ユア・ハイハート、自らの神聖さと共に。

心や魂のこと。生きる勇気と希望。
世界はいつも儚く光に溢れてる。誰もが強くて優しい。No worries, 大丈夫。

1月29日(水)のつぶやき

2014-01-30 05:28:14 | twitterまとめ2014年

自分を裁かず、許して生きる。そして、壁にぶち当たる度に、謙虚になれたらいいな。


エネルギ-を戦いや裁きや否定に使わないのがいい感じ。でもそれらは無くなったんじゃなく、今も昔もこれからも、れっきとした自分の一部。そして必要な力を発揮する。


化粧ポーチがない。。忘れてきた?昨日は化粧が濃すぎたものね。


感覚を量るのは、私はそんなに苦手じゃないはずだ。



1月28日(火)のつぶやき

2014-01-29 05:42:28 | twitterまとめ2014年

もっと優しくていいのかもしれないね。いい子だね、がんばってるねって。


自分を裁かなければいい。内省はするんだよ。自分を責めない。


自分が繰り返した、そして信じた価値観を潜り抜けるとき..変わるとは、そういうことを指すのだと思うけど..そのときは、いつだってヘンな感じがする。必ずしも傷みのときだけではない。


裁かれず、否定されず、生かされている。何があっても肯定してもらえる、許される。奇跡的なこと。でも、それが本質的な摂理なんだと思うわ。



夢は教えてくれる。

2014-01-26 20:20:48 | 夢日記
私は夢を良く見る方だと思います。

2009年秋にタバコを止めて・・・それまで、23年間ずっとヘビースモーカーでした。
私の場合、タバコを吸うと頭が冴え、そして熟睡できずに、ほぼ毎日夢を見ていました。それが嫌で、それだけが理由ではないですが、タバコを止めたい、止めたいと渇望していました。あの頃は、どれだけ寝ても、頭が疲れて仕方なかったんです。何しろ、熟睡したいが故に、元気なのに風邪薬を飲んだりしましたから(眠剤が含まれています)。

さて、その話題は別に機会に譲るとして・・夢ですね。

タバコを止めて、よく眠れるようになった今も(今はガクっと落ちるくらい寝てしまいますが)夢はよく見ます。何の意識もしていませんが、そして、こんな夢を見たいとか願うこともしないし、夢分析も特に真剣にしませんが、最近は、シンボリックは夢が続いていますので「夢ノート」は付けようかな、もしくは、こうしてブログに書こうかな、とは思っています。

ただ一つ言えることは、私は、夢にものすごく助けられてきました。

例えば、日常のストレスや、幼少から溜めていた怒りを、夢の中で発散するときがあります。
夢の中では、物凄い勢いで怒りを爆発させる私が登場します。相手が泣いてしまったり、2歩3歩、後ろずさりするくらいの勢いで怒るのです。実際の生活では、なかなか出来ないことです(笑)あと、友人や家族、会社の同僚などで、普段はいつもニコニコしていて、ストレスなんてないんだろうなぁと思ってた人が登場し、烈火の如く怒りを露わにする夢を見ることもあります。

そして、このような「怒り」「発散」が主題と思える夢から目覚めた朝は、非常にスッキリして身体も軽いのです。色々と気付きもあります。「こんなこと思ってたんだ」「実は私、これがストレスだったのね」「あの人、そう見えなかったけど、実はずっと我慢してたのかも知れない」・・・

だから、私は夢は大好きだし、めちゃくちゃ楽しみではあるのですが、でも、別に見なくてもいい。もしかしたら、私は、夢とは、とても良い関係性を築けているのかもしれません。そうであれば嬉しいのですが。


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昨夜見た夢も、非常に印象的でした。

そして、その夢も、私を助けてくれました。

実は、昨年末から、とある方が、何度も夢に登場してくれています。昨夜も、しかも、ほぼ同じシチュエーションで登場してくれました。その方の音楽は好きですが、大ファンという訳ではありません。知らない曲も一杯あります(笑)でも、同じ人が何度も夢に出てくるのは・・しかも、そんなに心情的にも接点がない人が・・珍しいので、とても興味深く思いました。特に昨夜は、父と親友も登場してきたので、余計に興味がそそられたのだと思います。素通りは出来ないな、したくないなと。

その夢は、私の中に根付いていた「諦め」を気付かせてくれたと同時に、それは、私が作り上げた「幻想」なのだということを教えてくれました。現在、私は、落ち着いた状況にいます。体調等、まだまだ全快復という訳ではありませんが、一息付いている状態であることは確かです。しかし、その夢が教えてくれたことは、私の中にあった大きな「諦め」という塊。


「ここまで来たのだから、これ以上は我が儘というものだろう」
「やはり、私には、それを叶えることは出来ない」
「こういう自分でいないと、人からは求めてもらえないんだな」

そういった想いが、ガツーンと、大きな塊の形で自分の中に置かれてあったことに気付いたのですね。
その夢は、要するに、「有り得ない、パラダイスのような」状況設定でした。でも、夢の中では、一つ一つのシーンが震えるような臨場感を持って移り変わっていき、

「あれ?もしかして、こういうのも有りなんだろうか?」
「そんなこと自分には起きる筈がないと、私が自分の世界をそう作ってしまってたのか!」

と、目覚めたあと、夢を振り返ったとき、そういう事柄がスンナリと腑に落ちたように思います。と言っても、今、こうしてこの記事を書いている今も、身体と心も戸惑いでザワザワしていることは白状しておきます(苦笑)。


「夢は無意識からのメッセージ」と云われます。できれば沢山見たいものですよね。

その秘訣は、私個人的に思いますのは、夢日記等を付けて、夢に耳を、心を傾ける習慣を付けることではないかと思います。私がシェアさせて頂いた昨日のこの夢も、少々びっくりするような内容です。常識的には有り得ない設定でした(夢というものは、往往としてそういうものかもしれませんが)。けれども結果的に、現在の、現実の私にフォーカスした必要な教えを投げかけてくれているのです。夢日記、そして、その夢を見て、何を思ったか、何に気付いたか、半ば殴り書きのような支離滅裂な文章でも残していくといいと思います。後で見返すと、本当に本当に、面白いですよ。このように、夢には、日々感謝の私であります。



今日も最後まで読んで下さって有難うございました。

今日も皆さん一人一人の、健やかで愉しい一日でありますように。