髭を剃るとT字カミソリに詰まる 「髭人ブログ」

「口の周りに毛が生える」という呪いを受けたオッサンがファミコンレビューやら小説やら好きな事をほざくしょ―――もないブログ

The Sword 第十二話 (1)

2010-12-01 19:03:41 | The Sword(長編小説)
「ああ・・・」
一道は目を覚ました。日はかなり昇っていた。意識が不鮮明で、全身は気だるく、体は重く、朝起きたばかりだというのに力が出てこないというほど、疲れているという認識があった。風邪などの病気とは違うだるさであった。こんな事は今までの人生で一度もなかった。魂をこれほどまでに傷つけられた事は今までになかったからそのように感じられるのだろう。それでも、いつまでも寝ている訳にもいかないからゆっくりと起き上がった。
「ここは?どこだ?そうだ・・・何とか自力でここまで戻ってきたんだったな・・・」
昨日は魂を傷つけられ意識が朦朧としている中で歩き続けていた為、一瞬、思考が錯乱状態となったが少しずつ思い出す。今の場所は施設の自分の部屋。ようやく昨日までの意識があったところまでつながった。
「駄目だな・・・見張りが簡単に眠ってしまったんじゃよ・・・」

「ん?慶は?慶はどこにいる?」
昨日、得体の知れない攻撃によって一道よりも大きな魂の大穴が開いた慶が今はいない。慶は気絶したままだったので一道は布団に寝かして何時来るかわからない敵から慶を守る為に見張りとして起きていたつもりであったのだ、一道も負傷していたのだ。施設に帰ってきたという安心感もあってかいつの間にか眠ってしまったようだ。そして、目覚めてみて慶がいない事を知った。
「慶。どこにいったんだ?」
一道は、パシパシと顔を叩いて軽く気合を入れて重く感じる体を起こし、壁を支えにして立ち上がり部屋から出た。
「慶・・・お前は・・・」

昨日、重傷を負い、意識がない慶を背負った一道。少々負傷した剛にその彼に背負われる重傷を負った和子。肩をやられまだ気分が悪そうな港。その港に背負われ気絶している悠希。何とかこの7人は山から降りることが出来た。
「元気さん。大丈夫かな?」
和子は亮を殺し、こちらを痛めつけた奴と戦う為、そしてボロボロの自分達を逃がす為に一人向かっていった元気の身を案じた。
「元気さんは元気さんで元気にやっていますよ。今の、僕達は逃げないと・・・」
武は、かなりバテているようであった。つまらない事を言っている事に自分で気付いていないようだった。
「そう言うけど、安全な場所ってどこにある?」
誰もが思っているところだろう。そういう港の怪我の程度は比較的、軽い。もし敵がまた現れるようなら港が戦闘に立って戦わなければならないだろう。
「そ、そんな所あるの?」
「あそこの橋の下がある・・・そこはどうだ?」
「そうだね。そこしかない。どうです?」
今、まとに会話が出来るのは和子、港、剛の3人だけであった。この3人が一行の命運を握っていると言っても過言ではなかった。
「はぁ・・・はぁ・・・今、俺は疲れて考える事も出来ん。お前らに任せた」
一道は、話に食われる状況ではなかった。ただ、3人の決定に付き従うだけであった。集団でフラフラしながら歩いている所は周囲から見れば危険な集団としか見えない。ただ、小屋がある山の麓は民家も少なく、人通りも疎らで、幸い誰にも見つからずに済んだ。港の提案で一道が住む市と隣町とを結ぶ大多摩橋の下へとやってきた。自転車が通る道があるものの殆ど誰も通らない。ここで、一休みという所だ。その間に全員の体調を確かめる。
「皆さん。大丈夫ですか?」
港が全員の容態を確認する。全員悪そうであるが、死ぬという様子はなかった。
「ありがとう。剛君、私、重くない?」
「和子さんは軽いですよ。背中にいるなんて全然気づかなかったぐらいですから」
気付かなかった事は確かだろう。彼もまた必死で彼女の事を気遣う余裕がなかったのだから・・・
