本日10月24日は、去る7月17日にサイパンでお亡くなりなりになったベーシスト沢田泰司さんの100か日にあたります。夏から秋という2つの季節をまたいで、あれから100という日が過ぎたのかと思うと、普段はさほど気に留めることのない時の流れと重みを感じました。
時というものは目に見えなくとも、しかし、まるで目に見えるものかのように。
確実に存在し、流れ、過ぎ行く(もしくは循環する)というリアルさを感じたこの100日だったと思います。
100か日(法要)とは調べてみますと、下記のようにありました。
「百か日法要のことを「出苦忌(しゅっくき)」または「卒哭忌(そつこくき)」とも言います。百か日法要は故人を失ったことから、悲しみ泣き明かした日々に一度気持ちの整理をし悲しみから卒業するための法要でもあります」
一度気持ちの整理をし、悲しみからの卒業。
どうなんでしょうか。
私にとっては、この度の大震災の悲劇に際しても一度書かせて頂きましたように、急ぐ必要はないように思います。正直、100日では早過ぎると感じます。今、上手く言えませんが・・・悲しみは消えないと、私は思うのです。薄れていくことはあっても、そしてその喪失を感じない日が来ても、それでも「消えはしない」。そのように思います。
その人の喪失を、立ち上がれなくなる程に嘆いた。いつ尽きるとも分からないほどに涙した。
その時の気持ち。愛しいと、大切だと、かけがえがなかった、と思った気持ちは決して消えるものではないでしょう。
だから、先ほど消えない、と書いた=「悲しみ」は、湧き出るような、振り絞るような「想い」となって、ずっと大切に残るものじゃないかな・・・と私は思うのです。
私は、生前のTAIJIさんを知りません。お名前は知っていたものの、お亡くなりになってからTAIJIさんの存在を知り、ファンになったも同じです。ですから、このように自分の思いを書かせて頂くときに、すごく偏った内容になってしまうような危惧を常に感じていて、なかなか筆が進みませんでした。
何が偏よるというのか・・・
それは、お亡くなりになってしまった、それも異国の地で一人、あのような形で・・・という「悲しみ」の部分だけにフォーカスし過ぎて、余りにウェットな気持ちになってしまっているのではないか、という思いでした。でも、実際は、TAIJIさんが音楽、そしてベースとギターの演奏を通じて、喜びや情熱、平和や安寧を感じた瞬間は、きっと、きっと沢山あったのではと思うのです。
その部分をもっと書くことが叶ったなら、私にもっと書けたなら、もっと良かったのにな・・・と今も思います。
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さて今日は、TAIJIさんの100か日に際して、私なりに作った祈りの言葉をここに置かせて頂きたいと思います。
100という数字には「満ち足りた」「完全」「美意識」など、足すものもなく引くものもない、本当の完全。紛れもない美しさ。そのような意味があります。そういうこともあって感じるのかもしれませんが、TAIJIさんは思いを残していらっしゃるというより、反対に私たちを心配されている(もしくは叱咤激励したい?)ように私は感じます。でもこれは、TAIJIさんへ、泰司さんへ、多くの方々の気持ちが届いたからだと確信しています。この地に残った私たちと、TAIJIさん、泰司さんの気持ちが一つになり包まれたことの、紛れもない現れです。
ですからこの祈りは「ありがとう」「がんばるね」という思いを込めて作ってみました。
また私は、49日を前にしたときは、とにかく見送ることが大切だとばかり思っていました。
私たちは私たちで、しっかり生きることが第一なんだと。それが残された者の義務だと。悲しみに止まっていては、そのように生きられないじゃないかと。
けれども今は、「共に」という気持ちが強いです。まだまだ「逝去」「享年」という言葉を目にし、耳にする度に、胸が掴まれそうな日があっても。
やっぱりTAIJIさんはフェニックスなんですね。
