2010年12月23日(木曜日)
イブ前日の午前中。
「お金をかけたプレゼントは出来ないよな」
所持金の乏しさから何か上げる事は出来ない。今の時間で出来る事と言ったら自分の能力で何かしてあげるしかない。胸を張って自慢できるようなものはないが特技といったら、デフォルメされた絵を描くぐらいだ。
「こういうのって詩をプレゼントしているみたいで、良く痛い奴認定されるんだよな」
以前、ネットのニュースで女性がプレゼントをもらって微妙なものランキングでオリジナルの『詩』というものが10位以内に載っていた事を思い出した。プレゼントと言えばバッグなど商品を期待している中、自分で作ったものであるからガッカリ感が増すのだろう。
「描くだけ描いてみようか。見せるかどうかは別にして」
目を瞑って夜の美月を頭の中でイメージする。
「やっぱダメだな・・・」
光輝はちゃんとした似顔絵が描けなかった。誕生日の絵だというのにデフォルメ絵という訳にはいかないと判断したのだ。元々光輝はリアルな顔を描くのは苦手だったのもあるが夜の美月を描こうとすると思い出すと頭の中で補正がかかってしまうのか納得がいく絵にならなかった。深呼吸をして心を落ち着かせる。
「あ、そうだ。前の遊園地のプリクラが・・・」
写真をそのまま模写するような形にすれば問題はないと思って、写真立てから取り出した。前にアニメキャラのカードが入っていた奴から替えたのだ。しかし、プリクラを見たものの、美月の表情がやや硬い。参考になりそうになかった。
「これはちと写りがイマイチだなぁ・・・なら、試しにデフォルメでやってみるか?」
一応、デフォルメした絵にしようとペンを取ったが、やはりペンが止まった。
「やっぱダメだなぁ・・・」
それが彼の人のデフォルメの手法はまず、頭にある3次元の顔を2次元に変換する。顔の特徴を強調して想像する。それから首から下を一旦切り取り、適切に手足や胴体を短く適切な形に変換した体を再び取り付けるといった事を想像で行う。
「美月さんをバラバラに出来ねぇ・・・それが出来ねぇ・・・」
自分が好きなキャラでは簡単にバラし、くみ上げる事は容易だったがどうしても夜の美月は出来なかった。だから無理にイメージなしに絵だけ描こうとするからバランスがおかしくなる。
「なら、日中の方ならいくらでも出来るのになぁ」
目を瞑り、簡単に手足をバラバラにしてくっつける。表情も強調して描く。アニメ絵といってもいい。
「やっぱりらっくらくだな。朝の方は簡単に出来ているのかな?それにしてもやっぱり目がキツイな」
イメージが先行するものだから今までの彼女とのコミュニケーションから受けたことで、視線がかなり厳しい。
「一応、日中の方は出来たから夜の美月ちゃんは最後に修正って事で何とかなるかな」
体は一緒なのだから目元だけ少し修正すればいいだけだろうと思って挑戦して見たがうまく行かなかった。
「同じ顔なのに何で夜の美月さんのほうは描けないんだ!」
それが目元なのか表情なのか分からなかったが何度描いても自分の中で納得がいかなかった。
「途中で取って変えようとするからおかしくなるのか。楽せず最初から書こうか?」
自分で描いた美月の絵はこちらを睨み付けていたり、あっかんべーと舌を出していたりしていた。彼の日中の美月に対するイメージが良く出ていた。
そんな事を繰り返していたら時間が過ぎて、夕方になっていた。
「やべぇ!いかないと」
今からいけば夜の美月のほうに入れ替わっている頃だろう。まだ痛むだろうと思って自転車の練習は中止にした。彼女の家を訪ねると、いつも通り入れてくれた。そこで早速思い切って彼女に言ってみることにした。
「あのさ。俺、前に色々と描いたけど、美月さんの似顔絵を書こうと思ってさ。それでちょっと写メを撮ろうと思うんだけどいいかな?」
「今から・・・ですか?」
「そう。本当なら、ここで見ながら描いた方がいいんだろうけど、何か照れるから家で描くつもりだからさ」
「は、はい。いいですよ」
美月に携帯を向ける。携帯の液晶に彼女の顔がいっぱいに映る。その液晶に映る彼女の目と自分の目があって鼓動が高鳴った。ちょっと携帯を移動して良いアングルを探った。携帯を向け彼女の周りをグルグルと周る。ちょっと彼女の表情が曇った。
