ビタミンおっちゃんの歴史さくらブログ

STU48 音楽、歴史 などいろいろ

◎乃木坂46の歴史年表(2012年5月)

2012-11-21 21:58:10 | HKT48 AKB48
◎乃木坂46の歴史年表(2012年5月)

・5.1 大分市初代観光特使に就任

・5.2 2nd シングル「おいでシャンプー」をリリース

★オリコンデイリーランキング 乃木坂46 11.1万枚で初の1位獲得、指原莉乃は5.7万枚で2位
・5.7 
★オリコン週間ランキング 乃木坂46 15.6万枚で初の1位獲得、指原莉乃は12.4万枚

・5.12 乃木坂46と指原莉乃が同日握手会を開催(幕張メッセ)し、「幕張宣言調印式」で両者の戦いは終結した

・5.27 ファションイベント「おしゃれ学園祭」にゲスト出演しミニライブ

◎幕張宣言

・第1条 今後、私たちはお互い、争いません
・第2条 これから指原さんのことを、マブダチと呼ばせていただきます
・第3条 現場以外でも、遊ばせてもらいます
・第4条 私たちの冠番組である「乃木坂って、どこ?」にぜひ出演してください
・第5条 私たち全員と、2ショット写真を撮ってください
・第6条 私たちに、メールアドレスを教えてください
・第7条 ブログで、私たち乃木坂46のことを、宣伝してください
・第8条 1日1回必ず番組内で「乃木坂」というキーワードを出してください
・第9条 私たちメンバー全員に焼肉をおごってください
・第10条 AKB48の渡辺麻友さんのサインをもらってきてください
・第11条 私たち、大分市観光大使、大分市観光特使として大分市のPR、一緒に頑張っていきましょう
・第12条 母の日には、必ず親孝行をしてください
・第13条 じゃんけん選抜の前に、私たちと予行演習をしてください
・第14条 今一番推している、変顔を教えてください
・第15条 今度、トイレ掃除を教えてください
・第16条 ごみの分別は絶対してください
・第17条 牛乳パックは水ですすいでから破いてください
・第18条 ペットボトルのラベルは切り取ってください
  (ただし、「第○条」というのは筆者が仮につけたものです)

幻の第19条

指原莉乃が18個すべてを守ったら、「19番目のムチャぶりを指原が乃木坂46のほうにする」

・「19番目のムチャぶり」とは
指原がすべてのムチャぶりを守ったら、乃木坂メンバーは取材を受けるたびに「指原さんはやさしい」「指原さんはおもしろい」「指原さんは素晴らしい」と、指原莉乃をほめまくること      


◎乃木坂46の歴史年表(2012年3月、4月)

2012-11-20 21:52:13 | HKT48 AKB48
◎乃木坂46の歴史年表(2012年3月、4月)

・3.10 「震災から1年“明日へ”コンサート」(NHK総合、BSプレミアム)にAKB48、NMB48とともに出演
・3.17 東日本大震災復興支援チャリティーイベント「いま、私たちにできること」を都内で開催

・3.19 2nd シングル「おいでシャンプー」の選抜メンバー16人が発表された(「乃木坂ってどこ?」)

・3.25 名古屋市瑞穂陸上競技場にてスタジアムライブ(J1リーグ戦第3節 名古屋グランパスvs アルビレックス新潟 の試合前イベント)
 Jリーグ2012公式応援ソング「左胸の勇気」を披露

・4.2 「乃木坂浪曼」(テレビ東京)放送開始

・4.16 「おいでシャンプー」の振り付けの一部変更を発表

・4.20 HTCスマートフォン新製品発表会(都内)に出席し「おいでシャンプー」を披露

・4.22 シングルを同日発売する指原莉乃(AKB48)の地元大分市を訪問し、「おいでシャンプー」シャンプーを配布してPR。釘宮大分市長にご挨拶しアピール
大分市のマスコット「たかもん」といっしょに市役所でシャンプーを配布
・その後、FTOプロレスの会場でイベントに参加、「おいでシャンプー」を披露

・4.29 「ぐるぐるカーテン」全国握手会(大阪 服部緑地野外音楽堂)
 


◎モーツァルトとピアノ 3

2012-11-18 06:44:34 | HKT48 AKB48
◎モーツァルトとピアノ 3

1763(7歳)

6.9 一家はパリ・ロンドンなど西方への大旅行に出発する(~1766.11.29)

・6.12 ミュンヘン到着

・6.22 ミュンヘンを出発し、夕方アウクスブルクに到着
 アウクスブルクはレーオポルトの故郷である
・6.28 6.30 ヴォルフガングとナンネル姉弟の演奏会が開かれる

・7.4 レーオポルトは旅行用の楽器としてヨハン・アンドレーアス・シュタインのもとでシュタイン製のクラヴィコードを購入した
・ヴォルフガングはこのクラヴィコードを「おりこうさんのクラヴィコード」と呼んだ

★モーツァルトは作曲のためにも公開演奏のためにもクラヴィコードを用いた

・ヴォルフガングは叔父のフランツ・アロイス・モーツァルトに会った
・この叔父には4歳の娘、マリーア・アンナ・テークラ(ヴォルフガングのいとこにあたる)がいた
・ヴォルフガングはこの子を「ベーズレ」(従妹ちゃん)と呼び、のちに仲のいい女ともだちになる


・8.3 マインツに到着

・8.10 フランクフルトに到着
・4回演奏会が開かれたが、聴衆のなかに、14歳のヨーハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテがいた
・14歳のゲーテはヴォルフガングのことを「チビ君」といっている
・ヴォルフガングのほうは、まだ無名だったゲーテがいたことを知らなかった

