校内研究の思い出(4)

2012-08-13 | 同僚性を高める校内研究
研究主任の仕事を初めて拝命したのは、
教職4年目でした。

しかしそのときは、本当にわけが分からなかったので、
「研究部通信」を発行する余裕は全くありませんでした。

3校目で研究主任となったとき、
初めて、「研究部通信」というものを発行してみました。
(年間30数号発行していました)


6、7年ぶりに読み返し見ると、
その青臭い文面に、ちょっと引いてしまいました(苦笑)

でも、その中で、8年後の今の自分と
ぶれていないところもちょっとあったので、そこが嬉しくも思いました。

これは6年前の4月に発行した第3号です。

(↑こういう文章だけの、堅苦しい内容から、5年間の試行錯誤と学びを経て
 研究部通信は、劇的に中身が変わります。これは後ほど)



楽しく実のある研究を!

1 校内研終了

第1回校内研究会が終了しました。今年度は研究主題を
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確かな読解力を育てる国語授業のあり方
―説明文・物語文教材における指導の工夫を通して――
==========================

と、設定しました。

この主題を設定することにあたり、
文言的なことでかなり悩みました。
漠然として、テーマが焦点化されていないからです。

「学習過程の工夫」とか「視写の活動を通して」とか、
いろいろな活動を明記すれば、研究らしくなるのですが、
今回はそれを敢えて入れませんでした。

いろいろな視野から、確かな読解力のつけ方についてアプローチを図りたい。
という思いがあったからです。
昨年度に引き続きせっかく力のある先生たちが集結した今年度。

先生方が今まで培ってきた経験や引き出しの中から様々な指導法を提案・実践し、
そしてそれを学びあうことでお互いの授業力の向上につなげていきたいと思ったのです。

もちろん研究主任のほうからも、たくさんの国語指導の方法を提案します。
偏らず様々な角度からお知らせし、活用できるようにしていきます。(今、必死に勉強しております)
しかし、やはり先生方の協力に負うところが大きくなると思います。どうか1年よろしくお願いいたします。

2 シンプル イズ ベスト

目指すことは単純です。
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・ やっていて辛くない、楽しい研究にしよう。
・ 教師の指導力を高める、役に立つ研究にしよう。
・ 退職まで使える、薄くて中身のある研究収録を作ろう
============================
研究計画を作る過程で、前年度のK研究主任が作ったものに大きく頼りました。
準備の周到さ、系統立てられた計画の鋭さに感動させられました。
プレッシャーも正直大きいです。でもやるしかありません。
前年度までの良いところを踏襲しながら、そして研究である以上、
前年度の成果をさらにこえる研究推進をはかっていきたいと考えています。


3 提案性・生産性を求める
昨年度も、先生方には提案性のある授業をしていただきました。
が、そこを焦点化するというというところまでは
(研究のほうが)いっていなかったように思います。
今年は「提案性・生産性」のある授業研究会を作っていきたいです。

 その過程では、いろいろな国語授業のスタイルが出てくると思います。
ちなみに、巷にはたくさんの「国語指導法」が氾濫していますが、
これ一つで全てをカバーできるという絶対的なものはないと思っています。
子どもの実態に応じて、そして作品の特質に応じて、
そして、育てたい力に応じて、流動的に、フレキシブルに指導法は変えていくべきです。

 ですから、今回もいろいろな方式で授業を試みて
「子ども達に読解力をつけることができたのか?」
という絶対的な評価基準をもって授業研を進めていきたいと考えます。

 そこで、いろいろな意見を交換していく中で、
「より実践的な授業力」を身につけていけばよいのだと思います。

 提案性・生産性というと、身構えるかもしれませんが、
そんなに難しいことではありません。
例えば昨年度のすばらしい実践からは、


1年 A先生:写真からの読み取り・短冊黒板の活用
2年 B先生:具体物(たんぽぽ)の活用
3年 C先生:サイドラインの活用(一文総合法)
4年 D先生:物語教材における発問・指示の工夫
5年 E先生:国語授業におけるヒントカードの活用
6年 F先生:一文改行教材の活用・要約による読み取り
というような形で提案性を浮き上がらせることができます。
 