「あ、笑って。笑って」
「ご、ごめんなさい。あまり写真を撮るって慣れて無くって」
「あ、そう?ごめんね。いや、でも、素敵な写真を撮ろうと思ってさ」
じっと顔の周りに携帯を向けられてしかも光輝が真面目な顔をしているという事で怖かったのかもしれない。ただ光輝自身は写メに集中しすぎていて美月の事は気付いていなかった。
「な、何だか緊張します」
「ごめんね。俺、写真撮るの下手でさ。あんまり人なんて撮らないからさ」
「普段はどんな写真を撮られるんですか?」
少し前までは買ったフィギュアの写メを撮って友達に送ったり、友達がコレを描いてくれと頼んだ絵をそのまま撮って送ったりしたこともあった。携帯のデータに入っているがすでにパスワードが設定できるフォルダの中に入っている。小春対策と言ったところだ。
「えっとね。景色ばかりだね。面白味がないよ」
一応、景色も撮るが先の画像を見つけられまいとするダミーみたいなものだ。
「でしたら、私を撮っても面白味なんてあるんでしょうか?」
「あるある。面白いよ。それに思い出にもなるしさ」
「そ、そうですか。でしたら、倉石さんも撮っていいですか?」
「ええ?俺なんかつまんないよ」
「面白いですよ。それに思い出になりますから」
ちょっとした彼女の微笑みながらの冗談にピーンと来た。
『来た!この位置、この角度だ。ヤバイ。美月ちゃんの上目遣い、マジヤバイ』
心臓を打ち抜かれるかのような衝撃であった。あまり直視していると心が飛んでいってしまいそうな気がした。
『しまった!思わず見とれてしまってシャッター切るの忘れた』
先ほどの天使の微笑みは薄れていく。ハッと我に返った頃には時既に遅く彼女の表情はいつも通りに戻ってしまった。
「今の表情良かったからさっきのもう一度お願い出来るかな?」
「え?さっきのというと?」
「俺の写真を撮るって言ってからの感じ」
「あ、はい」
彼女も意識してしまってか表情が少し強張ってしまう。先ほどの自然な表情を撮れなかった自分を呪った。ずっと最高の笑顔を待ち続けるのは無理だろうと思ったので妥協して良いと言って、写真を撮った。正面からは勿論の事、横顔や斜め上、下からなど、沢山のアングルだった。それから今度は彼女が自分の携帯を持って向けて何枚かパシャパシャと携帯電話から音がする。
「俺の顔なんて撮って面白い・・・かな?」
「光輝さんを様々な角度から見るっていうのは結構楽しいですよ」
「そう?携帯で写真撮られるのなんて初めてだからどういう顔をしたら分かんないんだよね」
「光輝さんはないんですか?」
「ちょっと友達同士でふざけて撮った事はあるけど、こう間近で携帯向けられるのはね。何か緊張する。だから、今の美月さんの気持ちが良く分かったよ。何かごめんね」
「気にしないで下さい。でも、私が撮るのはきっと下手ですよ」
「気にしない。気にしない」
「それじゃ、おあいこですね」
それから彼女が撮った画像を見る。
『我ながら表情、硬ッ』
先ほどの美月と同じく、強張っている印象だった。
「明日は晴れるといいですね。今日の予報では晴れるって言っていましたけど」
「晴れたら星が見えるもんね。星。星ぃ!?」
言っていて声が裏返った。
「星、どうかしましたか?」
「いやいや、ちょっと忘れていた事を思い出してね。大した事は無いんだよ。本当に」
『そうだよ。美月さんは星が好きなんだよな。それなら下手糞な似顔絵を描くよりは星座やキャラなんかを描いた方が良いだろう。全く、今頃思いつくなんて・・・』
それから良い時間になるまで話し続けて、帰る時は全速力で帰り、まずはネットで星図をコピーしてそれを写すように描き、線でつなぎ、オリオン座であればその横にデフォルメしたオリオンなどを書き加えていく。
『明日、夜までに間に合うかぁ?でも、俺、似顔絵を描くって言っちゃったけどな・・・サプライズって奴だ!似顔絵はまたいつかって事にしてしまおう』
時間との戦いだった。光輝の集中力は研ぎ澄まされていった。
12月24日(金曜日)
「時間的には厳しいな」
もっと早くに取り掛かるべきだったと思ったが、思いついたのが前日であれば厳しいと言えるだろう。星座全部を描いた上に絵を添えるのは不可能に近い。
ぐぅ・・・
