チャレンジ

楽しく、自然体で生活しながら、チャレンジし、感じ続ける記録です。

名前

2004-09-15 20:13:46 | Weblog
 今日は特別な日なので花を買いにいった。

 前回花を買いにいったのはいつのことだろう。思い出そうとしても思いだせない位まえのことのようだ。あっ、そういえばこの夏に花を買ったが...あれは墓参りの花だった。それ以外で花を買ったのは7年ぶりくらいかもしれない。
ヨーロッパに住んでいたころは毎週のように花を買っていた。人の家に招待されたときは花を持って行くことが多かったが、そんな目的がなくても、土曜日や日曜日に時間があると花屋に行っていた。

 でも、花の名前はあまり知らない。

 名前は知っていても、名前と花とが一致しない。何度覚えたつもりでもすぐに忘れてしまう。これはただ頭が悪いだけでなく、花の名前に興味がないからかもしれない。いや、よく考えてみると、花の名前と私が花から受けるイメージとがあっている花の名前はよく覚えている。

 人は名前ににあった人になってくるが、花は人のようには変われないからだろうか?

 人のなかにも、名前負けしてる?と思える人もいないこともないが、多くの人は、その人のイメージと名前があっていると思う。人が生まれてから名前を呼ばれ続けているうちに、その名前にあったような人になっていくのだろう。小学校の授業で必ずといっていいほど「自分の名前の意味をお家で聞いてきましょう!」というのがある。そこで、自分の名前の意味やそこに込められた親の思いなどを聞いて、人はますますその名前のような人になっていく。

 名前ってとても大事だと思う。人が名前らしい人になっていくんだったら、人によって成り立っている会社もその名前らしい会社になっていくんだろうと思う。会社の名前をどうしようか?
まだ形もなにもない会社の名前を考えてみた。

現実に戻る

2004-09-14 23:08:06 | Weblog
 このメンバーで飲むのは最後かもしれない。

 後輩がUSAに駐在することになり、親しい仲間が集まった。後輩は一緒に仕事をしていた2年前に比べてずいぶんと成長していた。そんな後輩を頼もしく思う気持ちで、いつも以上に飲みのペースがあがる。後輩は2年後に帰国する予定だが、その一方で今日集まったメンバーが全員集まるのは今日が最後かもしれないとなんとなく感じる。

 そう思うと、気持ちが高ぶり、ますます飲みのペースがあがる。

 おまけに今晩の飲みには、オヤジの憧れのケイちゃんや、オヤジギャグの伝道師ともいえるアニマル・コヤマもいる。オヤジは盛り上がれずにはいられない。新陳代謝の激しいオヤジは、頻繁にトイレに向かいながらも、飲みのペースは全く落ちない。

 ひとしきり楽しみながら、憧れのケイちゃんと2ショットの写真や、今日のメンバー全員で写真を撮る。オヤジは絶好調だ。
でも、楽しい時間は長くは続かない。会は終わった。自転車で帰宅途中にお腹がすいてラーメン屋に立寄った。余韻覚めやらぬオヤジは、デジカメで撮った写真が気になって。しっかり写真がとれているかどうかの確認をはじめる。
そこに写った、仲間達の楽しい瞬間と、ケイちゃんとの2ショットのにやけ顔を確認しながらオヤジは余韻に浸っていた。

 「温かいうちにどうぞ!どうぞ!どうぞ!どうぞ!」

 我にかえると、目の前にはラーメン屋の店員の大きな顔がせまっていた。注文したラーメンが運ばれていたのだ。現実に引き戻される。

 オヤジはおちおちと余韻にも浸ってはいられない。でも、もう少しだけ喜びを感じていたかった。

オヤジギャグ

2004-09-13 20:54:11 | Weblog
 アルカイダなんかあるかいだ!(作:歌ちゃん)

 オヤジギャグをいえるオヤジは素晴らしい。人生を楽しんでいるような気がする。きっといつも好奇心をもってネタ探しをしていて、ポケットに入れている小さな手帳には、思いついたオヤジギャグがたくさん書かれているかもしれない。そして、ここぞという瞬間を決して逃がさずに、周りの期待を裏切らず、オヤジギャグを出してくる。
 
