ユア・ハイハート、自らの神聖さと共に。

心や魂のこと。生きる勇気と希望。
世界はいつも儚く光に溢れてる。誰もが強くて優しい。No worries, 大丈夫。

京都・東寺

2017-05-05 22:21:40 | 神社仏閣
子供の日を祝うかのように、京都もピーカンな一日でした。私はほんの2時間程、外にいただけなのに、クタクタです(それもどうかと自分でも思いますが。。)

今日は実は午前中まで体調不良を引きずっていましたが、色々思うところがあり、そして納得でき、その後、外出できるまで回復しました。心当たりはあったのですが、余り良くないものと引き合ってしまったようです。

今回体調にきたのは、それだけが原因ではないのですが、あらためて、自分を振り返る機会となりました。知らず知らずの内に、こんなにも「何様?」でいたことに驚愕です。はぁー。。

午後から、京都・九条の東寺へ。
また機会を必ず作って行くつもりです。
今日は家を出てから、2時間でバテたので。。

ご朱印を頂いてるとき、お隣にいらした方が、「満願証明書」を頂かれてました。わーすごい!!と(声には出してません 爆)一瞬ちらと見させて頂いただけですが、四国88ヶ所を御参りされたのでしょうか。かなり大きな証書で、立派なものでした。

今日はここまでと致しますm(__)m




近鉄九条駅から南大門に向かうまで。見上げた五重塔。




余りの美しさに。。


今日も最後までお読みくださりありがとうございます。

今日も皆さん一人ひとりが慈しまれる一日でありますように。

六波羅蜜寺

2012-01-25 19:11:09 | 神社仏閣
今日は、ベタ打ち(頂いた紙片に書かれてある内容をそのまま転載)になりますが、是非当ブログでシェアしたく思いましたので、よろしければ引き続きお読み頂けたら幸いです。※ 私自身は無宗教です。特定の信仰や思想は持っておりません。

1月2日に京都・六波羅蜜寺に初詣に参拝してきました。
私は京都出身ですが、六波羅蜜寺にご参拝するのは初めてのことでした。

六波羅蜜寺HP

六波羅蜜寺 Wikpedia


2011年年末・・・恐らく12月29日か30日だったと思いますが、突然「赤龍」のヴィジョンが胸の辺りに浮かびました。宇宙空間ではありますが、雷、大雨が荒ぶるなかで、その長い身体をうねりながら何かを訴えているようでした。はっきり分かったのは、この赤龍は「女性」ということです。女の龍様でした。

そこから、何をどうして何故六波羅蜜寺に辿り着いたのか全く覚えていないのですが、抵抗なく自然に「お正月に行こう!」と思えました。また、1月8日から放映が始まった2012年のNHK大河ドラマ『平清盛』にも縁が深いお寺様でもあります。

それでは、以下、お寺で頂戴したパンフレットの中に挟まれていた紙片に書かれてある内容を転載させて頂きます。
<1月26日追記いたしました。短歌より下が追記部分です。>


+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・

重くとも 五つの罪は よもあらじ   六波羅堂へ 参る身なれば

花山天皇が御落飾ののち、西国三十三所霊場を御巡錫になり、各霊場に下された御製が現在も御詠歌として奉詠されています。その意味は、例え五つの大罪(五逆罪=一つには父を殺し、二つには母を殺し、三つには聖を殺し、四つには平和を擾う(みだす、と読むそうです)、五つには仏の身より血を流す)を犯した者でも御観音様と御縁を結び、今後は六つの波羅蜜を日々実践することにより罪は消えて行くであろうという御心が当山の御詠歌として成っています。

開山空也上人は「彼を先とし、吾を後とする情(こころ)を情けとする」と説かれました。即ち、無限に変化していく過程の中で、瞬時のためらいも停止も許されない厳しさで六波羅蜜の行動を教えておられるのです。円満な人格となり、日々悔を残さず、幸せな充実した人生を送りたいものです。


六波羅蜜とは  
あなたの座右のために



1)布施
見返りを求めない応分の施しをさせて頂くこと。
貪欲の気持ちを抑えて、完全なる恵みを施すことである。布施行は物質だけではない。

2)持戒
道徳・法律等は人が作り、現在はますます複雑になっている。
私たちは高度な常識を持ち、瞬時瞬時に自らを戒めることが肝要である。

3)忍耐
如何なる辱めを受けても耐え忍ぶことが出来れば、苦痛の多い現代社会に置いて、自らが他の存在に生かされていることが分かる。全ての人の心を我が心とする仏様の慈悲に通じることとなる。

