◎「幸福論(第2部)」より 4
★「幸福論(第2部)」(ヒルティ 岩波文庫)より少し抜き書き 4
・生命の継続を信じない者の生涯は、すべて深い悲しみに終るのである
・人の事業は死後に残るとか、「肉体は塵に帰しても、偉名は後世に伝わる」などと考えても、人生そのものの無常はやはり慰められない
・死の問題は、すべての人生問題のうち最も重要なものである
この問題についてのその人の考え方を常に知っておけば、そこから彼の人生観の全体をきわめて明瞭に推定することができるであろう
・死に対する恐怖は、あらゆる哲学のこの上ない試金石である
死の恐怖に克ちえない哲学は実際的にも、勿論たいした価値あるものではなく、哲学としての目的を十分に満たすことはできない
・もし死後に再び目覚めることはないと仮定しても、現世において再生を信じた者が、その思いちがいによって困るということはない
・信仰を抱いている人は、万一その信仰が誤っていても、信仰を持たない人よりも現世でも死後でも不利にはならないし、またその信仰が正しい場合には、いっそう利益をうけることになる
・生命の継続についてのわれわれの希望は、どこまでも1つの希望であって、証明されうる確実な事実ではない
だが、それは根拠のある確信である
まず第1に、それは次ぎのような根拠に基づく
すなわち、人間にはさまざまの素質や能力が与えられているのに、それらを十分に伸ばすには人間の一生はあまりにも短かすぎる
だから、それらの能力が死後さらに発達するのでなければ、それらは目的のないものになろう
・死によって無に帰することがないとしたら、必ずやそれぞれの人が、その人の本質的に属する要素のなかに生きつづけるであろうし、そしてその要素は、今や反対の性向に妨げられることなく、十二分にそれ自身をのばしきることになるであろう
・生命それ自身が突然中断するなどということはありえないことで、生命は必ず存続する
・慈悲の心は一般に人間に対する「愛情」と呼ばれているのとはまったく別なものであり、はるかにまさったものである
またそれは、われわれの本性にはまるで存在しないものであり、学ばねばならぬものであって、しかも普通、後年になって、非常に苦しい道を経たのちに初めて知ることができるのである
・人間の苦しみの大部分は明らかに、純粋に非利己的な、あらゆる感傷をはなれた慈悲という黄金を掘り出して、その鉱滓や混り物をすっかりのぞき去って精錬するという目的を持っているのである
・財産を生活の最大事、努力の最大目標と考えたり、財産の多寡によって人間や身分を測ってはならない
・できるだけ金の勘定などしないこと、そして、いったいに職業や生活環境にとって必要な秩序を乱さないかぎり、金銭などに心をわずらわされないこと
・名誉は、多くの人にとって、黄金崇拝と同様に、強い枷となるものである
名誉をあまりひどく気にしたり、また、人に尊敬を払わせるような高い地位を得たいと心を砕くことは、いずれも心の自由をしばる枷である
・仕事はあらゆる悪から人間を救ってくれる最良の方法であって、仕事がなければ悪はたえずいろいろな仕方で人間をとりかこんで誘惑する
・人間は自分のいのちを投げ捨ててはならない
・自叙伝も、たいてい、著者の虚栄心によって汚されていて、時には、伝記のなかで最も真実の少ないものとなっている
・人間はその生涯の真の成果を主として自己教育に負うのであって、他人が彼のためにしてくれる一切のものも到底それには及ばないのである
・人間は自分の持って生まれた素質とまったく違ったものにはなれない
・青春の夢は軽んじてはならない
それは大抵、その人のまだ自覚しない素質に応じたものであり、したがってまた、その人の使命とも一致することが多い
・決してうしろをふり向かないことである
最後の瞬間まで力いっぱいの活動を持続することが大切である
老年期の生活目的は実を結ぶことであって、休息することではない
・どうしたら年をとってもなお若々しさを失わずにいられるか
それに対する精神的方法として最も大切なものは、「常に新しいことを学び」、とにかく何ごとかに興味を持ち、たえず何か前途の計画を立てていることであろう