ユア・ハイハート、自らの神聖さと共に。

心や魂のこと。生きる勇気と希望。
世界はいつも儚く光に溢れてる。誰もが強くて優しい。No worries, 大丈夫。

【夢日記】 サンドバッグ

2015-06-11 02:07:13 | 夢日記
私は、夢やヒプノセラピー、声の波動、フラワーエッセンス、オーラなどを介して、いわゆる無意識領域からの答え(応え、と書いた方がいいでしょうか)を統合させる自分との対峙方法と相性が良いみたいです。ただ、それを自分の形、自分の言葉にするまで、引き続き探求の必要を感じています。

裁き、苦しみ、悲しみ、嫌悪してきたもの、一方で、細胞の端にまで沁みわたるかのような喜びや美しさを統合すればする程に魂は純度が増し、新たな段階の経験を呼び寄せます。そこに全く無防備のまま受け身でいることと、明晰な自分の意志を持ちながら、未知なる新たなステージへ絶対的に信頼を置けるか・・同じ「呼び寄せる」でも、この2つには大きな違いがあります。又、純度が増すということは、自分の神聖さ(神性)が、より現れていくことでもあります。その状態が(自らの神聖さと共にあること=神聖さの現れを阻む想念が浄化されていること)、命の道程の自然な形だと思いますので、やはり自然な形で物事が動いていくように感じます。これを心の平安、安寧、そして生きやすさ、とも言うのかもしれません。

そして、夢は無意識のメッセンジャーとして本当に大きな働きをしてくれます。
分析は自分でするも(自分で答を導いていく)、他者の意見やリーディングもどちらも有効ですが、出来るだけ、そのどちらにも依存しないことでしょうか。夢が運んでくれるもの、それは気付きであり、学びなので。


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さて、私の昨夜の夢は、非常に苦しいものでした。
実際、とても寝苦しく、重い疲れを引きずって目覚めました。

非常に情けない、キツく、自尊心が粉々になって、とても悲しい思いをする夢でした。
何故ここまでされながら、この状況に甘んじているのかという内容でした。まるで感情の吐け口にされているような、夢の中の私でした。ただ、確かに、私はずっとそうだったかもしれないと気付きました。

苦しんでいる人、辛い思いをしている人(≒私がそう思った人)の、気持ちの受け皿になろうと思ってきた自分を発見しました。
そして、何が核かと言うと、それが私が受け入れてもらえる、私が愛される条件と、自ら設定していたのです。今日のタイトルの「サンドバッブ」はここから来ています。

もう私はそれを選ばない・・・サンドバッグになることを選ばない。その選択、決断も勿論大切なのですが、それだけでは、私が傷を受けることからの逃げに過ぎなくなります。私がサンドバッグになっていたということは、私も誰かをサンドバッグにしていたし、サンドバッグになってくれる人を求め続けていたのだということにも気付きました。

辛く悲しいことと引き換えて、初めて安らげる・・欲しいものが手に入る・・成果が出せる・・喜べる、楽しめる。
この自動設定も解除します。思考停止状態における「自動」の設定を。

アファメーション(宣誓文):私はサンドバッグを必要としません。私は自分を受け入れます。



今日も最後まで読んで下さってありがとうございました。

今日も皆さんの健やかで愉しい一日でありますように。


夢は教えてくれる。

2014-01-26 20:20:48 | 夢日記
私は夢を良く見る方だと思います。

2009年秋にタバコを止めて・・・それまで、23年間ずっとヘビースモーカーでした。
私の場合、タバコを吸うと頭が冴え、そして熟睡できずに、ほぼ毎日夢を見ていました。それが嫌で、それだけが理由ではないですが、タバコを止めたい、止めたいと渇望していました。あの頃は、どれだけ寝ても、頭が疲れて仕方なかったんです。何しろ、熟睡したいが故に、元気なのに風邪薬を飲んだりしましたから(眠剤が含まれています)。