「石井さん。何とか助かったりって事はないかなぁ」
「言うなよ。もう・・・」
和子の希望に、港は首を振った。
「それってあんまりなんじゃない?私達は亮さんを置いてきたから助かったんだから」
「分かっている。分かっているからこそ言うなって言っているんだ。それに俺達だってここが安全なんて断言できないだろうが・・・」
もし、馬場たちが着けていて、応援でも呼んできたらひとたまりも無いだろう。
「これからどうするつもりなんです?このままここにとどまるつもりなんですか?」
剛が港に聞いた。昌成のような判断力がない幼児を除き、最年少だからこそ言える年上に求める助言。だが、ここにいる誰もがこれからどうするべきかなど、分かりはしなかった。
「・・・」
「このままここで隠れていたってしょうがないでしょ?」
「じゃぁどうするんだよ。俺達は今も狙われている可能性は否定できないんだぞ」
「だからってずっとここにいたっからって安全という訳でも・・・」
剛と港の話は平行線であった。
「そんなの帰るしかないじゃない・・・」
座り込んで大きく息を吸う和子の言う事に二人は注目した。
「帰るってどこにだよ?」
「自分の家」
「だから・・・狙われている可能性があるだろうが・・・」
面倒くさそうに答える港。相手にしていられないというようである。
「相手がどうなるのか分からないんだから、ここにいてもしょうがないじゃない?だったら、もう家に帰るしか選択肢は無いんじゃないの?」
和子の正論に、剛は黙った。一方の港はそれに納得していないようだ。
「だけど、家って本当に安全だとは思えないんだけどな。そんな事より警察に言って保護を求めた方が賢いと思うが・・・」
「魂の剣は普通の人には見えないんだよ。警察の人も同じ。何を言っているんだって笑われるだけだよ」
和子が言う常人とはそれはつまり、それを提案した港も入るだろう。港は、始めて体験した魂の感覚に再び攻撃を受けた肩を擦った。
「金田もいるしな・・・」
袖で一道が汗を拭いながら言った。話だけは聞いているようだ。
「金田?誰です?その人・・・」
「剣を扱える事が出来る警官だ。俺らはそいつに殺されかけた」
「殺されかけた?武田先輩が?そんなに強いんですか?」
「そんな事は後で説明してやる。だから間違っても警察に言ってはいけねぇ・・・」
気分が悪そうなのに、港に指示を出していた。港はその話を聞いて恐れた。現時点で一道を一目置いていると言うのにそれより強いと言う金田 直という男の存在は信じられなかった。だからこそ、一道はあんなにも真剣に剣道を行っていたと言う事が今、良く分かった。
「一体どうなっているんです?剣を持つ人達って?今回の事だってあり得ないでしょ?」
「俺だって知るか。全く、馬鹿が・・・剣を使えないのにしゃしゃり出てくるからこうなるんだ」
ソウルド。港は何か選ばれし者が使える特別なものだと思っていた。だから、これから何かの拍子で使えれば良いと思っていたが、対処法、使用法どころかその実態さえ、殆ど分かっておらず、ソウルドが本当に得体の知れないものでしかないという事が今、分かった。だからこそ、その研究を進めようと彼らは言っていたのかもしれないと、思えてきていた。
「他に行くところなんてない。帰るしかないの。何かあったらそれまで」
和子はかなり覚悟が据わっているようであった。港と剛はどこまで責任を持つというのだろうと思うが、それ以外に選択できる事は無いだろう。反対意見も出ないので各自の家に帰るしかないだろう。
「そういえば沼里さんのうち誰か、知っている?」
悠希にはどう考えても付き添いが必要だろう。だが、彼女の自宅の場所を知っているのは元気ぐらいしかいない。元気は戦いに出たっきりでどうなったかは分からない。
「う・・・うぅ・・・こ、ここはぁ?」
顎を強打し気を失っていた悠希がようやく、気がついたようであった。