焦りはあっても腹は減る。お菓子か何か腹に入れようと廊下に出た。
「うっ!さぶぅ」
その寒さに驚いた。部屋の中はエアコンで快適な温度に保っていたので体がギュッと締まる感じがした。お湯を沸かしてお茶漬けをつくり、昨日の夕飯のおかずで静かに食べた。早朝という事もあってまだ誰も起きてこない。
「適当なものを描くって訳にもいかないしな・・・はぁ・・・」
ネガティブに物を考え、気が滅入ってくる。体も衰弱しているからそのように考えるのかもしれない。
「だけど、やらなければこのままだから」
部屋に戻ると室内の温度が締まった体を緩ませる。椅子に座ってペンを握ったはいいがまどろんできてしまってそのまま眠ってしまった。
トゥルルルルル
「ハッ!俺、寝ていたのか!?今、何時?うおっ!」
部屋の置時計は10時を指していた。もはや、間に合わないと思って一瞬絶望したがそれよりも電話が鳴っているのに気付いて携帯を手に取った。
「美月ちゃんの家電?何の用だ?」
嫌な予感がした。日中の美月だからこれから大和田と勝負しろだとか言い出すのかと思った。バドミントンとか次のテストとか恐らく勝ち目の無い勝負をしてくるのだろうと思うとそれだけで滅入った。だが、その悪い予感は別の意味で裏切られる事となった。
「もしもし」
「ああ!倉石さん!あのね」
出たのは美月の母親であった。かなり慌てているようだった。電話に出て名乗らないぐらいだったので相当慌てているというのが分かった。
「どうかしたんですか?」
「みっちゃんが事故に遭ったっていうの!」
「え!?じ、事故ぉ!?大丈夫なんですか?」
「自転車で車と接触して転んだだけってみっちゃんが言っていたから大した事はないらしいんだけど」
本人が受け答えしているようであるのならば生死に関わるような大事故ではないと分かって少し安心した。
「今、中山病院にいるからすぐ行ってくれる?私はお父さんが会社からうちに戻ってから行く事にするから」
「え?ああ。俺がですか?」
咄嗟にそのような声が出てしまった。下手に行くと『何で来た!』と非難されると目に見えて分かっていたからだろう。
「そう!みんなに連絡してあげているの!あなたは行くの?行かないの?」
強めの口調で言われた。完全に自分の心を見透かされているようだった。明らかに印象を悪くしただろう。
「も、勿論、い、今から行きます」
「もう、いいわ。アミちゃんに嫌われているから行きたくないっていうのなら。大和田君にも言うつもりだし。アミちゃんってね。いつも強がっているけれどきっと本心は弱っていて、きっと誰かにそばにいて欲しいはずなのに」
呆れられて、受話器を切られた。失望したという心が声音から伝わってきた。大和田にも言うつもりという事は、先に電話をしてきたという事が分かった。
「だからってよ。俺が行ってどうなんだよ。俺が行ったって」
両親に良い印象を与える為には行く事が必須であったが、そのような気持ちで行くのは不純だと思った。きっと、日中の美月にも指摘されるだろう。そんなに両親の前で良い顔したいのかと。
「俺は・・・」
様々な考えが頭を巡る。だが、落ち着かずソワソワして仕方が無い。怪我の程度は本当に大した事ないのか、顔に怪我をしているのではないのかとすぐに大きくなっていった。
「誰が事故ったとか評価とかもういい。自分の目で確かめに行く!」
考えるのをやめて行動する事にした。まず、着替えて、病院に行く事にした。自転車のペダルに知らずと力が入る。
「おわっ!」
「ああっ!」
前でゆっくりと自転車を漕いでいたおばさんを右から追い抜こうとすると急に右に曲がって来てぶつかりそうになった。
「ごめんなさぁぁぁい!」
ここで自分も事故って怪我をしては笑い話でしかないと思いつつ、中山病院に急いだ。駐輪場に止めて、ダッシュで病院内に駆け込んだ。
「入院しているのか?だったら部屋は?ああ!何も聞いてねぇ!」
慌てて病院の受付に尋ねた。
「すみません。先ほど事故に遭って女子高生が運ばれてきた人がいると思うのですが何号室にいられるんですか?」
「何号室?病室に運ばれた人は今日はいなかったはずだけれど」
「良く調べてください!比留間 美月さんです」
「ひるま?ああ!比留間さんね。ああ。ご両親が来てくれるから待合室で待っているそうよ」
