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居心地のいい実家を出て就職した先ではそろばんを使うのが当たり前だった。頃は昭和50年(1975年)
もちろん入社前にそろばんの特訓はしていたけれど先輩方とはスピードが違いすぎる。が、仕方ない。
数年するうちにそろばんでの計算に慣れはしたが、ものの弾みで玉が動くこともあったりして
最初から計算やり直しすることも珍しくなく、それはワタシのみならず先輩後輩も同じだったのだが
ある日、ワタシ以上にそろばんと相性が悪かった後輩が職場にマイ電卓を持ち込んだのである。
職場から各々に支給されたそろばんがあるのに「そんなもの持ち込む〜?」とビックリ
ワタシからは後輩が異星人に見えたけれど彼からすれば、そろばん軍団が原始人に見えたかもしれない。
その後輩のマイ電卓持ち込み事件から1年たつかたたない内に電卓が全員に支給されたのだった。
(事務用のせいか とてもゴツイ電卓だった!!!)
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居心地のいい実家を出て就職した先ではそろばんを使うのが当たり前だった。頃は昭和50年(1975年)
もちろん入社前にそろばんの特訓はしていたけれど先輩方とはスピードが違いすぎる。が、仕方ない。
数年するうちにそろばんでの計算に慣れはしたが、ものの弾みで玉が動くこともあったりして
最初から計算やり直しすることも珍しくなく、それはワタシのみならず先輩後輩も同じだったのだが
ある日、ワタシ以上にそろばんと相性が悪かった後輩が職場にマイ電卓を持ち込んだのである。
職場から各々に支給されたそろばんがあるのに「そんなもの持ち込む〜?」とビックリ
ワタシからは後輩が異星人に見えたけれど彼からすれば、そろばん軍団が原始人に見えたかもしれない。
その後輩のマイ電卓持ち込み事件から1年たつかたたない内に電卓が全員に支給されたのだった。
(事務用のせいか とてもゴツイ電卓だった!!!)
電卓支給を機に廃棄が決まった算盤を(記念として)二つ頂き
今、ウチの電卓寿命が尽きそうなので算盤再開しようか、と。
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