 007のジェームス・ボンドは英国紳士らしくいつもユーモアのセンスに溢れていた。

 思わず微笑んでしまうユーモアで女性の気持ちを和らげて、安心させる。そうしてしまえば後はボンドの思い通りだ。
ドイツ駐在時の会社のノルウェー人社長もユーモアのセンスに溢れていた。ユーモアを通り過ぎたといってもいいかもしれないくらいいつも冗談を言っていた。話のはじめは必ず冗談から入り、終わりも冗談で終わる。いつも冗談ばかりを言っているようで、途中で少し真面目な話をする。聞いている方は、冗談で体の力が抜けているので、社長の話を素直に聞くことができた。

 オヤジギャグもユーモアも根底では変わらない。 

 オヤジギャグのもう少し優雅なものがユーモアだろうか。082(オヤジ)のオヤジは「さむ~」といわれても、オヤジギャグを決してやめない。オヤジギャグを言った時のオヤジの目は輝いている。その場のエネルギーの高まりや、周りの人の余計な力が抜けていくことを感じとっている。そんなオヤジはとても優しく、自己犠牲的なところもあるのだと思う。

 私もそんなオヤジになりたい。できればオヤジギャグが得意でなくユーモアの得意なオヤジになりたい。

自然体

2004-09-12 23:55:38 | Weblog
 オヤジになると目に見えないモノをたくさんつけてしまっていることに気づかされた。

 固定概念、先入観、偏見など、それをつけていると人を自然体ではなくしてしまうものをたくさん付けている。コーチングの用語でグレムリンとよばれるものがある。グレムリンは「小悪魔」のことで、まるで、自分自身の内なる声のようにつぶやくらしい。「どうせ、そんなことできっこないよ!」、「現実的になれよ!」、「そんなことやってもつまらないよ!」といったように、固定概念、先入観、偏見など、人の感情や意識をしばりつけたり、否定的な方向に向かわせることをつぶやく。

 私もこんなグレムリンを飼っているようだ。

 このグレムリンを全てとりはらうことはできないが、このグレムリンの声と自分の内なる声をしっかり聞き分けることがたいへん大切なことを知った。こうなりたいという将来の自分の姿や、自分自身が大切にしている価値観をしっかりと意識し、その上で自分を励ますような内なる声をしっかりと聞くようにしようと思った。

 そして大切なのは自然体でいること。自然体でいる時に、人は最も高い力を発揮できる。自分自身の自然な状態を意識して、自然体でいれるようにしたい。そして、私が自然体でいるのと同時に、私の周りの人が自然体でいれるように私ができることをしたい。周りの人を変えようというのではない、その人の自然な状態を引き出したい。

オヤジのナンパ

2004-09-11 22:22:45 | Weblog
 オヤジだってナンパをしたくなる。

 電車の中でとても気になる人に会った。その人と話をしたくなった。でも、どういう風に声をかけたらいいのかがわからない、そして周りの目も気になって、とても声をかける勇気が湧いてこなかった。
 
 もうだめだとあきらめた。

 電車が駅に着き、私は別の電車に乗り換えようとすると、その人も電車を降り、同じ方向に向かって歩き始めた。「ひょっとして、同じホームにいくんじゃないか?」と私は思い、ストーカーオヤジに変身した私はその人の後を追った。すると、その人は私の向かうホームに行き、そこにとまっている電車にのった。私の乗ろうとした電車だった。

 今度こそ声をかけよう!

 私は、自分を奮い立たせ、加えて、何て声をかけようかと真剣に考えた。短時間でしかもインパクトのある私の思いを伝える言葉が必要だ。
まるで、エレベータートークを考えているようなものだと思った。
しかし考えている間に電車は私の降りる駅についてしまった。タイムアウトと思った。するとまたもや偶然がおき、その人も同じ駅で降りた。

これで私の気持ちは固まった。ホームを歩くその人に話しかけた。
私  “Excuse me, can you speak English?"
その人「ワタシハ、ドイツジン デス」

私  “Ich have eine Flage, wo haven sie Ihre Tasche gekaufut?"
その人“Sie koenen Deutsh sprachen! ....."

