神式による墓仕舞い
きょうは、highdy の姉のお墓仕舞いをします。赤ん坊(墓石には二才と刻まれているので昔は”数え”で表現したので多分1才余り)の時に亡くなったのでしょう。
きょうは、highdy の姉のお墓仕舞いをします。赤ん坊(墓石には二才と刻まれているので昔は”数え”で表現したので多分1才余り)の時に亡くなったのでしょう。
新たな埋葬霊園は自宅から車で20分、徳川時代の御朱印の殆どを持つという由緒あるお寺の所有で、両親・姉が同じ霊園に眠ることになります。これまで姉のお墓参りは年に3~4回でしたが、これからは毎月 highdy 夫妻のお経が唱えてもらえます。
(寺の総門建て替えだけで2億円という、地元では有名ないいお寺さんです。)
一般的にお墓仕舞いは圧倒的に仏式が多いのですが、highdy はどちらかと言えば無心論者なので、精神的な心構えさえあればよく、あくまで慣習行事であって宗教には拘らず、儀式は神道(しんとう)方式で行います。
そもそも「神・仏」というものは、信じる人にしか存在しません。
信者であっても実生活が伴わない方々が多いです。
highdy はそれらの方々に比べれば、野菜は完全無農薬で自家栽培、買うときも減農薬、サプリメントは買ってまでは使わない、薬も可能な限り使わないなど、精神面においても、はるかに良い生き方をしているつもり(?)です。
我が国は宗教には節操がない
我が国は世界でも珍しく無宗教の方が多く、NHKの調査でも国民の約2/3が無宗教、1/3が仏教です。神道は仏教の1割(全体の3%)、キリスト教に至っては全体の1%しかありません。
日本人は宗教には節操がなく、結婚式は神前結婚(神道)や教会(キリスト教)で、家を建てる時の地鎮祭には神主さん(神道)を呼び、亡くなったらお坊さん(仏教)という事実がそれを物語っています。
儀式は仏教に比べて簡単で、お供物(くもつ)も花も不要で神主さんがすべて用意されます。ただ、神社の参拝と異なり柏手(かしわで)は打たず、忍び手(神道で用いる、音を立てないで打ち合わす拍手)を用い、玉串奉奠(ほうてん:これにも作法がある)をするだけです。
というわけで、関連のあるお話を少しだけ駆け足で・・・。ご参考までに。
我が国は宗教には節操がない
我が国は世界でも珍しく無宗教の方が多く、NHKの調査でも国民の約2/3が無宗教、1/3が仏教です。神道は仏教の1割(全体の3%)、キリスト教に至っては全体の1%しかありません。
日本人は宗教には節操がなく、結婚式は神前結婚(神道)や教会(キリスト教)で、家を建てる時の地鎮祭には神主さん(神道)を呼び、亡くなったらお坊さん(仏教)という事実がそれを物語っています。
儀式は仏教に比べて簡単で、お供物(くもつ)も花も不要で神主さんがすべて用意されます。ただ、神社の参拝と異なり柏手(かしわで)は打たず、忍び手(神道で用いる、音を立てないで打ち合わす拍手)を用い、玉串奉奠(ほうてん:これにも作法がある)をするだけです。
というわけで、関連のあるお話を少しだけ駆け足で・・・。ご参考までに。
神社本庁と社号
神社本庁とは、戦後(昭和21年)に伊勢神宮を本宗とする神道の宗教法人がつくられ、宗教法人法に基づく文部科学大臣所管の全国約 8万社の神社を包括する組織である。神社本庁と「庁」が付くが、役所ではない。
神社庁とは、全ての都道府県に一つずつ設置されている神社本庁の地方機関で、神社庁も宗教法人であるが、神社本庁の被包括法人である。
類似する宗教法人が神社・神宮・宮・大社など異なる呼び名がついているが、これらは「社号(しゃごう)」といい、好き勝手に名乗っているわけではなく、一部の例外の例外を除き一定の基準によって名付けられている。
各神社には、仏教でいう宗派(通常13宗56派とも言われる、リンクご参照)のように神道にもお祀(まつ)りされている神様(祭神)により系統(系列)がある。その系列の一部が「八幡」「稲荷」「天神」(別名「天満宮」ともいう)である。
