この世に生きた人間同志として、その現実において「会えたのだ」と初めて思えた。私にとっては、とても大きな分岐点。
自由と勝手の壁は曖昧だと思う。自分を押し殺して生きてきた人は、自由を勝手ではないかと、思考を繰り返し一歩を踏み出せず、自由に生きてきたとする人は、実は勝手でしかなかったのかもしれない。自分で自分を理解するしかないのだと思う。自分が由(よ)し、なのか、自分が勝つ手先なのか。
そして、先を憂うこと、過去を悔いることも含めて「今」がすべてなのだと思った。自分が認識できていなかっただけで、この「今」に向けて、すべてのことが進んでいた。それに気付かない私を責めることもなく、何も強要せず、この「今」に向けて、すべてのことがサポートされていた。
恐らく、今まで見たくなかったものを視界に入れ、許し難かったものを受け入れ、面倒だと思っていたことに挑戦し、命綱だと信じてたものを放した。何一つ、新たに得たものはない。そこにずっとあったものを感じているだけ。
私自身が現在抱える問題も、解決という形になっていないだけで、実は水面下で様々な過程を楽しんでいるような・・・。この状態、つまりは「問題」ではなくなっている。あれ??・・いかに形に囚われていたかの実証をしたかのよう。
誰に遠慮することなく、澄み切った精神で生きたい。その望みを叶えるため、いくらかの人々は、物質世界の崩壊を願っているのではないかと思うときがある。その精神を希求するならば、今、そう生きればいい。犠牲を作るな。
筋肉痛が中々取れない。これはマズイのではなかろうか。。首痛い(>o<")。
これ本当に気を付けて。ウチの実家にも来たよ。送付の日時確認の電話が来るから「頼んでいない」とキッパリ断って。万が一自宅に届いても絶対に開封しない事。「受け取り拒否」にして配達員に持ち帰らせて。すぐに相手から電話が来るけど怯まないで。 headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130429-…
東京新聞が「きょう主権回復の日」「「祝賀」に違和感」との見出しで、琉球新報と沖縄タイムズ2紙の論説委員長の寄稿を掲載している。基地が残り「地位協定」が重くのしかかっている現実を突きつける。主権回復の日は、日本から米軍基地が全廃された時、祝うべき。
安倍政権は、3月12日の閣議決定で、1952年4月28日に日本の主権が「完全」回復したと公式に宣言してしまった。その時、二つの重大な忘れ物をした。「奄美・小笠原・沖縄」と「北方領土」だ。単なるミスなのか健忘症なのか。これでは主権を語る資格はない。
TAIJI forever - WINDS 想い~ありがとう~(otokaze) [ Audio track ]: youtu.be/cnqE_yUogYk @youtubeさんから
自分より綺麗な人がいて、賢い人がいて、謙虚な人がいて、金持ちの人がいて、世界を興味深くしてくれるんだから、ありがたいことなんだよ。みんなが空気読んだら世紀末だぜ。