「待合室?病室では?」
「入院するほどの大怪我じゃないわよ。ちょっと手を捻ったぐらいで切り傷もないもの。運動神経が良いみたいで自転車で飛び退いて受身を取ったらしいのよ。でも、手を付き方が少し悪かったらしくてね。カワイイ顔をしていたから本当、顔に怪我なんてしなくて良かったわね」
「そうですか」
「あなた、彼氏?だったら早く行ってあげなさい」
初対面の看護婦さんに否定する必要も思ったので言われた待合室に行く事にした。病院内って事で走るという事はせず早歩きで歩いた。すると待合室に腰掛けている美月がいて、顔を出すやすぐに目が合った。誰かがお見舞いに来たと反射的に顔が明るくなったと思いきや光輝だと分かるや否や即座に眉間に皺を寄せ露骨に嫌な顔をした。
「あ!最っ悪!!」
第一声がそれだった。
「何しに来たの?って、どうせお母さんが電話して来たからノコノコ出てきたんでしょ?行ってくれって頼まれたから。本当、最悪。アンタせいで足を怪我して、ただでさえ痛いってのにアンタの顔を見たせいで余計、痛くなってきた。いたたたたたた。どうしてくれるの?」
口調は相変わらずである。それよりも本当に痛いからか更に棘棘していた。だが、嫌味が言えるのほど元気ならば心配するほどではないという事だけは分かって安心した。大和田がずっと愚痴を言われたというのが良く分かった。これで『アンタでも来てくれて嬉しい』などと言われたのならそっちの方が重傷だろう。
「どうしてくれるのかって言われてもね・・・一応、大丈夫か見に来ただけだから」
「見に来ただけ?じゃぁ、もう見たでしょ?ホラ。早く帰りなさいよ。本当、最悪。今日はイブだってのに怪我をして、その上、この世でいっちばん見たくない奴が一番最初に会いに来てさ。人生始まって一番最悪のイブよ」
『一番最初』『一番最悪』というのは重ね言葉なのだが、そのような事を言っていられないほど彼女は言葉を続ける。痛みや今までの鬱憤などを言葉に変換しているが如く。
「大体、アンタが気になるのは私よりも夜のほうでしょ?だったらお母さんに怪我の程度を聞いてそれでおしまいで良かったじゃない。夜の方が無事ならいいかってさ。態々、病院まで来てバッカじゃないの。暇人。何?私が感動して来てくれてありがとうとか見直したとでも言ってアンタの印象が良くなるとでも思ったわけ?そんな訳ないじゃない。アンタなんてただのオタクの癖に。見舞いに来たっていうよりストーカーよね。付きまとってさ。本当キモイ」
罵詈雑言をぶちまける。そこまで言われなければならないのかと思いつつも苦笑いして聞いているしかなかった。彼女はまだやめず、ここぞとばかりに光輝にぶつける。
「何やってもダメだよね。私の倍も時間があるアンタは頭が悪いし運動神経も鈍いし、私ら女と話もロクに出来ないで同じような人達で集まってボソボソと教室の端っこでアニメの話なんかニヤニヤしながらしていてだから相手にされないどころかどんどん嫌われていくのよ。キモイってね!自分で変えようという努力もしないで運命でも待っているかのようにボーッとしているだけでさ。そんなの時間の無駄なのに・・・」
ここまで来たら美月が喋るのを飽きるまで待つだけであった。
「これだけ言われて黙っているだけなんて私の言っている事、全部、図星なんでしょ。大体分かるよ。アンタの考えている事なんてね。だから本音としては私が事故に遭って清々しているんじゃない?いつも生意気で嫌いな方の美月が事故にあった。いい気味だってね。実は怪我の程度を見に来てガッカリ来ているんじゃないの?こんなもんかよってさ」
「そんな風には思ってないよ」
そこは聞き流すのではなく否定しておかなければならなかった。
「それはそうよね。夜の私に大怪我されたら困るもの。もし事故で私の精神が無くなってしまうのならそっちの方がいいと思っている癖に。これからずっと1日中、夜の私でいるのならそっちの方がいいって。ほら、そう言ってみなさいよ。怒らないからさ」
美月の一方的な決め付けに心がざわついてきた。
「だからそんな風には」
「男らしくないね。言っちゃいなさいよ。私の心なんて今すぐ、消えてなくなった方が良いってさ。それでずっと大人しい夜の私をひとりじ」
パァン!