ナンパは成功だ。偶然がいくつも重なった後に、最後の偶然は、たまたまその人はドイツ人で、私もたまたまドイツ語が話せた。改札口を出るまでの2分ほど彼と歩きながら話をして、最後に写真を撮らせてもらった。彼の故郷が私の住んでいたデュッセルドルフの近くだったことや、何よりこんな場所でドイツ語で話をできたことを彼は喜んでいた。
私はその彼が着ているシャツとカバンがとても気になり、特にカバンをどこで買ったのかを聞きたかったのだ。カバンはミャンマーで買ったそうだ。

たまにはナンパもいいものだ。

オヤジの充電

2004-09-10 20:37:41 | Weblog
 オヤジは充電しないとますます劣化が進む。
 
 オヤジになればなるほど進むのは頑固になるところ、そして話を聞かないところも一種の劣化だろう。話を聞いた気になってはいても、ほとんど聞いていない。自分ばかりが話をしているオヤジをよく見かける。

 「話の聞けない男、地図の読めない女」というタイトルの本が以前話題になったが、オヤジに限らず話の聞けない男は多いと思う。でも、話は誰もが聞いてもらいたいと思っているのではないだろうか。女性に限らず男もそうだろう。こういう私も誰かに話を聞いてもらいたいと思っているのかもしれない。

 そんなことから、今日は話をしっかりと聞けるようになるための充電にやってきた。しっかりと話を聞き、その上で、話をした人が心の中に思っていてもはっきりと気づいていないことや、想いを引き出すところまで、しっかりと話せるような聞き方を学びにやってきた。このトレーニングは以前にも2.5日受けたことがあり、受講してしばらくは自分でも驚くくらい話を聞けるようになった。今回は3日間受ける。
今回受講して、話が聞けるようになったら、しっかりと話を聞いてみたいと思っている人が何人もいるので、しっかり頑張る。

ワクワク

2004-09-09 23:41:04 | Weblog
 毎年恒例の教育研修を実施するイベント会場探しが本格的になってきた。

 イベント会場探しは、それこそ毎年恒例のイベントだ。最初の2年間は研修期間中の約2~3ヶ月間にわたって平日の結婚式場をほぼ全館借り切ってイベントを実施した。昨年は眺めの良い高層ビルのワンフロアを借りて実施した。

 今年は、参加者に好評だった昨年の高層ビルを再び借りるつもりだったが、別の借り手がついたために使えなくなり、会場探しが始まった。
今年も狙いは高層ビル。部屋の中に柱の無い構造を持つ高層ビルで400坪を超える面積を確保したい。しかし広島では物件が限られていることもありたいへんなチャレンジだ。しかも、昨年の会場は広島で最もプレステージの高いビルの一つであったため、それに負けないビルを見つけることはさらにチャレンジをハイレベルにしている。

 「教育研修なんだから、内容さえよければ会場がどこかなんてあまり重要じゃない!」という人もいるが、私はそうは思わない。ハーズバーグの動機付け・衛生理論にたとえると、教育研修の会場は衛生要因(満たされないと不満となる一方で、満たされても満足にはつながらない要因)ではなく、動機付け要因(満たされれば満足が高まる要因)だと思っている。会場が良いと動機付けにつながり、研修効果を高めることができると思っている。だから、参加者が会場にくるだけでも来れてよかったと思える会場を準備したいと思っている。

 組織の変革を強く意識した研修だから、日常のオフィスとは違った環境、リラックスしたりワクワクしたりする環境の中で、参加者には研修を受けてもらいたい。参加者がワクワクしている表情を見て、ワクワクした気持ちを感じることができれば、研修を提供する私の仲間達も皆ワクワクできると思う。ワクワクしたい。

 

ぶらぶらオヤジ

2004-09-08 21:29:05 | Weblog
 台風が通り過ぎた後は、空気が爽やかになってきた。

 秋の空気を感じたくて、自転車で会社に行った。朝は時間に余裕がないので、一生懸命走って行ったが、帰りはぶらぶらしながら帰ってきた。キョロキョロしながら、面白いものが見つかると、立ち止まったり、引き返したりとぶらぶらした。挙動不審オヤジだ。

 歩くよりは高い視点で、バイクよりはゆっくりと走る自転車からは、いろいろなものが見える。台風が残していった爪あともあちこちに見える。折れ曲がった看板、めくれ上がったシャッター、割れたガラス、そして歩道には小枝や葉っぱが散乱していた。
お得な情報も見つけた。ミスタードーナツの全品105円均一という小さな張り紙を見つけて、得した気分でドーナツをたくさん買った。

