ある日突然に・・・
highdy の親父は私に迷惑をかけまいと、ひたすら隠してひと口の愚痴も言わず、必死におふくろの介護をしていたようです。そのお蔭で本来は2人の親の面倒を看なければいけないのに親父だけの負荷になり、私は2人分のつもりで心を込めて最大限の努力をして老人介護をしました。
それには当然ながら紫陽花(家内)の了承が必要でした。何せ、相談もなくある日突然、勝手に会社を辞めてくるのですから彼女もびっくりです。
しかも、彼女を自宅に放っておいて、highdy が単身で実家へ介護に帰ってしまうのですから。理解のある家内であったからこそ実現できたことです。
しかし、それは結婚当初から「お互いに自分の親は自分で看る」という合意があったので、愚痴一つ言わず快く送り出してくれました。
highdy の親父は私に迷惑をかけまいと、ひたすら隠してひと口の愚痴も言わず、必死におふくろの介護をしていたようです。そのお蔭で本来は2人の親の面倒を看なければいけないのに親父だけの負荷になり、私は2人分のつもりで心を込めて最大限の努力をして老人介護をしました。
それには当然ながら紫陽花(家内)の了承が必要でした。何せ、相談もなくある日突然、勝手に会社を辞めてくるのですから彼女もびっくりです。
しかも、彼女を自宅に放っておいて、highdy が単身で実家へ介護に帰ってしまうのですから。理解のある家内であったからこそ実現できたことです。
しかし、それは結婚当初から「お互いに自分の親は自分で看る」という合意があったので、愚痴一つ言わず快く送り出してくれました。
親孝行とは、
・ 重いものを持ってあげたり、
・ 行きたい所に連れて行ったり、
・ 好きなものを美味しく食べさせたりすることではありません。
もちろん、それも親孝行の一部にはなります。では、
・ 何でも親の好き勝手に自由にさせればよい? のでしょうか?
もちろん、それも親孝行の一部にはなります。では、
・ 何でも親の好き勝手に自由にさせればよい? のでしょうか?
いいえ、そうでもありません。
自由であっても、素直に受け入れる親の場合と、そうでない場合(見掛けは喜んでいるが、内心では心配をしている状態)もあります。
自由であっても、素直に受け入れる親の場合と、そうでない場合(見掛けは喜んでいるが、内心では心配をしている状態)もあります。
後者では双方に認識の違いがあり、いずれ何らかの争いに発展します。
highdy 流哲学による究極の「親孝行」というものは、「幸せ」にするという意味とは若干異なるもので、
highdy 流哲学による究極の「親孝行」というものは、「幸せ」にするという意味とは若干異なるもので、
・ 何事においても親に心配をかけることなく、
・ 常にも笑顔で、優しく接することです。
時間やお金だけではなく犠牲が・・・
簡単に言いますが、これが意外にできそうでできないことです。いくらお金や時間があっても、最も大切な「愛情」がないと容易にはできません。
一般的には、介護される親の身内には当事者でないと分らない様々な事情や苦労があるものです。介護者を含めて身内全体が犠牲になるケースも多いです。
親に何らかの持病があったり、認知症であったり、はたまた(親の)子供に関する心配ごとがあるとそうはいきません。
加えて、介護中に怒鳴られたり粗相を目にすると、人間だからつい愚痴を言ったり怒ったりするのが人の常です。
簡単に言いますが、これが意外にできそうでできないことです。いくらお金や時間があっても、最も大切な「愛情」がないと容易にはできません。
一般的には、介護される親の身内には当事者でないと分らない様々な事情や苦労があるものです。介護者を含めて身内全体が犠牲になるケースも多いです。
親に何らかの持病があったり、認知症であったり、はたまた(親の)子供に関する心配ごとがあるとそうはいきません。
加えて、介護中に怒鳴られたり粗相を目にすると、人間だからつい愚痴を言ったり怒ったりするのが人の常です。
手前味噌ですが、お蔭でご近所でも ”評判息子” になり、病院でも有名になってしまいました。
生前、親父はいつも私に「無理をするなよ!」、「気を付けて行けよ!」、「ありがとう」とよく言ってくれました。紫陽花が見舞いに来ると、「〇〇子さん、あんたに不自由な思いをさせてすまんのう(すまないね)」と、泣いて詫びてくれていたと後日談で聞きました。彼女にとって、大きなひと言の報われた「ことば」でした。
生前、親父はいつも私に「無理をするなよ!」、「気を付けて行けよ!」、「ありがとう」とよく言ってくれました。紫陽花が見舞いに来ると、「〇〇子さん、あんたに不自由な思いをさせてすまんのう(すまないね)」と、泣いて詫びてくれていたと後日談で聞きました。彼女にとって、大きなひと言の報われた「ことば」でした。