待合室に甲高い音が飛んだ。
「そこまで俺は腐って!?」
言いかけて体が硬直した。プルプルと震えた。手のひらをゆっくりと返してみたがそこには何もある訳がなかったが指先にほんのりと温かい感覚が少しだけ残っていた。それから美月の方を見ると彼女は顔に手を当て、何が起こったのか分からないというような顔をしていた。
「ご、ごめん!マジでゴメン!今のは何か拍子で・・・」
頭はすぐに冷え切っていて、冷静さを取り戻していた。自分が何をしたのかも理解した。
「帰って!」
光輝の言葉でようやく美月は我に返ったようで、第一声がそれだった。
「だから今のは故意にじゃなくて反射的に出ちゃって。マジでゴメン」
「もう二度と見たくない。女に暴力を振るうなんて最低中の最低よ。ここまで最低だと思わなかった。ホラ!何、今も立ってんの!早く消えてよ!死んじゃえ!」
「ぐっ・・・分かった。ごめん」
彼女は、自分の財布を投げてきた。自分でも動揺して半ばパニック状態になっていたが彼女がいなくなれと言っているので立ち去るしかなかった。肩を落とし、呆然と一点を見ながら歩き続けていた。どこへともなく歩いていた。病院の廊下にあった観葉植物に肩をぶつけた。
「終わったな・・・何もかも・・・」
「兄ちゃん、顔が真っ青だが大丈夫かい?」
点滴をしながら歩いているパジャマ姿の病人のオッサンに言われたが、彼は気がつく余裕がなかった。
「何か今にも死にそうな顔をしていたしな。大丈夫かぁ?」
そのオッサンは自分のことよりも心配していた。光輝は駐輪場に行って自転車を跨ぐが鍵をしているのを忘れて全然進まなかった。ようやく気がついて鍵を取ってペダルを漕ぐがフラフラしていてまるで酔っているかのようだった。自転車に乗っている時の事は殆ど覚えてなかった。そのまま何事もなく家に帰れたのは幸運というほか無かった。
「コウちゃん。お帰り。さっきは飛び出していったけど何かあったの?」
「はぁ・・・」
母親の言葉にまるで聞かずそのままベッドで横になった。もう何もかもどうでも良くなっていた。後の事は何も考えられなかった。ただ今までの積み重ねは終わったのだと繰り返しうわ言を呟き続けていた。目を瞑ると全て夜の美月の笑顔のみが蘇ってきてそれらが暗黒の中に吸い込まれていった。後には何も残っていない。
「くそ。何、やっちまったんだよ。俺。俺は人に手を出すなんて事はガキの頃に喧嘩した時にあったぐらいだったってのに。何で・・・」
一気に自分の昔を思い出していた。その時、思い当たることがあった。
3歳だったか4歳ぐらいだった幼い時のある日。両親はいつも仲がいいのだがその日は母が一方的に喋り捲っていた。父は目を瞑り、腕を組み微動だにしなかった。それでも母は話し続けると父は母の頬を引っぱたいたのだ。その時、普段温厚な父が一瞬だけ見せた変化した父の鬼のような表情は頭の中に離れなかった。父は言った。
「何故、お前は素直にごめんなさいと言えないのだ!」
言ってすぐ、自分が行った事を気付いたのか父は母に土下座して謝っていた。母は泣きながら父を責め続けた。
「こんな暴力夫とは一緒にいられない」
と、母が言って荷物をまとめ出した時、父はそれでも土下座を続けていた。母の意思は変わらず家を出ようとしているときに、何かあったような気がした。その時の事は覚えていない。覚えているのはその後、母は大泣きして、父に謝っていたという事だ。
父も母もその事を許しあったようでそれから今でも仲良く続いている。
『俺が、引っぱたいたのは父譲りか。脳の中に鮮烈に記憶されていたんだろうな。言われまくってリミッターを超えるとこのように行動してしまうって。こういうのを血は争えないって言うんだろうな』
冷静になんて考えたところで何の解決にもなっていなかった。ただ涙が出た。
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