さて、その話題は別に機会に譲るとして・・夢ですね。

タバコを止めて、よく眠れるようになった今も(今はガクっと落ちるくらい寝てしまいますが)夢はよく見ます。何の意識もしていませんが、そして、こんな夢を見たいとか願うこともしないし、夢分析も特に真剣にしませんが、最近は、シンボリックは夢が続いていますので「夢ノート」は付けようかな、もしくは、こうしてブログに書こうかな、とは思っています。

ただ一つ言えることは、私は、夢にものすごく助けられてきました。

例えば、日常のストレスや、幼少から溜めていた怒りを、夢の中で発散するときがあります。
夢の中では、物凄い勢いで怒りを爆発させる私が登場します。相手が泣いてしまったり、2歩3歩、後ろずさりするくらいの勢いで怒るのです。実際の生活では、なかなか出来ないことです(笑)あと、友人や家族、会社の同僚などで、普段はいつもニコニコしていて、ストレスなんてないんだろうなぁと思ってた人が登場し、烈火の如く怒りを露わにする夢を見ることもあります。

そして、このような「怒り」「発散」が主題と思える夢から目覚めた朝は、非常にスッキリして身体も軽いのです。色々と気付きもあります。「こんなこと思ってたんだ」「実は私、これがストレスだったのね」「あの人、そう見えなかったけど、実はずっと我慢してたのかも知れない」・・・

だから、私は夢は大好きだし、めちゃくちゃ楽しみではあるのですが、でも、別に見なくてもいい。もしかしたら、私は、夢とは、とても良い関係性を築けているのかもしれません。そうであれば嬉しいのですが。


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昨夜見た夢も、非常に印象的でした。

そして、その夢も、私を助けてくれました。

実は、昨年末から、とある方が、何度も夢に登場してくれています。昨夜も、しかも、ほぼ同じシチュエーションで登場してくれました。その方の音楽は好きですが、大ファンという訳ではありません。知らない曲も一杯あります(笑)でも、同じ人が何度も夢に出てくるのは・・しかも、そんなに心情的にも接点がない人が・・珍しいので、とても興味深く思いました。特に昨夜は、父と親友も登場してきたので、余計に興味がそそられたのだと思います。素通りは出来ないな、したくないなと。

その夢は、私の中に根付いていた「諦め」を気付かせてくれたと同時に、それは、私が作り上げた「幻想」なのだということを教えてくれました。現在、私は、落ち着いた状況にいます。体調等、まだまだ全快復という訳ではありませんが、一息付いている状態であることは確かです。しかし、その夢が教えてくれたことは、私の中にあった大きな「諦め」という塊。


「ここまで来たのだから、これ以上は我が儘というものだろう」
「やはり、私には、それを叶えることは出来ない」
「こういう自分でいないと、人からは求めてもらえないんだな」

そういった想いが、ガツーンと、大きな塊の形で自分の中に置かれてあったことに気付いたのですね。
その夢は、要するに、「有り得ない、パラダイスのような」状況設定でした。でも、夢の中では、一つ一つのシーンが震えるような臨場感を持って移り変わっていき、

「あれ?もしかして、こういうのも有りなんだろうか?」
「そんなこと自分には起きる筈がないと、私が自分の世界をそう作ってしまってたのか!」

と、目覚めたあと、夢を振り返ったとき、そういう事柄がスンナリと腑に落ちたように思います。と言っても、今、こうしてこの記事を書いている今も、身体と心も戸惑いでザワザワしていることは白状しておきます(苦笑)。


「夢は無意識からのメッセージ」と云われます。できれば沢山見たいものですよね。

その秘訣は、私個人的に思いますのは、夢日記等を付けて、夢に耳を、心を傾ける習慣を付けることではないかと思います。私がシェアさせて頂いた昨日のこの夢も、少々びっくりするような内容です。常識的には有り得ない設定でした(夢というものは、往往としてそういうものかもしれませんが)。けれども結果的に、現在の、現実の私にフォーカスした必要な教えを投げかけてくれているのです。夢日記、そして、その夢を見て、何を思ったか、何に気付いたか、半ば殴り書きのような支離滅裂な文章でも残していくといいと思います。後で見返すと、本当に本当に、面白いですよ。このように、夢には、日々感謝の私であります。



