だなぁ』
コンビニまで行くまでの道のりで二人乗りの練習をしていた。それ以上、遠くにはいけないだろう。足を付いては離し、離してはまた付くの繰り返しだった。
「ちょっと!そこの二人乗り。止まりなさい!」
「え?ああ・・・すみません」
完全に死角とも言える場所に2人の警察官がそこに立っていて、呼び止められた。見えるところで注意すればいいものをと思う。警察官の前に立つ二人。美月は怯えているようだった。きょろきょろと周囲を見ていた。
「大丈夫だよ。美月さん。大したことないからさ」
「この自転車は、誰、名義の物かな?」
「俺のです」
「君のね。じゃぁ君の名前は?」
「倉石 光輝と言います」
「『くらいし こーき』ね。ええ。こちら・・・」
警察官が無線を用いて自転車の防犯登録と照会しているようだ。
「あ、あの・・・倉石さん」
美月は警察官を前にして怯えているようであった。外に出る機会が極端に少なくずっと両親から離れることなく一緒にいればこのような状況はなかった事だろうから不安で怖くて仕方ないのだろう。黒っぽい服を着ているし街灯も殆ど当たらっていないだから闇に引き込む死神か悪魔のように見えているのかもしれない。
「大丈夫だって。ちょっと盗難自転車かどうか調べているだけだから。これは正真正銘、俺の自転車」
「は、はい」
街灯に映る薄暗い彼女の横顔は明らかに引きつり、かすかに震えているようにも見えた。
『今日はずっと怖がらせてばかりだな・・・』
「うう。さびぃ・・・」
警官は無線を操作するために手袋を外していて、照会中の待ち時間。寒そうに手をこすって息を吹きかけていた。
『手か・・・しかし・・・な』
Wデートの諏訪の行動を思い出した。だが、やっていいものなのか迷った。
『ままよ』
彼は彼女の手を取った。お互い手袋をしているので直の感触ではない。だからこそ、手をつなぐ事が出来たのかもしれない。もし素手であったのなら、変な気遣いで握っていなかったのかもしれない。
「あ・・・」
美月は驚いてこちらを見た。見つめられて顔面が硬直してしまった。最初は握っているだけであるがほんの少しだけ彼女が握り返してくれた。美月は力加減が分からず恐る恐るという感じであったがそれは光輝とて同じ事だった。
「だから、大丈・・・」
「ああ。この自転車が君のものって分かったよ。時間をとらせて悪かったね」
警官が話し出した瞬間に二人の手は離れた僅か数秒と言う短い時間だっただろう。
『本当に、悪かったって思うのなら、割って入ってくるなよ。このKY警官』
「しかし、二人乗りは良くないし、若い男女がこんな時間までウロウロしているのは感心しないな。何か良からぬ事をしていると見られても仕方ないんじゃないかな?」
「すみませんでした。帰っているところだったんですよ。今日は歩いて帰ります」
「今日は?」
「すみません。今日から歩いて帰ります」
「それでいい」
ゆっくりと歩く。自転車で早く帰るのよりも時間をかけて帰る方が良かったとも言えた。
「だから大丈夫って言ったでしょ?」
「本当に大丈夫だったんですか?後で警察官の方から危険人物という風に見られるなんて事は」
「ないない。高が二人乗りでマークされていたら、中高生なんてみんな犯罪者予備軍だよ」
「でも、みんな犯罪者予備軍だからと言っても倉石さんもその中に入らなくても」
「まぁね。さっき呼び止められたのは二人乗りするような奴は盗難自転車に乗っているんじゃないかって思われただけの事さ。でも、美月さんのいう事の方が正しいね。二人乗りだと自転車の操作が難しくなるし、急ブレーキなんかかけたら危ないし」
「そうですよ。悪い事はやってはいけないですよ」
母親が子を諭すかのように言われた。それが妙にくすぐったい感じがした。
「ですから私も自転車が乗れればいいんですが」
「乗った事ないんじゃ仕方ないよ。結構コツがいる乗り物だから」
「コツってどんな物ですか?」
「良く覚えてないな。幼い時に練習したもんだからさ。口で言うより体で覚えるという感じだし」
「そうですか。では、私には無理なんでしょうね」
「いや、そういう事もないと思うよ。あ、そうだ。練習してみる?」
ちょっとした提案であったがいいものだと自分で思った。
