この神社が波豆八幡神社といい水没した集落を見守るように建っています。
最初にこの神社を見てもそんなに感激はしませんでした。
重要文化財の本殿と覆屋です。もうかなり柿葺は痛んでいました。
1919年から1931年ダムは完成しました。
この神社の下にあった波豆集落は水没し参道下部も水没し
鳥居は移設されたので参道はダム湖に向かっています。
石の大きな鳥居はダム湖に向かっていて階段は妙に急でした。
車道側からの手水舎は下にありました。
車道側の鳥居ですがこれは後で作られたのでしょうか。
鳥居の向っているダム湖です。
神社はぐるりとダム湖側に道がありました。日陰ばかりなのかびっちり苔で覆われていました。
この千苅水源池は先日光明寺から一人トンネルを抜けてダムまで行ったその一部なのです。
なんだか身震いがしました。
1910年にこの集落の人たちは反発したとありましたからそれから100年このダム湖に家や田畑を失い
きっとどこかに移転されたのでしょう。
この日は暖かくカルガモが泳いでいましたが水がキラキラするのを見て昔の人たちのこんな犠牲があっての
水道水だということで私たちはもっと大切に水を使わなければと思ったことでした。
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