誰もがそうである、永遠の命の、目に見える体現者でした。
貴方の生きた歴史、残してくれた音楽。
貴方の優しさ、そして苦悩、貴方の魂の輝き。
未だ、私たちの心に住まうと喪失と悲しみ。終わらない涙。
それらは今、天上あり、この地にあります。
争い、諍い、攻撃、憎しみ。
例えそれらの存在に、耐え難く打ちのめされても、
受け容れ、許すことで、与えられ、受け取れる光があることを、
閉じられた善なるものが開き、明るくなっていくことを、
私はこれからも信じ続けます。
貴方が全うした人生に送る、そしてその人生を全うした貴方へ送る、
私たちからの心からの感謝と喝采をどうか受け取って下さい。
そして私は、貴方の幸福を祈り続けます。
そしてどうかこれからも、力を貸して下さい。
そしてどうかこれからも、愛して下さい。
私たちが喜びと共に在ることができますように。
私たちが貴方と共に在ることができますように。
私たちが天と地を繋ぐ橋となれますように。
おかえりなさい。フェニックス。
今日も最後まで読んで下さって、本当にありがとうございます。
今日も皆さんの全てが優しさに抱かれ、慈しまれる一日でありますように。
悲しみの深さなんて底がない
たどり着く所が無くて
これが自分の悲しみかな
joyceさん いきなりですが はじめまして!
泰司さんの記事等、色々と読ませて頂きました
あなたのように思ってくれてる人がいて
泰司さん喜んでいるでしょうね
自分は何度か泰司さんに お会いした事がありましたが
本当に心優しい方でした
色々な噂が聞かれますが 底しれない悲しみと共に
生きている方がおられる事を わかってほしいですね
自分も大切な家族が突然いなくなりました
死んだ事を10年経った今でも受け入れられません
日々の日常で苦しくて苦しくて月日が経っても
何も変わらない
突然、失ったあの日とかわらず悲しみは色褪せず
何度も何度も会いに逝こうと考える日々の中で
もがきながら生きています
時間が経ち、自分以外の人が薄れ忘れていく事も悲しいですが、10年の月日で学びました
joyceさん あなたのように一人でも多くの方が
泰司さんの事を忘れないでいてあげれば
と強く願うばかりです
このような話題にふれてしまうと
精神が正常に働かなくて文章も乱雑ですが
どうぞ誤解しないでいただけないでしょうか
自分勝手なコメントごめんなさい
はじめまして。joyceです。
ブログへのご訪問、そしてコメントも残して下さって本当にありがとうございました。文章が乱雑だなんて、自分勝手だなんて、そんな事はまったくないです。強く心に響くお言葉でした。ありがとうございます。
悲しみの深さなんて底がない、辿り着く場所が無くて。。。
このちびさんのお言葉、心にザクっと入り込みました。本当に仰る通りだと思います。行き場のない思い、尽きることのない悲しみ。「癒えるもの」と、必ずしも出来ない思いもあるのだと私も思います。
ちびさんは、泰司さんと何度かお会いになられたことがあるんですね。「本当に心優しい方でした」そうでしたか。。。
今回の泰司さんのことは、ちびさんにとっても、とても悲しい出来事だったのでは、とお察しいたします。
ご家族を失われたこと、大変にお辛いことだったと思います。10年・・・とても長い時間ですね。ちびさんの心には、今もずっと色褪せず、同じ温度で悲しみがあるのですね。大切な人を失い、その不在がもたらす苦しみは、どんなにか。。と思うばかりです。
私は、ただ、泰司さんについて書かずにはおれず、ただ気持ちのままにここに書かせてもらっただけなのです。私の方が泰司さんに御礼を言わなければなりません。本当に大切なものを、たくさん教えて頂きました。
多くのファンや音楽のお仲間、関係者の方々も同じお気持ちだと思いますが、私も泰司さんのこと、決して忘れません。
ご家族はもちろん、泰司さんを思われるちびさんのお優しいお気持ちがとても伝わってきました。少しずつでもお気持ちが休まっていかれますよう、ささやかですが心よりお祈りいたします。
本当にありがとうございました。