「何とか逃げてきたんですよ」
「ま、昌成はぁ?」
「か、彼は・・・」
「私は昌成がいない。置いて・・・きた。戻らなくちゃ・・・昌成が待っている」
悠希もまた魂を傷つけられフラフラの状態であった。それでも昌成を求めて歩き出そうとした。
「待って!悠希さん!」
呼び止めても、彼女は歩みを止めない。しかし彼女の傷はかなり深いようで膝を突いてしまった。
「港君は沼里さんについていってあげて」
「そう言われたってまたあの戦いの場所に戻ろうとしているのでは・・・」
「力ずくで引き止めろ。それしか方法は無い!」
悠希は口で言って応じてくれる相手ではなかった。
「ですが!」
「やるしかないんだよ。元気さんに託されただろうが!」
元気。あの時の言葉が遺言になるかもしれないと思ったが港も覚悟を決めるしかなかった。
「分かりました。やります。やりますよ!何で俺がこんな目に・・・」
港はブツブツと文句を言っていたが悠希の方に向かった。後は港次第だろう。それから全員、分かれていった。元気や悠希達の事は気になったが全ての面倒を見られるほど肉体的に余裕は無かった。後は野となれ山となれという投げやりな気分でいるしかなかった。

傷ついた一道が慶を背負って帰るというのはかなりの重労働であったが、音を上げられる状況ではない。まだこちらを狙う者がいないとは言い切れなかったが、そんな事を気にしている状態ではなかった。駄目な時は何をやっても駄目なものである。だから後は自分の運を信じるしかなかった。一道はフラフラにであったが歯を食いしばり施設まで帰った。施設の子供達に色々と心配そうに言われたがそれから元気を布団に寝かせた。一道は何があるか分からないと、見張りをするつもりであったが、施設に着いたという安心感で、一道の緊張感も解けてそのまま彼も死んだように眠ってしまった。


「慶がどこに行ったか知らないか?」
「慶なら、ちょっと前にバイトの引継ぎをして来るって言っていたよ。顔が真っ青で辛そうな顔をしていたから休めないのかってお母さん、止めたんだけど・・・絶対に行かなきゃならないって・・・」
施設の小学生の綾が言った。一道は、聞いているうちに大きく目を見開いた。
「な、何で俺にその事を教えてくれなかった!!」
非難めいた目でその子を見て怒鳴った。
「え?えぇ?だ、だって、いちどー兄さん。起こしてくれだなんて言ってなかったでしょ?」
綾は明らかに怖いものを見るような目であった。
「ああ・・・そうだったな。ごめん。怒鳴って悪かった。ちょっと俺も疲れているからな・・・で、慶はいつ出て行ったんだ?」
「ほんの30分前ぐらいかな?でも、いちどー兄さんも大丈夫なの?あんまり体調良さそうじゃないよね」
女性特有というかよく気が付いてくれるのはありがたい事であったが今は、そっとしておいて欲しかった。
「ありがとう。気持ちだけ受け取っておく。だけど慶より症状が軽い俺が休んでいる訳にはいかないからね。アイツを力ずくで連れ戻して来るよ。倒れられたらみんなに迷惑がかかる。」
「そんなに体調が悪いの?」
「アイツの性格上、相当無理しているに違いない。それを悟られまいとしていたはずだ」
「うん。大丈夫、大丈夫って何度も言っていた」
「やっぱりな・・・ありがとう。じゃぁ言って来る」
一道は優しく微笑み、靴を履いた。
「うん。でも、慶兄さんもいちどー兄さんとそんな顔をしていたよ」
「そうか・・・俺はアイツより元気だから大丈夫だ」
今まで一緒にいたが為かやはり行動も似てしまうのは致し方ないのかもしれない。施設を出て歩き出した。

『バイトに行く?そんな訳がない・・・こんな状況で・・・』
だが他にどこに行くのだろうか?他の者達が一道以上に慶の事を知っている訳がない為、当てなどない。どうにか別の方法で見つけ出すしかなかった。
「すいません。今、ちょっと前にフラフラの高校生ぐらいの少年を見ませんでしたか?」