 小学生のころ、目を瞑ったままでどれくらい自転車に乗れるかを競っていたことを思い出した。友達と10数える間、目を瞑ることを競ったが、友達は物すごい勢いで9秒まで数えて「もうだめや!」と目をあけてしまう。私は「弱虫やな!」と友達にいって、数字をゆっくりと数えながら走った。「10!」と数えて得意になって目をあけると目の前には電柱があった。電柱に激突して自転車の前のタイヤがこわれ、頭にこぶができた。泣きながら家に帰った。それ以来目を瞑って自転車に乗ることはない。

 自転車といえば中国が頭にうかぶ。北京の天安門広場前を大量の自転車が行き交う光景だ。でも、こんな光景は北京や上海といった大都市ではもう見られないそうだ。上海には日本でまだ走っていない、時速480kmのリニアモーターカーも走っている。
でも、リニアモーターカーには、ちっとも乗りたいとは思わない、道じゅうに溢れる自転車の流れの中を一緒に走ってみたい。きっと中国を身体で感じられると思う。
でも曲がりたい時はどうするのだろうとも考えてしまった。自分の意志で曲がれるのだろうか、意志の弱い人は流れに任せるしかないのだろうか。

 自転車に乗っている時は、頭の中にいろんのことがうかんでくる。今日、決めたことを思い出した。「やるかやらないか半々で迷ったときにはやることにする」という信念で最後に決めた。

 

 

オヤジの料理

2004-09-07 23:35:21 | Weblog
 久しぶりに料理をした。といっても作ったのは巻き卵だ。

 台風の強烈な風で、買い物にいけなくなり、昼ごはんのおかずに冷蔵庫にあるもので簡単に作れるものを作った。料理は食べるのも好きだし、作るのも、めったにやらないが本当は好きだ。ただ凝り性なので、料理を作るときは材料をきっちり揃えたいとか、その一方で料理の本を見ながら造るのは嫌だ、といったことから、結局簡単なものしか作らない。

 私の巻き卵は正直なところ、ただの巻き卵だ。生卵に、砂糖と塩とで味付けをし、あとは私の好みの焼きかげんで仕上げる。だから、美味しく食べられるのはあったかいうちだけだ。焼き立てを、醤油につけてご飯と一緒に食べる。

 巻き卵を作っているといつも思い出すのが、会社に入社した後にドイツでホームステイをしながらドイツ語を勉強した時のことだ。簡単に手に入る食材で、しかも簡単に作れて、日本食の感覚を味わえるのが巻き卵だった。巻き卵を焼いて、醤油につけてご飯と一緒によく食べた。

 私が食べているのを見て、ホームステイを一緒にしていた外国人の友人が興味を示した。最初に興味を示したのはオランダ人の友人だった。「いいにおいがするが、上手いのか?」と聞かれ、少し食べてもらったら、醤油の味との組み合わせが気に入ったらしく、それからは何度も彼の食べる分も作らされた。また、彼には巻き卵の作り方も教えた。

 お礼に彼もときどき料理をご馳走してくれた。彼が作ってくれたのはだいたいシチューだった。すごく手が込んでいて私の巻き卵とは違う本格的な料理だった。鶏がらを買ってきてだしをとっていた。彼は聖職者になるためにドイツ語を勉強していた。すでにドイツ語がかなり話せたので、一緒に食事をしながらドイツ語を教えてくれた。オランダ人らしく花が好きで、ホームステイの家には彼が買ってきた花がいつもあった。

その後、彼とは連絡をとっていないが、きっと彼のことだから、夢をかなえていることだろう。巻き卵も焼いているだろうか?

私も彼に自分の夢をはなしたと思うが、何を話したのかを思い出せない。

月曜日のスーツ

2004-09-06 23:53:02 | Weblog
 月曜日の朝はどうしてもけだるい。

 こんな朝は気分転換して、自分自身を「頑張れ!」って応援するようなことをしないとなかなか家をでられない。私が選んだのは黒のスーツを着ることだ。細身のシルエットと素材が気に入っているスーツだが、真夏に着るのは少し暑いため、暫くごぶさたしていた。黒のスーツに合わせて黒のシャツとも思ったが、月曜日にしては少しダークかと思い、シャツは織の高い白地に細くて淡いブルーのストライプが入ったものにした。ネクタイはボルドーレッドを基調に鮮やかなブルーの斜めストライプが入ったものを選んだ。さらに黒いベルト、黒の靴下、黒い靴を選んだ。鞄も黒で、おまけに今日の足は黒のバイクだ。
ナイトライダーだなと私自身は思ったが、人によってはカラスオヤジだと思っているかもしれない。そして頭の中に流れる音楽は“リスク~宇多田ヒカル”だ。これは黒とは関係ないが、プロモーションビデオで宇多田ヒカルが未来のバイクにのっていたからだ。この曲は私がバイクに乗っている時にはよく頭の中を流れている。