今日も最後まで読んで下さって有難うございました。

今日も皆さん一人一人の、健やかで愉しい一日でありますように。


夢からの帰還

2012-09-12 19:37:28 | 夢日記
まだtwitterとの連携は不具合が続いているようです。
早く復旧するといいのですが。。只今確認作業を取って頂いているようですので、引き続き待ちたいと思います。

と、言うのも、私個人としても、こちらに記録が残るというのは非常に嬉しいことなんですね。
以前に書いていたことも、すっかり忘れていることが多いものですから、見返すと非常に有益な一言が見つかるのです。「時を超える」「時はない」もこのようなときに何度でも思います。かなり以前の文でも、まるで、今この時のことを書いていたかのようなものも多々ありますので。。

また、「記録は命」

特に今は、日本という一国家としても、変化の真っ只中・・・大きな分岐点の只中にることは間違いないと思います。今、私たち一人ひとりが感じていることは間違いなく宝であり、後でどれほどの意味と価値を持つものか・・きっと分ると思います。


さて、ここ数日、夢を見ることが本当に多く、それも一晩に何本ものストーリーを短編小説風に見ていました。疲れたのは仕事からの帰宅途中、電車の中で(時間にして約1時間)、20本ほど細切れで夢を見つ続けた日もありました。これには疲れた・・・。

少し話がずれましたが。

今日のタイトルに関係する夢は、これも実際の時間にすれば恐らく10分くらいだと思うのですが、非常に印象的なものでした。
以下、徒然と書いてみます。


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南の島・・・国内だと思いましたので、沖縄かその離島。
私は長い長い、道路、時として廊下を、ある場所を目指して歩いていました。

ジーンズとミュール。トップスはNY風なのか、ヨーロッパ風なのか、あまり日本では見かけないデザイントと色。
懐かしさと、静かな嬉しさを全身から漂わせているのが、自分でも分かる。

到着したのは、石を積み上げたような門構え、一歩入ると大きな植物、木が上手い具合にバランスよく配置されてる。
そんなダイニング・バーみたいな所でした。

噴水もあって、ウェイテイングプレイスと呼んでいいのでしょうか、
待ち合わせの人をそこで待ちたい場合は、入り口付近のカウンターで一杯先に飲むことも出来る。

とにかく、とても大きなダイニング・バーでした。

私が待ち合わせしていたのは、4人の男性。私を入れて5人で飲む予定だったようです。
ふと窓の外に目をやると、その4人の姿が。間もなく彼らも到着するようです。

そこで次の夢に変わりました。


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「ずっとここに来たかったのよ」
「やっと来ることが出来た」

夢の中の私は、そのダイニング・バーの存在を知っていて、それも遥か遥か昔から。
やっと来れた嬉しさ・・・ただ手放しで大喜びという感じはなくて、静かに、言葉や態度には出さなくても、身体全体でその喜びを感じていました。胸はとても高鳴っていたと記憶しています。

「やっと来ることが出来た」、厳密に言うと、「やっと私の前に現れてくれた」が近いです。

そのバーは、その場所に物質として存在するのではなく、何の前触れもなく突如その人の前に現れるバーのようです。
まるで、村上龍さん著、『恋はいつも未知なもの』に登場する幻のジャズ・バーのようでした。

※一話完結が一つのストーリーとなって続いていくこの小説・・・メチャクチャお勧めです。ジャズ・ナンバーと共に、葉巻から吐き出されるくゆる煙、強いカクテル、唇の端を少しねじった苦笑いと共に、幻のジャズ・バーをテーマとして綴られた素敵な恋愛小説です。

『恋はいつも未知なもの』Amazonページはこちら


そして、このとき待ち合わせした4人の男性。

夢の中では、彼らの顔は良く見えませんでした。

でも、とても安心できる人たちだったことは確かです。
友達でもない、恋愛関係でもない、兄弟でもない、家族でもない。でも長い間、ずっと忘れることはなかった私と彼ら4人。その再会の夢でもありました。そしてその再会の前に、互いに顔を合わし、言葉を交わす前に、次の夢へと切り替わってしまいました。