通りがかりの人に聞くぐらいしか方法は無かった。だが、そう簡単に慶を目撃しているわけもなかった。
「え?ってそりゃアンタの事じゃないのか?顔色が悪いぞ。大丈夫か?」
「知りませんでしたか・・・ありがとうございました」
慶を見ていないのなら用はない。一応、礼を言ってそのまま立ち去った。
『慶。お前はどこに行く?何故、こんな時に無言でいなくなる?何故だ?』
その疑問が頭の中を駆け巡る。それと最近の慶に対する違和感。
『まさか?いや、まさか慶に限って・・・そんな事は・・・俺は何て酷い事を考えてたんだ!慶に限ってそんな事はあり得ない!あり得るわけがない!!やはり俺は疲れているのか?』
頭の中で否定する。だからそれをハッキリさせる上で慶、探しを続ける。しかし、慶が行った方向さえ分からないのに探すというのは無謀と言えた。そんな状態であるが、慶を見つけなければならないという焦燥感に駆られていた。負傷した慶への心配やこの心のスッキリしない感じを解消する為には慶を見つけ出すしかないのだ。そんな一道の気持ちが引き寄せたのか、それともそれが運命とでも言うのか・・・
「フラフラの少年?見たよ」
「どこでです!?一体どこに向かっていたんです!?何時見たんです?」
一道が詰め寄ってくるので通行人もその迫力に引いていた。
「今、ちょっと前さ。国道17号の道をミニトタワーの方向に歩いていたな」
ミニトタワー。正式名称、多摩大型電波塔。高さ234mある鉄骨のタワーである。漢字ばかりで堅さを感じるので正式名称はあまり浸透していない。東京タワーより小さいものなので『ミニ東京タワー』それを略して『ミニトタワー』という名称で親しまれている。東京タワーよりも小型ながらも展望台があり、景色を楽しむ事が出来、デートスポットとしても利用されている場所だ。
「ありがとうございました!」
有力な手がかりを手に入れてそのまま走っていった。周囲に警戒しながら歩く。歩いていると途中に通行人に慶の事を聞くと、慶の目撃者は増えて行った。
「間違いない。この近くに慶がいる」
キョロキョロしながら歩いていると・・・
「慶!!」
反対方向の歩道に慶の姿を見た。表情を強張らせ歩いている。誰が見ても辛そうであった。すぐに慶の元に行きたいところだが、その道は国道で中央分離帯があるような片側三車線もあるぐらいの道路である。車の往来も激しい。だが、一道は態々横断歩道などせずその道を突っ切るように、慶の元へと行く。車は、そんな所に歩行者が通るなどとは夢にも思わないからクラクションを鳴らす車が多かった。
「!!」
慶は、そんなクラクションが鳴らされる方向を見た。すぐに一道を認めるや慶は驚いて、路地の方に入っていった。
「逃げる?何故だ!慶!!」
何とか反対の車線に渡り、慶を追跡する。道路脇は国道と言う事もあってコンビニやファーストフードなどの食事の店などが立ち並ぶ。もう少し奥にはいると民家などが軒を連ねている。
「見失った!」
残念ながら周囲に人がいなかった。これでは目撃者に慶の行方を聞くわけにはいかない。
「こういう時は・・・落ち着け・・・今の慶は逃げ続ける事は出来ないだろう。どこかに隠れているに決まっている」
辺りを見回し、考える。慶が行きそうな場所、慶が好む方向。それはまさにかくれんぼの感覚である。昔を思い出し、その感覚に頼るしかない。
「民家には入らないだろう。と、考えれば・・・」
一道は川のフェンスを越え、小さな川沿いの道を行く。草が覆い茂り、そこに木があった。
「慶、見つけたぞ!」
「あ・・・」
慶は木の袂でしゃがむようにしていた。一道に見つかった事によりゆっくりと立ち上がった。木に手を掛けているぐらいだったからやはり重傷である事は見て取れた。
「こんな時に、どこへ行く?慶」
「それは・・・」
普段の慶とは違って一道に対して伏し目で一道と目をあわせようとしなかった。その様子を見て、一道は確信を得た。