 黒は以前は好きな色ではなかった。中学生の詰襟制服や喪服の印象が強かった。黒が気になりだしたのは4年前にイベントの運営をした時に、音響や照明のスタッフが皆黒の上下をきていて、その中にとてもカッコウのいい女性がいたのを見た時からだ。黒子という言葉があるように、イベント会場で動き回るスタッフは存在が目立たず、邪魔にならない黒い上下が常識らしい。

 最近私が選ぶものは黒が多い。黒が選択肢にあれば、黒を選ぶことが多い。黒はプロっぽい印象があっていい。黒を身につけるとプロらしい仕事をしようという気になる。そんな気分で臨んだ一日だった。

わさび鉄火

2004-09-05 22:57:14 | Weblog
 今日は午後から辛い食べ物を探していた。

 辛い食べ物なら何でもいいわけではなく、探していたのは植垣製菓の「わさび鉄火」というあられ菓子だ。このお菓子はとにかく辛い。辛いお菓子といえば、浅草仲見世の唐辛子をまぶしたせんべいを土産でもらったことがあるが、ただ辛いだけではっきりいってまずい。「わさび鉄火」は辛いだけでなくおいしいさも抜群で、ただ辛いだけのお菓子とは一線を画している。そして私は「わさび鉄火」に特別な思いも持っている。

 私は「わさび鉄火」を作ったことがある。
 
植垣製菓の工場で、私は「わさび鉄火」を作っていた。あれは、高校2年の時だった。テニス部のメンバーで冬にスキーに行こうという話しになり、皆で植垣製菓でバイトをさせてもらった。たまたま部のメンバーの親父さんが植垣製菓に勤めておりその紹介だった。私はわさび味のおかきに海苔を巻く工程で、ベルトコンベヤーの小さな枠に、おかきを並べていく仕事をさせてもらった。けっこう目の疲れる仕事で、休憩時間にベルトコンベヤーがとまっていても、それが動いているように見えた。3週間くらいバイトをしただろうか、バイトの最終日には、バイト代とたくさんの「さわび鉄火」をいただいた。それ以来わさび鉄火が好きで、関西に住んでいたころはよく食べていた。
「わさび鉄火」は結局手にはいらなかった。デパートやスーパーを6店まわったが、どの店でも見つけられなかった。夜になって植垣製菓のホームページをくまなくさがし、取扱店がわかったが、時すでに遅し、今日は手に入れることができなかった。

「わさび鉄火」をバイトで作っていたころと今の自分を比べてみて、確実な変化は今の私は年をとったこと。でも、あのころの自分が目の前に現れたら言われそうな気がする。「あんまり成長してないね。夢はどうしたの?」と。今週「わさび鉄火」を手に入れたら、食べながら答えを考えてみよう。

見せかたって難しい

2004-09-04 23:39:29 | Weblog
 住宅街には珍しい酒屋がつぶれ、新しいテナントの工事が始まった。「こんなところに何ができるんだろう?」と思っていると、しゃれた感覚で地場で売り出し中の居酒屋になった。

 居酒屋ができて最初の週末に早速行ってみた。厨房を取り囲むように17mくらいの円形のテーブルが配置された、レイアウトに特色のある店だった。下駄箱、床板、テーブル、棚などの内装も素材そのものに高級感はさほどないが、こだわりを持って作られた印象を受けた。他のお客さんのところに運ばれていた料理のお皿などの什器にもこだわりが感じられる。
期待を持ってメニューを見ると、ブームになっている芋焼酎の種類が多く、ここにもこだわりが感じられる。値段は少し高いという印象を持ったが、品揃えに満足した後に、料理のメニューを見た。料理のメニューは正直なところ×だ。市内中心部にある同系列の店舗のメニューとは多少内容を変えて、立地やターゲット客を意識したメニューにしたのだと思うが、とにかくメニューの種類が少ない。加えて食べたいと思わせるメニューが少ない。メニューにあるものからしかたなく注文するという感じになった。