4)精進
不断の努力のことをいう。我々、人の生命には限りがある。
ひとときも無駄にすることなく、日々誠心誠意尽くすことである。

5)禅定
冷静に第三者の立場で自分自身を見つめることをいう。

6)智慧
我々は、本来仏様の智慧を頂戴してこの世に生を受けている。
しかし、貪りや怒り、愚痴によって、その大切な智慧を曇らせてしまいがちである。


奇しくも今年は辰年。これも後から知ったことですが、辰年にだけ(12年に一度)御開帳される国宝・十一面観音立像も御拝顔することが叶いました。本当に勿体ないことでしたが・・十一面観音様、これこそ仏の御慈悲の体現・・・という御顔であり、立像の全身から漂う芳香の如しの佇まいでいらっしゃいました。

神道に於いても「罪を祓う」「怨霊神を篤くを祀る」ことが信仰の一部であり、もしかしたら核かもしれません。恨みを残し怨霊となった者を篤く祀り鎮魂することで、大いなる守護神となって頂く。これが(古)神道であると現在のところは理解をしています。またこの考え方は、実は日本古来のものだと感じています。内省し改悛する。そして「罪という罪は在らじ」と全てが許され、必ず愛に帰着していくということが。


このように、今回、六波羅蜜寺にご参拝が叶ったのは、

「貴方の罪は消えました」

これをお教えしようとして下さったのかもしれません。
ここでいう「罪」の概念をお伝えするのが難しいのですが、一言で言うならば「許し」だと思います。

もし続きが書ければ、もう少し詳細に続けてみたいと思いますので、宜しくお願いいたします^^


ここまで書いて初めて気が付きましたが、何故、この六波羅蜜寺についてシェアしたかったのか。それは、

「貴方も、貴女も、彼方(あなた)も、許されていますよ」

ということを出来る限りでお伝えしたかったのかもしれません。



今日も最後まで読んで下さって、本当にありがとうございました。

今日も、皆さんの全てが慈しまれ、優しさに眠れる一日でありますように。

剣について 2

2011-07-12 02:57:18 | 神社仏閣
剣について1から続きです。随分間が開いてしまって申し訳ございませんでした m(_ _)m


九段下駅から靖国神社への道のりは、地図で確認し目算した距離よりもずっと短く感じました。
以前より、この駅から日本武道館へ緩やかな上り坂を歩く距離が好きでした。靖国神社へは、それを通り過ぎて間もなくの靖国通りの対面。気が付けば大きな鳥居が目の前に現れていました。

鳥居をくぐり、本殿へと続く道を歩き出したときでした。
銀色に輝く剣が、次から次へと空から降ってくるヴィジョンが目の前に広がり、私ぼんやりと「これが本物だったら痛いんだろうなぁ。。。」と、何とも間抜けな考えを浮かべながら進んで行きました。

どうして(ヴィジョンとは言え)剣が切っ先を下にして降り続けているのに、「間抜けな考え」で「ぼんやりと」だったのか、それには理由があったのです。

とにかくエネルギーがまろやかでした。
丸く、鈍く、素朴な・・・と、その時に感じていたのは「じゃがいも」と「まんじゅう」でした(笑)
見るからに磨き上げられ光を反射する剣なのに、斬るというイメージは全く浮かばず、そこに存在していたのは、ただまろやかで優しい、何か丸いものでした。

そして本殿に向かい歩き続ける私は、そのアンバランスさに対して「さしてどうとは思わなかった」というのが正直なところでした。「ふぅーん・・」で、思考も体感も止まっていたと思います。


そしてもう一つ鳥居の前で頭を垂れ、本殿の前、少し順番を待ち(この日も、多くの方々が祈っていらっしゃいました)、この日は特に福島原発で作業されている方々へのご加護をお祈り致しました。先日本格稼動にまでこぎ着けた汚染水浄化システムにしても、事故収束を目指すための日々の注水作業においても、現在の状態を保っているのはこの方々のお陰です。

「正しく伝えて欲しい」

靖国神社に参拝するきっかけとなったのがこの言葉でした。
それは神風特攻隊の方々から頂いたものでした。

福島原発で作業されている皆様も命をかけて作業して下さっています。「決死隊」という言葉がメディアを駆け巡った時期もありましたが、私もそう思います。命をかけて、私達を護って下さっています。神風特攻隊の方々も、祖国を、国民を、家族を、愛する人々を護るために片道燃料だけを積み飛び立って行かれました。しかし、その時に彼らが日本の情勢を正しく知らされていたのかどうか。私達がこの福島原発事故について、隠さず、偽りなく、後世に歴史を引き継ぐことができるかどうか。


