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勇気とは
「怖さを知っていて何かを始めようとする意識」のこと、挑戦のことです。
言葉(別の機会にアップ)には「勇気を与える力」がありますが、その「勇気」とは、何かを始めたいという気持ち=意識を示すものであり、「怖さを知っていて挑戦する」ことを意味します。
世の中の達人(職業とするプロモ含む)は、「見えない力」、すなわち「無言で人に勇気を与えてくれる」ものです。その無言の力に感化されて、何かを始めようとする意識、それは「勇気」です。
勇気にもいろいろあり、何ごとも始める勇気、失敗する勇気、助けを求める勇気、引く(怖がる)勇気など様々な勇気があります。勇気=決断力ということもできます。勇気をもって行動することは、「勇敢」とも表現されることがあります。
「怖さを知っていて何かを始めようとする意識」のこと、挑戦のことです。
言葉(別の機会にアップ)には「勇気を与える力」がありますが、その「勇気」とは、何かを始めたいという気持ち=意識を示すものであり、「怖さを知っていて挑戦する」ことを意味します。
世の中の達人(職業とするプロモ含む)は、「見えない力」、すなわち「無言で人に勇気を与えてくれる」ものです。その無言の力に感化されて、何かを始めようとする意識、それは「勇気」です。
勇気にもいろいろあり、何ごとも始める勇気、失敗する勇気、助けを求める勇気、引く(怖がる)勇気など様々な勇気があります。勇気=決断力ということもできます。勇気をもって行動することは、「勇敢」とも表現されることがあります。
中でも、助けを求める勇気、引く(怖がる)勇気を持つことは、始める勇気以上に勇気が要ることです。場合によっては、膨大な事故や損失に繋がったり、生命に関わる危険に遭遇することもあります。
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無謀とは
読んで字の如し、何の謀りごとも無しに行動すること、つまり「結果に対する深い考えの無いこと」を意味します。
勇気と違って「怖さを知らずに無計画に行動すること」なのです。人は己の知識・技術・経験であらゆる判断をします。それらの情報があり過ぎて、勇敢になれないこともありますが、逆にそれらが不足して無謀な行動に出る場合もあります。
しかし、以前にも書きましたましたが、知識や技術は無いよりあるに越したことはありません。豊かな情報があればあるほど正しい判断ができます。
無謀なことをする人は、悲しいかな人生経験も浅く、知識・技術に疎(うと)い可哀想な人なのです。
無謀なことをする人は、悲しいかな人生経験も浅く、知識・技術に疎(うと)い可哀想な人なのです。
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管理職としての勇気
上記のように、怖さを知ったうえで判断できれば勇気になり、怖さを知らずしていきなり行動にすれば無謀になります。
組織における管理職というものは、上になればなるほど「孤独」なものです。
そのことは、他人に嫌われる勇気を持つことが必要であることを意味し、協調性よりも大切なことです。他人に嫌われる = 誰かを不幸に陥(おちい)らせるような判断も数多くしなくてはなりません = 結果、孤独になってします。
孤独状況での判断は、時として誤った判断をすることがあります。だから、上級の管理職やリーダーは優秀なブレーン(頭脳、知的指導者)を複数擁する必要があります。
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でも、どこかの政治家のように、ブレーンが沢山いても、耳をかさない、単独判断、記録を残さない証拠隠滅や嘘発言の繰り返し、トカゲの尻尾切り、無責任行動、税金の無駄使いをしいては、憲政史上、最も国民の 実質賃金を引き下げ・ 実質消費を減らし・最も出生数を減少させたことも、頷(うなづ)けます。10万円のばら撒きをして、近い将来に大幅増税は明らかなのに、その頃は恐らく石の下でほくそ笑んでおられるでしょうね。
皆様の ポチッ! に心から感謝します。
例えば社会生活の中で会社であれ家庭であれ
人との交わりの中での行動は勇気ですね
社内での報告は勇気が無いと報告は出来ません
人は自分の都合に合わせて報告しがちです
勇気が無いと本当の報告もできません
公共交通機関に於いても席を譲る勇気が無いと席も譲れませんしどなたか困っている方にも勇気がなければ話しかけられません
本当の事を言うのはやるのは勇気が必要です
政治家で勇気がある方は見かけられませんね
モリかけ問題での犠牲者の方も勇気がない政治家。官僚により殺人事件となっとのではないのでしょうか。
息子は部下に対しても以前は『叱咤激励型』タイプで、あるときは管理職ならではの孤独感も味わい、飲みに行くから・・・という理由で私のところへなんとなくアドバイス的な事を求めてくることもありました。
私はhighdyさんの言葉とともに私自身も多用してきた『褒めて育てる』の必要性を説いてからはやはり変わってきましたね。
ただ、経験やアドバイスを自分のものにすべく努力している事は感じ取れますし、物事を躊躇なく決断し、実行するという海外勤務で身につけた私にはないものもたくさん持っているように感じますので、そのうちまた今日のhighdyさんのことばをそれとなく伝えて見ようと思っています。
ありがとうございました。
いつもご訪問ありがとうございます。
何をするにも、「決断力」が必要です。すなわち、それは「勇気ある行動」を意味します。正しいことを堂々とすることも、悪に立ち向かうことも正義感に燃えた行動であれば、怖いものはありません。
でも、世の中には精神的に弱い方、内向的な方は多いもので、正義感があっても勇気が乏しければ、いろんなことに怯えて立ち向かえないものです。立ち向かうにも、自分の家族に及ぶ被害を怖がって行動できない方もいます。
そのような方が、悪政の犠牲になるのは非常に残念なことです。勇気のある人がそのような犠牲者を出さないように行動することも大切ですね。
「ペンは剣よりも強し」という言葉があります。私たちは体力は若い人より劣るかも知れませんが、長年蓄積され知識や経験があります。それを文字に変えて素晴らしい世の中になるべく、務めることはできると思います。
いつもご訪問ありがとうございます。そしてコメントをありがとうございます。
いつも息子さんを思う fumiel-shima さんの親心に感心しています。
「叱咤激励型」も「褒めて育てる型」も人により、ケースバイケースで使い分けることも必要です。
ただ、私の場合は、叱る場合でも叱った5倍も10倍も優しく諭すように心がけてきました。小さな子供の場合は特にそうです。
どうしても後の行動の方が記憶に残りやすいのです。つまり、後味が悪くないのです。
いつも言いますが、人はいい思いをすると、また同じ状態になりたい、褒められたい気分になります。
それを利用して教育するのもいいと思います。
これから「上」に立つ者として、しかと心に留め置きます!
管理職の中でも中間管理職は、上下の板挟みで辛いという話を良く聞きますが、トップに立てばさらに責任も重く辛くなるものです。
そのために、「それだけ報酬をもらっているだろう」と言われればそれまでですが・・・。