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この夢を見た翌朝、何かが変わったように感じて目覚めました。

私が住む部屋の中を、今までは違う目で見渡すような、そんな感触でした。


現れたダイニング・バー、そして5人の再会。
この「夢」からの目覚めは、日々を眠ったまま過ごしていた私の「夢」からの帰還だったようにも思います。

ただ、その二つの「夢」が意味するところは、まだ私には理解できていません。



今日も最後まで読んで下さって、本当にありがとうございました。

今日も皆さん一人ひとりの愉しく健やかな一日でありますように。



人生の通信簿

2010-10-12 20:18:42 | 夢日記



以前は毎日のように夢を見ていて、それがとても苦痛だった時期がありました。
2年前までヘビースモーカーだったので、恐らく脳が休まっていなかったのだと思います。そしてその2年前の夏・・・7月頃と記憶していますが、今でも印象に残っている夢がありまして、最近、ふとそれを思い出しました。


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近くでガヤガヤ人の話し声がする。
薄明の中、3、4人の白いマントを着たような人達が、A4版くらいの白い紙に頭を突き合わせながら何やら話している。

「やっぱり、ちょっとキツかったかしら」、
「でもねぇ」
「まぁ・・・頑張ったわよ」

え。。。何ですか? もしかして、私のこと?? 
と、その暗がりに目を凝らしてみても、明確な人影には辿り着けない。


その内、代表と思われる一人の方(女性)が、その紙をつまみ上げて内容を目で追いながら一刀両断!
「案外期待外れだったわよねぇ。。。もうちょっと出来るかと思ってたけど」
「五段階評価だと、平均2ってとこよね」

何事よーー(怒)失礼な!!  
でも、この辺りから背筋がうすら寒くなってきたのが夢ながら分かる。「もしかして・・・」
もしかして、これは私の人生の総括ですか!?

「あなたはねぇ、もっと○○で生きれば良かったのよ。」
「それなのに、いつまでもいつまでも△△してて。」

ここで焦りは最高潮に達する。
この状況も去ることながら、○○、△△に身に覚えがある過ぎるからだ。
ずっと私自身が憧れ、こんな私でいたい!と願い続けていた私像。でも現実感が乏しいが故に、いつの間にかあきらめて、忘れていた私像。

えー!! ちょっとぉ。それならもっと早く知らせてよ・・・と、私もどこまでも態度が悪い(笑)
そして悪態を付きながらも半ばしんみりしていると、その女性の方にやにわ腕を取られ、ある方向へ引っ張られる。
「さぁさ。これからもっと詳しく検証するのよ。行くわよ!」

「行くわよ」って、ちょっと待って!「早過ぎる!!」
・・・と、ジタバタしていると目が覚めた、という夢でした。


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この時・・・滅茶苦茶に落ち込んでいた時で、顔を上げることも、立ち上がる気力もなかった頃でした。
何とか会社には行ってましたが。そして○○には心臓が飛び出るほど驚いたものの、それを自分に許せたのは、もっと後になってからです。

この夢で思ったのは、勿論、引っ張らなくて良かった!というのが第一ですが、
意外と私たちは、分からないと嘆きつつも、自分の源の部分は既に知っているのではないかなぁ、という事でした。
自分のことだからこそ、軽くいなしてしまう。見なかったことにしてしまう。まさか!と思ってしまう。けれども、一人ひとりの内側深い場所で、その存在は確かに躍動している。その引っ張り合いっこが、心身の消耗や停滞の可能性の一つかもしれません。

あと今振り返ってみて、感心してしまうのは、
「五段階評価の2」と切り捨てられたところですね(苦笑)
自分なりに一生懸命に生きてきたつもりがあったので、「2」と聞いた時は、夢の中でも呆然でしたから。しかしながら、これで渇が入りました。ただし繰り返しますが、この日からエンジンかかるまで更に2年ほどを要し、今も戸惑いながらであることを付け加えておきます。



今日も最後まで読んで下さって、本当にありがとうございました☆

今日も皆さん一人ひとりに、温かい気持ちが届く一日でありますように。