「え?」
「そうだ。それがいいよ。自転車に乗れれば一気に自分の好きなところに行けるしさ」
「でも、私に乗れるでしょうか?」
「それは乗れるでしょ。日中の美月さんは乗れるんだからさ。ちょっと乗ってみる?」
彼女が乗りやすいようにサドルを低めに調整してみて思った。
『こ、これは・・・自然に肩に手を置くチャンスなのでは?』
「ずっと手を付いているから怖がらなくていいよ」
「はい」
美月がサドルに跨り、ハンドルを握った所で美月の肩に触れた。やはり、手袋はしていた。
「え?あ・・・こんな不安定な乗り物が倒れずに走るなんて・・・」
彼女は肩の事を意識する余裕などないようだ。止まっているのにグラグラと揺れていた。そんな状況だから足を地面から離す事が出来なかった。
「こ、怖い」
言って自転車を降りてしまい、ホッとしたようだった。
「そんな急に乗れるもんじゃないからゆっくり練習していけばいいんだよ」
そのように励ました。美月はちょっと申し訳なさそうであった。
彼女の家の前に着いてさようならと言って分かれた。
『それに、手をつなげたし肩を触れられた』
右手を握ったり開いたりして彼女の手の感触を思い出すようにした。そしてしっかりと心に刻む。思い出作りには最高かもしれない。それから、美月の家に帰ってきた。
「お帰りなさい。あれ?手ぶらだけど、二人とも牛乳は?」
二人乗りの練習と警察に呼び止められた事ですっかり忘れていた。
「あ!忘れてました!俺、今からひとっ走りして買ってきます!」
言うや、光輝は猛ダッシュでコンビニに向かった。牛乳を買って美月の母親に渡して帰った。
12月20日(月曜日)
その日は、彼女と会わないのでそれまでに自転車に乗る練習の準備をする事にした。ネットで調べるのが一番手っ取り早いだろう。『自転車の練習』で、検索してみた。方法だとか道具などが表示される。
「ヘルメットや肘当てや膝当ての間接保護か。自転車としては補助輪か・・・」
当然、子供用ばかりで成人自転車用の補助輪はさすがにないようだった。
「美月さんが補助輪の自転車か・・・」
イメージすると二頭身になって、ガラガラと音を立てておっかなびっくりという形でペダルを漕いでいる夜の美月が現れてカワイイと思って妙にニヤニヤしてしまう。
「おっとと、乗り方。乗り方」
夜の美月をイメージして描いたのだが何故か納得がいかなかった。その事を考えている暇はなく今度は練習のさせ方についてのページに飛んで読んでいて一息つく。
「それにしても自転車か・・・俺も乗るの苦労したなぁ・・・」
昔の事を思い出していた。運動神経の鈍い彼は誰より自転車に乗るのが遅かった。父と一緒に練習を始めるのは誰よりも早かったが、転倒して怪我をしてからは軽い自転車恐怖症に陥った。ある友達が乗り、別の友達が次々に乗っていく。小学生になったが乗れずにいた。でも近所の一番運動神経の鈍い子はまだ乗れないからと安心していたが遂にその子が乗れたと聞いて、焦り始めたが嫌なものは嫌だった。ある日、友達全員が自転車に乗り、自分だけが走って追いかける始末で友達にもバカにされた。それから光輝は父に教えてと乞うた。その時、父は嬉しそうな顔をしていたのを覚えていた。それから転びながらも頑張って自転車に乗れるようになったのだった。
父は積極的に何か言ってくる事はしなかった。父も光輝同様明るい性格ではないし、感情を表に出す事も殆ど無かった。放任的とかほったらかしというよりは嫌がる子供に対してどう接して良いか分からないという戸惑いが見られた。元々、旅行でも外食でも大体、母が提案し、それに父が応じるという形だった。光輝としては普通の父親のように『頑張れ』とか『そんな事で投げ出すな』と励ましてもらいたかった。しかし、父は一度だけ母に手を挙げた所を見た事があった。理由は思い出せない。それが父と光輝との関係である。
昔を思い返しながら自転車の乗り方を調べて軽く纏めた。
『今、何しているんだろ。美月さんは・・・』
悪い方に考えると気が滅入るので出来るだけ考えないようにした。
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