私は、夢やヒプノセラピー、声の波動、フラワーエッセンス、オーラなどを介して、いわゆる無意識領域からの答え(応え、と書いた方がいいでしょうか)を統合させる自分との対峙方法と相性が良いみたいです。ただ、それを自分の形、自分の言葉にするまで、引き続き探求の必要を感じています。
裁き、苦しみ、悲しみ、嫌悪してきたもの、一方で、細胞の端にまで沁みわたるかのような喜びや美しさを統合すればする程に魂は純度が増し、新たな段階の経験を呼び寄せます。そこに全く無防備のまま受け身でいることと、明晰な自分の意志を持ちながら、未知なる新たなステージへ絶対的に信頼を置けるか・・同じ「呼び寄せる」でも、この2つには大きな違いがあります。又、純度が増すということは、自分の神聖さ(神性)が、より現れていくことでもあります。その状態が(自らの神聖さと共にあること=神聖さの現れを阻む想念が浄化されていること)、命の道程の自然な形だと思いますので、やはり自然な形で物事が動いていくように感じます。これを心の平安、安寧、そして生きやすさ、とも言うのかもしれません。
そして、夢は無意識のメッセンジャーとして本当に大きな働きをしてくれます。
分析は自分でするも(自分で答を導いていく)、他者の意見やリーディングもどちらも有効ですが、出来るだけ、そのどちらにも依存しないことでしょうか。夢が運んでくれるもの、それは気付きであり、学びなので。
+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+
さて、私の昨夜の夢は、非常に苦しいものでした。
実際、とても寝苦しく、重い疲れを引きずって目覚めました。
非常に情けない、キツく、自尊心が粉々になって、とても悲しい思いをする夢でした。
何故ここまでされながら、この状況に甘んじているのかという内容でした。まるで感情の吐け口にされているような、夢の中の私でした。ただ、確かに、私はずっとそうだったかもしれないと気付きました。
苦しんでいる人、辛い思いをしている人(≒私がそう思った人)の、気持ちの受け皿になろうと思ってきた自分を発見しました。
そして、何が核かと言うと、それが私が受け入れてもらえる、私が愛される条件と、自ら設定していたのです。今日のタイトルの「サンドバッブ」はここから来ています。
もう私はそれを選ばない・・・サンドバッグになることを選ばない。その選択、決断も勿論大切なのですが、それだけでは、私が傷を受けることからの逃げに過ぎなくなります。私がサンドバッグになっていたということは、私も誰かをサンドバッグにしていたし、サンドバッグになってくれる人を求め続けていたのだということにも気付きました。
辛く悲しいことと引き換えて、初めて安らげる・・欲しいものが手に入る・・成果が出せる・・喜べる、楽しめる。
この自動設定も解除します。思考停止状態における「自動」の設定を。
アファメーション(宣誓文):私はサンドバッグを必要としません。私は自分を受け入れます。
今日も最後まで読んで下さってありがとうございました。
今日も皆さんの健やかで愉しい一日でありますように。
裁き、苦しみ、悲しみ、嫌悪してきたもの、一方で、細胞の端にまで沁みわたるかのような喜びや美しさを統合すればする程に魂は純度が増し、新たな段階の経験を呼び寄せます。そこに全く無防備のまま受け身でいることと、明晰な自分の意志を持ちながら、未知なる新たなステージへ絶対的に信頼を置けるか・・同じ「呼び寄せる」でも、この2つには大きな違いがあります。又、純度が増すということは、自分の神聖さ(神性)が、より現れていくことでもあります。その状態が(自らの神聖さと共にあること=神聖さの現れを阻む想念が浄化されていること)、命の道程の自然な形だと思いますので、やはり自然な形で物事が動いていくように感じます。これを心の平安、安寧、そして生きやすさ、とも言うのかもしれません。
そして、夢は無意識のメッセンジャーとして本当に大きな働きをしてくれます。
分析は自分でするも(自分で答を導いていく)、他者の意見やリーディングもどちらも有効ですが、出来るだけ、そのどちらにも依存しないことでしょうか。夢が運んでくれるもの、それは気付きであり、学びなので。
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さて、私の昨夜の夢は、非常に苦しいものでした。
実際、とても寝苦しく、重い疲れを引きずって目覚めました。
非常に情けない、キツく、自尊心が粉々になって、とても悲しい思いをする夢でした。
何故ここまでされながら、この状況に甘んじているのかという内容でした。まるで感情の吐け口にされているような、夢の中の私でした。ただ、確かに、私はずっとそうだったかもしれないと気付きました。
苦しんでいる人、辛い思いをしている人(≒私がそう思った人)の、気持ちの受け皿になろうと思ってきた自分を発見しました。
そして、何が核かと言うと、それが私が受け入れてもらえる、私が愛される条件と、自ら設定していたのです。今日のタイトルの「サンドバッブ」はここから来ています。
もう私はそれを選ばない・・・サンドバッグになることを選ばない。その選択、決断も勿論大切なのですが、それだけでは、私が傷を受けることからの逃げに過ぎなくなります。私がサンドバッグになっていたということは、私も誰かをサンドバッグにしていたし、サンドバッグになってくれる人を求め続けていたのだということにも気付きました。
辛く悲しいことと引き換えて、初めて安らげる・・欲しいものが手に入る・・成果が出せる・・喜べる、楽しめる。
この自動設定も解除します。思考停止状態における「自動」の設定を。
アファメーション(宣誓文):私はサンドバッグを必要としません。私は自分を受け入れます。
今日も最後まで読んで下さってありがとうございました。
今日も皆さんの健やかで愉しい一日でありますように。