 メニューを厳選するというやり方は、こだわりの店などでよく見られる。それ自体が悪いとは思わない。店、そして料理人のこだわりが一品一品に表現され、これを食べていただきたいという気持ちが伝わってくる。前菜からデザートまでのメニューをならべた“本日のコース”にメニューを絞り、前菜やスープで若干の選択肢をつける以外は、お客様に選択肢を与えないフランス料理店なども珍しくはない。
 
 制約された自由を楽しむ

 そういう感覚なのかもしれないが、“本日のコース”に絞ったフランス料理店では、制約されたメニューでありながらも、「これはシェフのこだわりの表現だから、きっと楽しむことができる」と自分自身が思い込んで、ワクワクした気持ちで料理を待ち、そして楽しむことができる。
フランス料理店がメニューを制約する理由は、実際には、無駄のない素材の調達や、厨房のスペース、シェフの人数などのいろいろな制約条件の中ででてきたものかもしれない。ただ、限られたメニューしかない理由を店側の制約条件が原因だと思わせない何かがあるように思う。お客に制約された自由を楽しむ気分にさせる何かがあるように思う。これはメニューの中での表現のしかたなどといったさまざまな手法によるもので、結果としてお客様が「最善の選択をしている」と思わせる。
店側の都合が本当はあるとしても、お客様のことを考えている、お客様にとっての最善の結果としてメニューを絞っていると思わせる工夫がとても大事だと思う。

 今晩行った店は、店の都合でメニューを絞っていると思えた。なぜそう思ったのかを考えてみると、いろいろな理由が浮かぶのだが、一番の理由がうかんだ。

 手の内が見えている

厨房がテーブルから丸見えで、厨房設備や調理風景、従業員の動きが全て見えている。開店して一週間しかたっていない。これらのことから店の手の内が見えていて、結果として、店側の理由でメニューが絞られていると感じてしまうのだ。

 見せかたって難しい。でも、奥が深くておもしろそうだ。

開店手伝い?で、居酒屋チェーンの若社長と思われる人が来ていた。初めての郊外型とも言える出店で店の状況を見ながらいろいろと考えている様子だった。根性や情熱があるようなタイプだったので、きっと次の一手をうってくると思う。この社長もチャレンジしていた。

生の感覚、現場の感覚

2004-09-03 23:44:03 | Weblog
 広島市民球場に野球を見に行った。野球はテレビでたまに見ることはあるが、球場で野球を見ようという考えがなかった。球場で野球を見ることには厳しさがある。少しの間でもプレイを見逃すとゲームのストーリーがわからなくなる。これがテレビの野球中継だと、大事な一瞬を見逃しても直ぐにリプレイが流される。リプレイは1回だけでなく、決定的な場面はゲーム中に繰り返し何度も流される。解説でもいろいろと説明がされるし、いたれりつくせりだ。
 
 球場にはそんなサービスがない。だからプレイ以外のことに関心がいっている間にゲームが進み、ゲームの流れがわからなくなることがある。唯一スコアボードと、塁に出ているランナーがゲームの流れの記録として、目の前に展開している。

 久しぶりの球場での野球観戦は、いろいろと気になることがあって、プレイになかなか集中できない。一番気になったのは、席の横の人の応援。そして、手に持っている、メガホンのようなもの。メガホンを上から真っ二つにわったような形状で、口が当たる部分でくっついている。メガホンにもなるし、鳴子のようにも使える。横の人はメガホンにしたり鳴子のように使ったりしながら上手に応援していた。
売り子のお兄さんやお姉さんも気になった。ビールや焼きそばが入った箱を抱えて通路を歩きまわっている。物すごい人数がいて、「お~い!」と手をあげようものなら、何人もの売り子さんがこっちに来そうな感じだ。給料は歩合制だろうけど割に合うのかな?とか、疲れるだろうなとか、どうやったらたくさん売れるかな?とか考えたりした。そのほか、球場内の宣伝看板が気になったり、テレビカメラを操作している人が気になったり、ゲームとは関係のないものが気になった。

 ゲームの中では、ピッチャーの投げる球の速さや、打球の飛んでいく感覚がテレビで見て感じているイメージと目の前でみるのとはずいぶん違うことが気になった。テレビと球場の席では、映像の角度やテレビカメラのズーム機能があるなしによる見え方の違い以外に、空間の感覚がまるっきり違っていた。テレビで見ている映像も、球場の席で見ているものも、どちらも本物ではあるが、この3次元の空間はテレビではなかなか表現できないなと感じた。