さて本殿の前で祈りを捧げさせて頂いた後、この日は隣接の「遊就館」へ向かいました。
そして入場してすぐに、本殿に続く参道で見た「剣」と、丸くひたすらに優しかったエネルギーの意味を私に知らしめてくれる展示があったのです。


「矛(ほこ)とりて守れ宮人九重の 御階(みはし)の桜 風そよぐなり」

幕末の危難に際して詠まれた孝明天皇の御歌とされています。

そして別の場所では、次のことが大きく書かれてありました。

「かつて我が国の武人は、国難のときに天皇より節刀を賜った。近代の戦場にあっても軍人は腰に刀を帯びた。刀は神代のときより日本人の心を映し、武人の魂を宿す正義と平和の象徴であった。」

・・・・「刀は神代のときより日本人の心を映し」


私が見たものは、何故だか「刀」より「剣」と言い表したいものでした。その形状は、西洋の「サーベル(剣)」と日本刀を足して2で割ったような、どちらとも見えるものではありましたが。いずれにせよ、日本に於ける剣(刀)は「日本人の心を映す」ものであり「正義と平和の象徴」であるが故に斬るエネルギーではない。だからまろやかで丸い、そして優しさを感じたのだとその大きな布に書かれた文字を読み終えたとき確信したのでした。

とは言え、剣はやはり、突き、斬るものです。
相手を傷付け、殺し、それで自らの身を護るものでもあります。

この日からほどなくして、もう一つのメッセージがありました。
「怒りを認めよ」そして「怒りを捨てよ」と。

突き、斬るものである以上、怒りを持ったまま使えばそれは凶器でしかない。
それは決して日本人の心を映し、正義と平和の象徴たりはしない。

よって自分が持つ怒りを認め、消化(昇華)し、手に持つ剣が正義と平和の象徴たるようになれよ・・・ということだと解釈致しました。

祖国を思い、愛する人々を護る。
このための正義と平和の象徴は人によって様々であり、またそれぞれであって然るべきでしょう。

ここでは剣(刀)のモチーフですが、その象徴が何であれ、又それがいかな世の役に立つものであっても、怒りと共にあれば凶器とまではならなくても、やはり他者を、外部を攻撃するものになってしまいかねません。

そして、本来の力を完全に発揮できないのだと思います。
剣(刀)などの象徴も、使う私たち人間も。

恐らく、第二次世界大戦後、全てをもぎ取られた怒りが国の成長と、何よりも人々が生きる上での原動力だったであろう戦後約70年間。それがJapan Miracleを生み、東洋の小さな島国が経済大国となりました。

そして今一度この国難に、国土から1県が奪われ、健康被害がこれから目に見えてくるであろうこの現在に、もう一度Japan Miracleを起こすには連鎖された怒りを認めよ、許せよ、捨てよ、ということをあの日教えて頂いたのではないだろうか・・・と思った震災から約2ヶ月を過ぎた頃のことでした。


今日も最後まで読んで下さって、本当にありがとうございました☆

今日も皆さん一人ひとりの掛け替えのない思いが、大切な誰かに届く一日でありますように。



剣について 1

2011-06-20 19:34:46 | 神社仏閣
今日は、先月5月14日に靖国神社に参拝したときのことを書きたいと思います(今日は「1」です^^;)

そして、この水みずしいまでの緑は、敷地内に並んでいた木々たちです。



この時期、大震災からまだ2ヶ月が過ぎたばかりの頃・・・
今も尚この気持ちは私の中で生き続けていますが、特に強く感じていた時期です。

「私たちは、戦中戦後をやり直しているのではないか」と。

そしてこの戦争で犠牲になった夥しい数の命。英霊だけでなく市井の人々も。
「正しく伝えて欲しい」という一言が、胸に迫ってきた日がありました。

そして、靖国神社へ行くことにしました。


大東亜戦争。真珠湾攻撃から本土決戦、無条件降伏。
焼け野原から約20年で東京オリンピック開催までに国を建て直し、世界第二位の経済大国の地位を築き上げた日本を、世界は"Japanese Miracle" 「日本の奇跡」と呼びました。

私が東日本大震災が起きてから「時間の感覚がなくなったように感じる」と、過去の記事でも書き、感じた背景には、これが一つの理由としてあったように思います。

戦後20年でオリンピックを開催、日本の復興を世界に胸を張って披露し、
40年で経済大国、技術大国となり、
70年で再び国難を迎えた。
世界唯一である原子力爆弾での被爆国が、史上最悪の原子力発電所の事故を起こした。