従い。八幡系列の神社は「八幡宮」だけにとどまらず、「八幡神社」や「八幡社」と名乗る神社もあるが、すべて同系列である。主に八幡大神(応神天皇)・比売大神(ひめがみ) ・神功皇后(応神天皇の母) を祀っている。
神社本庁とは、戦後(昭和21年)に伊勢神宮を本宗とする神道の宗教法人がつくられ、宗教法人法に基づく文部科学大臣所管の全国約 8万社の神社を包括する組織である。神社本庁と「庁」が付くが、役所ではない。
神社庁とは、全ての都道府県に一つずつ設置されている神社本庁の地方機関で、神社庁も宗教法人であるが、神社本庁の被包括法人である。
類似する宗教法人が神社・神宮・宮・大社など異なる呼び名がついているが、これらは「社号(しゃごう)」といい、好き勝手に名乗っているわけではなく、一部の例外の例外を除き一定の基準によって名付けられている。
各神社には、仏教でいう宗派(通常13宗56派とも言われる、リンクご参照)のように神道にもお祀(まつ)りされている神様(祭神)により系統(系列)がある。その系列の一部が「八幡」「稲荷」「天神」(別名「天満宮」ともいう)である。
従い。八幡系列の神社は「八幡宮」だけにとどまらず、「八幡神社」や「八幡社」と名乗る神社もあるが、すべて同系列である。主に八幡大神(応神天皇)・比売大神(ひめがみ) ・神功皇后(応神天皇の母) を祀っている。
日本には「八百万の神」という概念があり、全国には数多くのさまざまな神々を祀る神社がある。八幡信仰は特に多く、全国に約 8,000社あるという。大分県の宇佐神宮はその総本宮である。
神社・神宮・宮・大社
【神社】 最も一般的な社号で且つ神社の総称、個別の呼称を指し特に基準はない。
神道の神を祀る施設の総称と考えてよい。
【神宮】 皇室の祖神、歴代天皇、皇室とゆかりの深い神を祭神とする神社で、最も格式が高い。
神宮 の社号を持つ神社は全国に25社ある。
明治時代、皇室の祖先神や皇室と縁の深い神を祭神とする神社が勅許を得て社号を 神宮 に改称されている。
平安時代には、伊勢神宮(三重県)、香取神宮(茨城県)、鹿島神宮(千葉県)の三社のみが 神宮 という社号を名乗っていた。
北海道神宮(北海道)は昭和39年、英彦山神宮(福岡県)は昭和50年に、神社本庁の許可を得て 神宮 に改称されたものである。
【宮】 嫡男系の皇孫を祭神とする神社。
【神宮】 皇室の祖神、歴代天皇、皇室とゆかりの深い神を祭神とする神社で、最も格式が高い。
神宮 の社号を持つ神社は全国に25社ある。
明治時代、皇室の祖先神や皇室と縁の深い神を祭神とする神社が勅許を得て社号を 神宮 に改称されている。
平安時代には、伊勢神宮(三重県)、香取神宮(茨城県)、鹿島神宮(千葉県)の三社のみが 神宮 という社号を名乗っていた。
北海道神宮(北海道)は昭和39年、英彦山神宮(福岡県)は昭和50年に、神社本庁の許可を得て 神宮 に改称されたものである。
【宮】 嫡男系の皇孫を祭神とする神社。
日光東照宮のような例外も多数ある。
【大社】 特定の神を祭神とした神社グループの「本社」に相当する神社で、伏見稲荷大社もその一つで、稲荷神社にも系列がある。
大社 という社号を名乗っている神社は全国に24社ある。
平安時代に定められた神社の社格(ランキング)制度の中で、極めて高いランク付けがされている官幣大社や国幣大社も 大社 という社号を名乗る基準による。
【大社】 特定の神を祭神とした神社グループの「本社」に相当する神社で、伏見稲荷大社もその一つで、稲荷神社にも系列がある。
大社 という社号を名乗っている神社は全国に24社ある。
平安時代に定められた神社の社格(ランキング)制度の中で、極めて高いランク付けがされている官幣大社や国幣大社も 大社 という社号を名乗る基準による。