「まさか・・・やっぱり、お前・・・が・・・裏切っていたのか?」
「!!」
慶は大きく目を見開いて、グッと拳に力を込め、一道を睨み返した。
「俺が裏切っただと!?俺が裏切っただと!?」
「あの連中が小屋の位置を正確に知り、しかも待ち伏せていたなんて事は普通に考えて出来るわけがない。誰かがあの場所を教えたとしか思えない!それを・・・それがお前だったのだな。自分を傷つけてまで偽って・・・何故だ!教えろ!何故俺達を!」
「ふざけるんじゃねぇよ!いちどーーー!!」
一道が話している最中に、慶は大声を張り上げ、身を震わせて、叫んだ。一道は慶の今まで見た事もないような剣幕に固まってしまった。それは傷つき、辛さから来る表情もあるかもしれないがそれ以上に苛烈な激情がその顔に現れていた。
「裏切ったのは俺じゃねぇ!お前の方じゃねぇか!」
「な、何?俺が裏切っただと?」
一道は全く予想もしない事を言われた為か怒りはあまり生まれなかった。裏切り者から裏切り者扱いを受ける筋合いは無い。と言うより、自分が一体いつに裏切ったとでも言うのか?思い当たる事など一道にはなかった。ただ単に傷ついている慶は気が動転しているのだろうと思った。だが、その一道の感情こそが裏切られる事になる。
「いや、裏切っちゃいなかったか・・・お前は始めから俺と約束なんてしていなかったんだからな!!」
「約束?何の事を言っているんだ?」
「わ、忘れたのか?そうだよな。コレを平然とやってくれるのだから、そんな事、記憶にあるわけなんてねぇよな?俺は、お前だけはこの地球上でお前だけはと思っていた。だが、お前も結局、同じだった。いや、お前が一番酷かった。今まで俺がずっと、信頼を寄せていた俺の心に対しての裏切りは!!」
慶の怒りは間違いではないだろう。記憶の糸を一気に手繰り寄せる。慶との約束を・・・しかし、思い出せない。
「全く、笑っちまうよな。もう10年も昔の話だよ。俺は、施設に来て、他人なんて誰も信じられない。ずっと俺は一人だと完全な人間不信に陥っていた。それをお前が変えてくれた。だから、俺はお前と約束をした。約束をしたと思っていた。俺達はどんな事であろうとずっと隠し事はなしってな。だが、実際はどうだ!お前は母親と一緒だったじゃねぇか!それを今まで隠し続けてきた!約束をしようとしたのにも拘わらず!お前は最初から約束なんてしちゃいなかったんだ!お前を許せるかよ!絶対に許せるかよ!お前だけは!俺を10年間も信じ込ませたお前だけは!!」
「そ、それは・・・」
そう言い掛けた時に慶はソウルドを発動させていた。しかし、傷ついている慶が出しているソウルドである。普段と違って弱弱しく、ゆらめいていたが明らかに殺気が込められていた。邪魔するようなら殺すと・・・しかし、今のふらつく慶を倒す事は一道にとっては決して困難な事ではないだろうが、一道自身が完全に動揺してしまい、戦いどころではなかった。一道は膝を突いて震えた。慶は歩いていくが見ているだけしか出来なかった。
「ど、どこへ・・・行く?慶・・・どこへ?」
「・・・」
振り返る事もなく、慶は歩いてしまった。振り返る事もせず、相変わらずフラフラな状態で・・・だが、その歩みに迷いは見られなかった。一道はガタガタと震えてしまい、足が一歩も出ず、慶を追う事は出来なかった。

「慶・・・」
完全に、姿が見えなくなってから数歩、歩みを進めてみたが体の震えがひどく上手く歩けず、遂に膝を突いてしまった。
『私が、私が慶ちゃんを苦しめていたって事なのね・・・』
珍しく、母親が一道の心に語りかけてきた。物悲しくまるですすり泣くように。一道の心に直接語りかけているのだからすすり泣く事など出来はしないのだが、実際に母親がここにいれば泣いているだろうと言う事が良く分かった。それに対して、一道は何も伝える事が出来なかった。彼もまた母親と同じぐらい悲しかったのだ。

