監督日記

試合の本当の“速報”また私から見た部活動の様子をライブで発信いたします。

監督、福島に行く8

2016-09-28 22:16:00 | 旅日記
監督、福島に行く8

その重い足を引きづりながら向かったのがこれ


なんだと思います?

これはさざえ堂と言って同じ飯盛山にあります。

正しくは『円通三匝堂(えんつうさんそうどう)』といい、
寛政8年(1796年)に飯盛一族の先祖である飯盛山正宗寺(せいそうじ)
第12世郁堂和尚(いくどうおしょう)によって建立され、西国三十三観音菩薩を安置した六角三層の観音堂です。

ここをお参りすると西国三十三観音菩薩をお参りしたのと
同じご利益があったそうです。

形が さざえの殻に似ていることから俗に『さざえ堂』と呼ばれ、
階段のない螺旋通路で上り下りができ、上りの人と下りの人がすれ違うことなく
一方通行で巡れる世界にも例のない建築で、国の重要文化財に指定されています。

白虎隊士もここに行ってお参りしてたのかな?

何ともユニークな形ですね。


斜めってます。

中はこんな感じ
暗くてすいません








その周辺は






さざえ堂のおかげで最後はすっかり元気になって
この場所を後にしました。
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監督、福島に行く7

2016-09-28 22:11:33 | 旅日記
監督、福島に行く7



そして白虎隊のお墓です。


戊辰戦争後、会津藩は朝敵とされたために白虎隊の遺体を
明治政府はそのまま放置しておくよう命じ(埋葬禁止令)埋葬の許可がされませんでした。

この場所で風雨に晒される少年たちの遺体は、衣服遺留品は盗賊に盗られ、
動物に食べられ酷い状態だったそうです。

不憫に思った当時の山主飯盛正信が、有志らと夜な夜なコッソリと骨を拾い集め、
今の墓前広場の一角に仮埋葬をしましたのですが、このことがすぐにわかり、
遺体は掘り起こされ元のこの場所へ投げ捨てられたそうです。

白虎隊の埋葬の許可がおりたのは、後の明治2年のことでした。



何となく暗い気持ちでこの場所を去りました。
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監督、福島に行く6

2016-09-28 22:11:04 | 旅日記
監督、福島に行く6

会津藩藩士の子どもたちは「什」(じゅう)と呼ばれる集まりを作りました。
「ならぬことはならぬものです」のフレーズで知られるのが「什の掟」です。

一、年長者(としうえのひと)の言ふことに背いてはなりませぬ
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
一、嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ
一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
一、戸外で物を食べてはなりませぬ
一、戸外で婦人(おんな)と言葉を交へてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです

※什により多少異なります。

次に我々は飯盛山に向かいました。
いいもりやまですからね。




名前だけは聴いたことがあるとは思いますが、
白虎隊の自刃した場所です。

飯盛山にはこの動く歩道で移動しました。
絶対大変ですからというアナウンスに引かれて乗ってしまいました。
結構いい金額なんだよね。


登った先には












この場所で自刃したそうです。

ここから見える会津城下






今のように携帯があれば、すぐに連絡して城が落城していないことが
わかったのに非常に残念なのである。
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