本日もご来訪いただきありがとうございました。
スマホでどうぞ
法人税を課税すべきです。
これには 公益財団法人や一般財団法人、社団法人
そしてNHKのような特殊法人の非課税措置が一部の
お金持ちの税金逃れになっているからです。
これらの非課税法人を全部一律に法人税課税すること
で国税の、会計検査院の目が入ります。今課税したから
と言って困る国民はいないはず。・・国民投票で
その賛否をとってもいいはずですよね~
highdyさんが常日頃、博学ではなく「雑学」だと仰いますがここまでくると(?)博学、博識に間違いありませんよね。
「屋根裏人のワイコマです」さんの仰る「ならばこそ・・」を今こそ国民のために、国のためにも真剣に考えるべきでしょうね。
仰る通りです。
お金持ちの税金逃れのために、それら法人の非課税が悪用されるのは決して好ましいことではありません。
会計検査院の目が光るように、適度な国税を課すことは大賛成です。
場合によっては、それも怪しい金にまみれた与党が決定するのではなく、国民の総意を訊いた方が良いと思います。
今回は神道に関してだけの記事ですが、俗に言う八幡さま(宮)だけでも全国に 44,000社があります。
元々は九州地方の信仰であったようですが、それは「卑弥呼」以降の古墳と関係があるようです。つまり、国のトップであった方を祀る信仰の一つが段々大きく広まったと考えることができます。
仏教にまで関して書くと大変なことになるので、今回はやめておきましたが、少しはお役に立つ方々がおられるかも知れませんね。
宗教心の有無は別にして、国民の各自が生き方、政治の在り方、税金のかけ方などに関して関心をもつべきものと考えます。
私は特定の宗教を信仰していなくても、信仰心は持つべきだと思っています。
というより、生きている以上、自然にお天道様に手を合わせたくなるのが信仰だと思うからです。
今日ご紹介いただいた日本の津々浦々にある神社は、自然発生的にこの国に生まれたものだと思うから私は事あるごとに訪ねて拝ませていただいています。
神社に鏡があるのは鏡(かがみ)から我(が)を抜くと神(かみ)になるから、神社で拝んでいるのは自分という神様だと聞いたことがあります。
なら、素性のしれない教祖様を拝むより、神社に出向いて己の神様を拝むほうが、ずっと理にかなっていると思います。
が、今日は、博学のハイディさんを拝ませていただきたく思いました。
これからもよろしくお願いいたします。
いつもご訪問・コメントをいただき、感謝します。
仰るように、自分が神であり・仏であることを悟ることが大切なのです。
神や仏を呼んで来られると思ってはいけません。それは他力本願で、自分は何も努力をしていません。自分が神であり・仏なのですから、悪いことはできません。寧ろ他人のために尽くすこと、他人を助けることが自分の使命と思えばいいのです。
でもね、普通の方はそこへ至るのが難しいのです。
私は自分なりに「悟った」(大袈裟ですが・・・)と、何処かに書きました。確か、「highdy のことばシリーズ」だったと思います。
神や仏は罪人を作りません。それは人のすることです。人間界では、特に悟っていない悪いことをする方は、罰を受けないと悪いということが判らない可哀そうな方です。従い、罰を与えて気づかせて、救ってあげることが必要になります。
そのような考えで宗教を見ると、多くの宗教は他人を助けるフリをして、お金を集める集団です。普通の人が宗教に入信するのは、殆どの方が悩んだり、困っているときです。
宗教の多くは基本的に営利集団です。あくどい宗教集団はそこにつけ込んで、いとも簡単に入信させ金儲けをします。そして洗脳して、さらに大きな金儲けを企みます。
私はそのようなことに気づき、できるだけ他人のためになるような生き方に考えを変えたのです。私を拝んでも何も損得はありませんが、真似をすることは良い生き方になるのではないかと思いますが・・・。