このスピードは余りにも速すぎる。私にとっては恐るべきスピードです。
私は、そのスピードに心身ともに追い付かなくなり、結果として時の流れが消えていったような感覚だけが残りました。

平成23年にいながら昭和20年にいる。
現在に於いて復興の道を歩むことは、昭和戦後の、その復興の道を同時に歩むこと。そして当時、復興が進むと共に失くしたもの。それが現在失くしてはならない、忘れてはならないものではないかと思いました。

現在の復興がそれがどんなにささやかなものであれ、例え個人の思いの一片であっても、途切れなく進んでいくことが、同時に70年前の出来事や当時の人々の思い、残っている想念を癒していくのではないだろうかと私は感じています。

私たち一人ひとりの存在はそれほどまでに大きな存在で、時空をも超えて影響を及ぼします。これは一例に過ぎませんが、そうやって過去と未来は今と常に同じです。


さて、タイトルの「剣」については、靖国神社に参拝したときにまず感じたモチーフでした。
そして、その剣についての説明は敷地内にある「遊就館」にありました。

続きます。。。よろしくお願いいたします^^



今日も最後まで読んで下さって、本当にありがとうございました☆

今日も皆さん一人ひとりの楽しく健やかな一日でありますように。


神田明神

2010-10-20 19:26:53 | 神社仏閣
まだ酷暑が続く9月の初旬、神田明神に参拝して参りました。
最近はすっかり秋めいていて、あの夏の日々も、まるで夢の彼方のようですが。。。

しかし実際には、現在の野菜の価格高騰など、爪痕と戒めも残して終わった今年の夏でした。


ともあれ、昨年末に続き2回目の参拝となった神田明神。 HPはこちらです
出来るだけ「そのままの感じ」を皆様にもお伝えしたいと思い、今回は写真も大きめでドン!ドン!!とアップさせて頂きました。お祀りされている神様方の像の写真です。どうぞご覧下さい。


まずは、大己貴命(オオナムチノミコト)様。
出雲大社の御祭神である大国主命様の別名でもあります。また、親しみやすいお名前では「大黒様」です。「開運招福」の4文字、そしてユニークな字面がほのぼのと温かいですね。





そして、少彦名命(スクナヒコナノミコト)様。「えびす様」です。



この写真の通り、海の彼方(の王国)から、日本の国造りの為にいらっしゃった神様だということです。大己貴命様とセットで、わが国の様々な分野での「祖」と尊ばれている神様です。また「少=小」を象徴している神様でもあり、キリスト存在とも伝えられています。

小さきこと、小さいもの・・・自己だけで完結せず他者を受容し、且つ「大いなるものの一つである」であるという清い自覚を併せ持つ、他者愛、自己犠牲の象徴とも言える神様かもしれません。代表では、アッシジの聖フランチェスコ、マザーテレサが系譜の繋がる方々なのでしょうか。以上、私なりの解釈を書かせて頂きました。あとは現段階では検証不足ですが、海幸彦・山幸彦や西洋でのカインとアベルといった霊統も絡めて調べていくと理解が深まりそうな気がしています。


そしてもうお一方祀られているのが、平将門様。
弱者の味方であり代弁者であり、関東に自由・博愛・平等の新国を建てようと朝廷に対抗して命を終えた方でした。


このように、わが国の土台を築き、新風を目指して身を捧げて奔放して下さった神様方が祀られている神田明神。
御神徳とされている「国土経営」「商売繁盛」「夫婦和合」「縁結び」、これらを持ち出すまでもなく、前向きで瑞々しい空気が満ちています。そう、何故だか元気が湧き出てくるような、若々しく純粋でエネルギッシュな空間なんですよね。

自らの可能性を信じ、育み、共に歩もうとされる方に、きっとお力を授けて下さることと思います。


最後に余談ですが、こちらの甘酒がものすごく美味しくて、寒くなってからのお参りも是非楽しんで下さい。酒糟が入っていない純粋な麹だけの甘酒で、私は通常の甘酒は飲めませんがこれはOk。Okどころか(笑)いくらでも頂きたいくらい絶品の甘酒です。美肌になることも間違いなし!? 天野屋さんです   


今日も最後まで読んでくださって、本当にありがとうございます☆

今日も皆さん一人ひとりにとって、楽しく健やかな一日でありますように。