オレがむかし 夕焼けだったころ弟は小やけだった
父さんが胸やけで母さんが霜やけだった わかんねエだろうナ
というのは松鶴家千とせの1970年代に大ヒットした歌(?)だ。
もう誰も知らないなどと言ってもお咎めないくらいの古い歌だが、それよりもずっと
前になる1962年(昭和37年)、小学5年生だったワタシが転校した先のクラス表記は
1組2組ならぬ、アッと驚く「 い組 」「ろ組」だった。
比較的開けた港町から「当時日本では最大の村」だったところの小学校への転校だった。
港町の小学校は1組2組だったので転校先の「い組ろ組」には子供のワタシも驚いたものだ。
小学校卒業後の中学も高校も1組2組だったので小学校5、6年時のい組ろ組体験は
なかなか貴重だったように思われる。
今にして思えばその頃は戸時代末期生まれの方々がまだ多くいらっしゃった時代。
もっと積極的に当時のお年寄りに接しておけば良かったな、と。
などと考えるのはワタシが、時代劇好きの「元、い組の人」だったから、かも。
(そうそう シャネルズ=ラッツ&スターも好き)
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