本日もご来訪いただきありがとうございました。
皆様の ポチッ! に心から感謝します。
朝から ほっこりしました
私は晩年の母を叱ってばかりでした。しかし、そのときは叱らずにおれない私だったから仕方ないかなと思っています。こちらのご夫婦はよくできた方々と感服したします。
私には介護の経験はありませんので軽々
に言うことはできませんが、その大変さ
と同時に根本にあるものは愛情だという
ことが少しわかったような気がします。
「老人介護のエピソード」を拝見し、
よくぞここまで・・と目頭が熱くなってきました。
いつも、ご訪問ありがとうございます。
嬉しいお言葉ありがとうございます。
自分の周囲は自分の鏡と思って、親子でも他人でも対応する心掛けが大切だと思います。
「叱る」ということは、その人に愛情があるからできることですが、とても難しいものです。
特に、子供の場合は、叱った何倍も誉めて優しくする必要があり、大人の場合は良い所を沢山誉めた後で叱ると、叱られたのではなく注意(指導)をしてくれたと思われます。
認知症の場合では、叱っても無駄なので無駄なことはやめて、笑顔で接すると従順になると思います。
世間の話では、私ほど尽くす行動は少ないように感じます。
特に、老人介護では認知症(私の場合は、認知症も糖尿病も治した話を以前に投稿しましたが・・・)が加わるので、つい感情的になってしまうことが多いと思いますが、愚痴を笑顔で接することで普通の方は心の中で「申し訳ない、ありがたい」と思ってくれると思います。
それが、親父の「ことば」として表れたたのでしょう。
親父はボケていなかったので、可能な限り介護をする私に迷惑をかけないためにエピソードに書いていない数々の努力をしていました。とても、感謝しています。
私も家内もそれぞれの親を「心残りのない介護」ができたので、心安らかにいまの老後が楽しめています。
両親の終末の世話をするのが、現状では、お嫁さん、娘で7~8割の昨今です。私の父は母が、母は私と同居することになり、兄は、仕事が休みの時に週一位に日中に来ました。弟は遠くで小さい子がいてなかなか来ることはできませんでした。
highdyさまは、近年で、珍しい存在といえるのではないでしょうか。愛妻というには、恥ずかしいお年頃なのでしょうね。紫陽花を何度も繰り返していうと、愛妻に聞こえてきます。お幸せに!
中々、家庭内のことが見えにくかったのが、ネット、ブログによって見ることができるようになりました。ブログをしていない友達にも情報を伝えることができとても役立っています。有難うございます。 K.M
いつもご訪問ありがとうございます。
遠くの親戚より近くの他人」という言葉がありますが、イザというとき地理的に遠い身内は役に立ちません。それも男性の場合は、尚更というケースがよくあります。
家内は6人兄弟で、女性は家内の妹と2人だけで、親の介護について長男すら役立たず状態でした。正に仰る通りです。
私は何でも器用にこなす親父を見て育ったので、創意工夫・発明が好きなのも親父譲りだと思います。それにどんなことも興味を持ち挑戦するタイプですので、男ながらに料理もすれば、ミシンも踏め、針仕事もやります。仕事柄、ヤル気になれば、どんな種類の工事も無資格ながら殆どできます。私の年代の多くの方から驚かれています。
紫陽花はご指摘の通り照れるので、ネット上では愚妻のことを「紫陽花」と表現しています。
最近はブログなどで、それぞれの家庭内の様子が丸見えで面白いですね。あまり暴露するのも恥ずかしいですが、暴露できないほどの良くないネタも少ないので、面白可笑しく公表できたらと思い書いています。
久しぶりに、1月28日に98歳の母を
亡くして、涙したばかり・・・
親孝行・・人それぞれとはいいますが
親子の愛情の深さで・・当人はその時
精一杯・・でも 後悔はつきもの
愛情も底なし・・自分で自分を慰める
しかありませんでした。
親孝行・・したい時には、親はなし
いいお話を、ありがとうございました
highdyさんご夫妻の人生は素晴らしいですね。
お父様の看取り、大変なことでしたね。
両親の近くに住んでいましたので
父の時に半年看護休暇をとりました。
母は父没後4年後に逝きました。
母は認知症が出ましたが当時は施設がありませんでしたので一人で生活していました。
倒れて病院で1週間眠ったまま、下の世話をされないで逝きました。
今後、認知症の夫との生活がどうなるか
解りませんが、とても勉強なりました。
本当にありがとうございました。