・8月末 マインツに戻る
・9.14 マインツを出発

・9.17 コーブレンツに到着
・9.21 音楽会 風邪をひく
・聴衆のひとりに若い婦人がいて神童の演奏に夢中になった
 のちに息子をもうけ、ルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェンといった

・9.27 コーブレンツを出発し、夕方ボンに到着
・9.29 ケルンに到着
・9.30 アーヘンに到着
・10.2 ベルギーに入る

・10.5 ブリュッセルに到着
・10.14 クラヴィーアのための小品を作曲
 後に「クラヴィーアとヴァイオリンのためのソナタ」(K.6)の第1楽章となる
・11.15 ブリュッセルを出発

・11.18 パリに到着
・12.24 ヴェルサイユにおもむく

★パリは確かに豊かな町だったけれど、贅沢な暮らしをしているのはたかだか100人ほどの人々で、ほとんどの人は貧しく、飢えと病気に苦しんでいた
 通りには乞食がいっぱいいた
 女性たちは白粉をぬりたくっていた

・作家フリードリヒ・メルヒオル・フォン・グリムはヴォルテールとルソーの友人で、モーツァルト一家を歓待し、助けてくれた
・グリムがヴォルフガングたちのパリでのはじめての音楽会(1764.3.10)の手配をしてくれた
 また、会場費をたてかえ、320枚もの入場券を売ってくれた
・グリムはパリの新聞にヴォルフガング姉弟のことを書き立ててくれた

・ヨハン・ショーベルト、ヨハン・ゴットフリート・エッカルトなどの音楽家を訪問する


◎吉川友「ミニライブ&握手会」「サイン会」11.10

2012-11-11 15:28:42 | HKT48 AKB48
◎吉川友「ミニライブ&握手会」「サイン会」11.10

「ボカリスト?」リリース記念
 
「ミニライブ&握手会」17:30スタート(2回目) あべのHoop 1階 オープンエアプラザ

・きっかちゃんは赤の衣装で元気いっぱいに登場
・笑顔で歌っていましたが、キーの高い曲が続いて最後のほうは少ししんどそうに思いました

・ライブ終了後、すぐに握手会(会場で「ボカリスト?」のアルバム購入者のみ)
・ちょっとドギマギしてしばらく言葉がでてきませんでしたが、「卒業」(ライブでは披露されませんでしたが)がよかったと言ったら、とても喜んでくれました

○「サイン会」19:30スタート  あべのHoop 6階 タワーレコード 特設会場

・タワーレコードで「ボカリスト?」のアルバム購入者を対象に、CDジャケットにサイン

・サイン会はめったにないイベントなので、逃すわけにはいかない
・ひらがなまたはカタカナで8文字以内

・私は「卒業」の歌詞のページに名前ときっかちゃんのサインを書いてもらいました

○本日(11.11)も名古屋で同様のイベントがあるということで、きっかちゃん、あんまりがんばりすぎないように、ノドを大切にしてください


◎モーツァルトとピアノ 2

2012-11-10 08:10:36 | HKT48 AKB48
◎モーツァルトとピアノ 2

○1760(4歳)
★「ナンネルの楽譜帳」(レーオポルトがクラヴィーア学習用にナンネルに与えたもの)によってクラヴィーアの学習を始めた

○1761(5歳)
最初の作品が生まれる

・K(1a)クラヴィーアのためのアンダンテ ハ長調(8小節からなる)
・K(1b)クラヴィーアのためのアレグロ ハ長調(12小節)

これらの曲は、ヴォルフガング自身が楽譜に書いたものではなく、ヴォルフガングの演奏を聞いたレーオポルトが「ナンネルの楽譜帳」の余白に書き込んだもの

○1762(6歳)
★1.12 最初の旅行に出発(~2月はじめ)…第1回ミュンヘン旅行
・レーオポルト、ナンネルとともにミュンヘンへ旅立つ
・選帝侯マクシミリアン3世ヨーゼフの前でナンネルと2人で演奏

★9.18 一家はザルツブルクを出発し、ウィーンへ向かった(~1763.1.5)…第1回ウィーン旅行
・9.26 リンツに着く
・父レーオポルトの手紙(10.16)によると、リンツ滞在中、風邪をひく(文献で確かめられるヴォルフガングの最初の病気)
・10.6 午後3時にウィーンに到着

・10.13 シェーンブルン宮殿に伺候
 ヴォルフガングは女帝マリーア・テレージアの膝に飛び乗り、首に抱きついて、したたか気のすむまでキスをした

・ヴォルフガングがマリーア・テレージアの部屋に入って、皇子や皇女たちに囲まれていっしょに遊んでいたとき、6歳のマリア・アントーニア公女(のちの王妃マリー・アントワネット)が子犬をはなした
 子どもたちは広間を走りまわり、床はつるつるで、ヴォルフガングは足をすべらしてひっくり返りそうになるところをマリア・アントーニア公女が助けてくれた(転んだところをマリア・アントーニア公女がやってきて助け起こしてくれた、のかも知れない)
・ヴォルフガングはマリーア・テレージアのもとにかけよって、マリア・アントーニア公女の親切心をほめたたえた
・このとき、ヴォルフガングがマリー・アントワネットに「ぼくが大きくなったら、お嫁さんにしてあげる」とプロポーズしたというエピソードは、おそらく後世の創作であろう

・10.21 ヴォルフガングは夜から体調をくずし、10日ほど寝ていなければならなかった
 結節性紅斑だったと考えられている

○1763(7歳)
・1.5 ザルツブルクに帰る