暫くして、一道もゆっくりと立ち上がり歩き始めた。慶を追うためではない。と言うより、既に慶の姿は見えない。逆の方向に向かって歩き始めたのであった。
「慶・・・慶・・・アイツの言うとおりだ。俺が同じ立場でも許せる事じゃねぇないよな・・・」
10年前、慶が施設にやって来た。全ては本人の口から直接聞いた。勿論、本人からしても言いたくなかった事だろう。しかし、彼はその約束を守る為に態と己の傷をさらしたのだろう。それはあまりにも衝撃的な過去であった。
慶の両親は世間から見れば何の問題もない理想的な家族であったらしい。しかし、それは表面的なものであり中身は全く別物であった。確かに、良く働き、家族とのコミュニケーションもしっかり取ろうとする夫。そんな夫の為に尽くし、子育てを行う妻。お互いに不満など生まれようもないはずもない家庭。だが、人間は勝手なもので何事も理想的であればあるほど自ら、変化を望む性質があるものだ。妻は、燃えるような恋を経て、夫と一緒となった。その結果、誰もが羨み、不満も起きない生活。彼女にとってはそれこそが不満であった。家庭内でいくつもトラブルなどを経て、家族みんなで成長する。そんな生活を望んでいたのだ。それに、世間から理想的な家族と評判になることで自分自身を理想というレールから外れないように生きていかなければならなかった。それは自分自身を縛っておく鎖でしかなかった。そして、変わらない日常は奔放な彼女の心を退屈にさせた。そして何もかも上手く行っていてこのまま何も変わることなく自分は老いていくのではないかと言う事を恐れた。それを話しても誰も理解しないだろうから一人で抱え込み、悩み、苦しんだ。夫にさえいえなかった。言ったとしても今は幸せだと片付けられてしまったからだ。そんな時、彼女は出会ってしまった。美容院の若い男であった。別に、家庭を壊したいわけでも、幸せを壊したい訳でもない。ちょっとした出来心という感覚であった。が、その若い男と一緒いる事で燻っていた女心が燃え上がってしまった。それは自ら危険をおくように・・・家族の幸せの為に、仕事に打ち込む父親はそれに気付かず、ましてや幼い慶はそんな母親の秘め事など知りはしなかった。彼が知るのはその後のおぞましい事件だけであった。
友達と公園での遊びの約束をしていたが雨が降ってきたからと言う事で取りやめとなって、家に帰ろうと歩いていると、偶然、父親も体調が優れないと言う事で帰ってきており、一緒に家に帰る事にした。それがただの偶然なのかそれとも虫の知らせだったのかそれは分かりなどしない。家のドアを開けると見知らぬ男の靴があったのだ。そんな事は何も知らされていない父親はただ事ではないと、玄関においてあったバットを手にした。父親から危ないからその場にいろと言われ、父親が部屋の奥に入ると、突如、父親は大声を上げた。それからその男女が騒いでいた。バタバタと音が聞こえ、今まで聞いた事が無い人の悲鳴を聞いて、声が消え、それから何度も硬いものがぶつかる音がして、そして、静かになった。不気味なぐらいの静寂。父親も戻ってこない。どうしたら良いか分からず、恐る恐る部屋を覗くと、バットを持って何やらブツブツと呟きながら立ち尽くしている血まみれの父親と、ちゃんとした形をしていない潰れた真っ赤な2つの塊があった。
近所の人が騒ぎを聞きつけて警察に通報し、父親は逮捕された。ニュースにもなって父親の名前が出た。そんな殺人犯の息子という立場の慶には親戚も引き取ってくれず身寄りが無かった施設に預けられる事になった。それが彼の事情であった。
慶自身も母親の事情は分かるわけがなかったが、幼い慶であっても母親と別の男と一緒にいたから父親に殺されたのだと言う事だけは分かった。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