他にもいろいろと感じることがあったが、この生の感覚、そして現場の感覚というのは、いくら技術が進化しても受け手が全て満足行く形で伝えることができないと思った。自分が気になること、それが重要なことならば、生で現場で見ることにしようと思った。


神/女将様

2004-09-02 23:43:48 | Weblog
 ときどき私は全知全能の神になってしまう。

 神である私の考えは全て正しい、判断は全て正しい、知識は誰も私にはかなわない。そして人に対して命令口調で話し、指示する。私の考えを理解できない人、納得しない人は全て愚か者である。
少し大げさに表現したが、私は少なからずそんなところを持っているオヤジかもしれない。

 その一方で、私はそんなオヤジが大嫌いだ。私自身のことは棚においておいて、私と接する人が命令口調でくると、私はすぐさまそれに反応してしまう。私もオヤジだから、年相応に相手に失礼な態度はとらなくなってはきたが、気持ちは完全に横を向いてしまい、話は聞いていない。正確に言うと、私が嫌いなのは命令口調というよりは、命令する気持ちなのかもしれない、そんな気持ちに対して私は反発してしまう。

 自分がされていやなことは人にもしない主義

だから、最近私は強く意識して命令口調はしないようにしているつもりだ。私が神になってしまいそうだと感じたら、お腹で大きく呼吸をして、気持ちを平静に保つ努力をしているつもりだ。

 でも、今日もはんぶん神になりかけた。

 私には精神面の鍛錬が必要だ。これはここ1年くらい強く意識していて、曽与田さんに座禅を教えてもらう約束をしたのに、こちらから連絡をとっていなかった。明日にでも曽与田さんに連絡をとろう。
 そしてこれは思いつきだが、精神面の鍛錬ができるまでのつなぎとして、神になりそうな時には、意識して女将さんになるという方法もあるかもしれない。
たとえば老舗旅館の女将だったら、お客に命令口調で言われた時にどんな反応をするだろう。相手を不愉快にさせるような対応は決してとらない一方で、女将としてのプライドもあるから、そのバランスをとった上手い対応をするのだろうと思う。だが、考えてみても女将がどういう対応をとるのかがうかんでこない。そういえば、私はそんな女将に会ったことがないから、知らないのだ。

でも「神になりそうな時には女将になろう!」はなかなかつかえるかもしれない。この意識を常に持つとともに、どこかで女将の研究をすることも必要だ。やることがどんどん増えてきた。

ロードスター

2004-09-01 23:49:10 | Weblog
 2人乗り小型オープンスポーツカーとして、世界で一番多く作られている車の歴代の主査である平井さんと貴島さんと一緒に飲ませてもらった。

 主査というのは、映画製作にたとえると監督のようなもので、車の開発の事実上の最高責任者だ。出来上がった車は主査の作品といっても言いすぎではない。強力なリーダーシップを発揮して開発に関わる膨大な人々をリードし、限られた予算、開発期間で、車の企画段階から最終的な製品にいたる開発の全てに責任を持つ。こんな仕事をやり遂げて、世界的な評価を受ける車に仕立てあげた平井さんや貴島さんは、いつプロジェクトXに登場してもおかしくないくらいの人たちだ。

 でも、2人とも外見は普通のオヤジだ。

 その一方で、飽くなき車作りへの情熱はすごい。そして、わんぱく坊主そのままで大人になったようなところも普通のオヤジとは一味違う。飲み会に集まった息子や孫に近い年代のメンバーに違和感なく溶け込んでいける、不思議な力を持っている。
 他にも2人はいろいろなところで共通する点がある。本当は短気なところを持っていそうな気がするが、人の話を忍耐強く聞く態度があり、相手が目下であろうともいばることや命令口調は一切なく、フェアで接するところなどで、一緒にいてとても心地がよい。

 私は映画を見に行くと、映画が終わって劇場の明かりがつくまで席に座っている。映画の最後に出てくる映画製作にたずさわった人々の名前のテロップを見るためだ。「こんなにたくさんの人がたずさわったのか!」と感動したり、「こんなに多くの人たちをどうやって動かして一つの作品を作ったんだろう?」とか考えたりする。平井さんも貴島さんも、車作りで、映画制作よりももっと多くの人を動かしたのだ。

 2人とも、普通のオヤジではなく特別なオヤジだ。

私も車は開発できないが、特別なオヤジになりたいと思う。