ビタミンおっちゃんの歴史さくらブログ

STU48 音楽、歴史 などいろいろ

◎モーツァルトとピアノ 3

2012-11-18 06:44:34 | HKT48 AKB48
◎モーツァルトとピアノ 3

1763(7歳)

6.9 一家はパリ・ロンドンなど西方への大旅行に出発する(~1766.11.29)

・6.12 ミュンヘン到着

・6.22 ミュンヘンを出発し、夕方アウクスブルクに到着
 アウクスブルクはレーオポルトの故郷である
・6.28 6.30 ヴォルフガングとナンネル姉弟の演奏会が開かれる

・7.4 レーオポルトは旅行用の楽器としてヨハン・アンドレーアス・シュタインのもとでシュタイン製のクラヴィコードを購入した
・ヴォルフガングはこのクラヴィコードを「おりこうさんのクラヴィコード」と呼んだ

★モーツァルトは作曲のためにも公開演奏のためにもクラヴィコードを用いた

・ヴォルフガングは叔父のフランツ・アロイス・モーツァルトに会った
・この叔父には4歳の娘、マリーア・アンナ・テークラ(ヴォルフガングのいとこにあたる)がいた
・ヴォルフガングはこの子を「ベーズレ」(従妹ちゃん)と呼び、のちに仲のいい女ともだちになる


・8.3 マインツに到着

・8.10 フランクフルトに到着
・4回演奏会が開かれたが、聴衆のなかに、14歳のヨーハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテがいた
・14歳のゲーテはヴォルフガングのことを「チビ君」といっている
・ヴォルフガングのほうは、まだ無名だったゲーテがいたことを知らなかった

・8月末 マインツに戻る
・9.14 マインツを出発

・9.17 コーブレンツに到着
・9.21 音楽会 風邪をひく
・聴衆のひとりに若い婦人がいて神童の演奏に夢中になった
 のちに息子をもうけ、ルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェンといった

・9.27 コーブレンツを出発し、夕方ボンに到着
・9.29 ケルンに到着
・9.30 アーヘンに到着
・10.2 ベルギーに入る

・10.5 ブリュッセルに到着
・10.14 クラヴィーアのための小品を作曲
 後に「クラヴィーアとヴァイオリンのためのソナタ」(K.6)の第1楽章となる
・11.15 ブリュッセルを出発

・11.18 パリに到着
・12.24 ヴェルサイユにおもむく

★パリは確かに豊かな町だったけれど、贅沢な暮らしをしているのはたかだか100人ほどの人々で、ほとんどの人は貧しく、飢えと病気に苦しんでいた
 通りには乞食がいっぱいいた
 女性たちは白粉をぬりたくっていた

・作家フリードリヒ・メルヒオル・フォン・グリムはヴォルテールとルソーの友人で、モーツァルト一家を歓待し、助けてくれた
・グリムがヴォルフガングたちのパリでのはじめての音楽会(1764.3.10)の手配をしてくれた
 また、会場費をたてかえ、320枚もの入場券を売ってくれた
・グリムはパリの新聞にヴォルフガング姉弟のことを書き立ててくれた

・ヨハン・ショーベルト、ヨハン・ゴットフリート・エッカルトなどの音楽家を訪問する