研究会では、
果たしてこの指導法が子ども達の読解力を高めるために効果的であったか?
という1点で議論を深めていけばよいわけです。

もちろん教材が決まれば、それに適した効果的な指導法の資料を準備しますし、
当然事前研でもその提案性については揉みたいと思います。
教材文は事前研よりも前に先生方全員にお配りする予定です。

 4 気楽に
ここまで書くと「やっぱり 大変そう」と思われるかもしれませんが、
【特別なことは一切しないで、自分の意識だけ変える】
そういうとらえで大丈夫です。
楽しく、役に立ち、そしてシンプルで硬質な研究を目指していきましょう。


校内研究の思い出(3)

2012-08-12 | 同僚性を高める校内研究
校内研究の事を思い出すと、
自分が所属した職場には、毎回自分を
「厳しく」指導してくださった先輩方がいました。

初任校時代は、特にも教頭先生に
熱くご指導をいただきました。
40歳の新任教頭先生でした。
(今の自分より、たった二つしか歳が違わない。。
 正直、信じられない・・・)

その方は、研究会の前にいつも
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「(言葉は悪いけれど)悪口を言い合いましょう」
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と話されていました。

だらだらと褒めあうのは生産性がないということを
常に意識されていました。


それ以外にも
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・会議の際は、一人一人の提案に秒刻みの時間を設定
・提案設定時間を越すと、チーン♩とベルがなる
・初任の自分に「ワープロは捨てろ」と命令
・当時10万円以上した200万画素のデジカメを買いなさいと指示
・当時8万円くらいしたA3対応のプリンタを買いなさいと指示
・ワードよりも先にエクセルをおぼえろ!と指導
・エクセルの「串刺し計算」の便利さを教えてくれた
・今から17年も前なのに、文書はフロッピーですべて交換。
・土曜日のお昼はいつも近所のラーメン屋でごちそうしてくれた
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
など、
(過去、このブログで何度も何度も紹介してきましたが)
本当にたくさんのことをご指導頂いた方でした。


そして、2校目。
鍛国研でおなじみのT(管理)指導主事と出合います。
         ↑ 師匠とは違う方です。

(親しみを込めて呼ばせていただきます・・・)”管理!”は
第1回目の研究会から
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「研究会の中では”批判”しか受け付けません」
「斬り合います!」
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という物凄い宣言をされ、
「おお、ここもそういう世界なんだ!!」
と、さらに気持ちを引き締めた事を
昨日のように思い出してしまいます。
やはり、緊張感のある研究会でした。

こうして、
「管理!」の影響で、
自分も2校目は研究主任として、
「斬り合う」
というのが普通の、
校内研を3年間つくることになったのでした。


ということで初任校から6年間
自分は「批判が当たり前」の中で
校内研を送ることができました。

厳しいけれど、
(今思うと)充実した6年間だったような気がします。



水魂

2012-08-12 | 同僚性を高める校内研究
市民水泳大会。

我が校は、10年連続総合優勝。

教職員チームも、一般の部200mメドレーリレーに出場。
銀メダル。
(2チームしか出ていないけれど)


ゲストはあの萩原智子選手。

泳ぎももちろんだけれど
とっても美しいかただった。

表彰台の上で、(ほんのちょっとだけど)
お話をさせていただいり、
握手をさせていただいたけれど、
本当に素敵な時間だった。

ワンポイントアドバイス&トークショー
も良かった。

彼女のお話で印象に残った事。

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・なぜ「ありがとう」という言葉が大切か?
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→「ありがとう」という言葉をたくさん発する事で、
 周りの仲間とたくさんの信頼関係を築ける。
 水泳は自己ベストがでないときなど、本当に悩む。
 そんなとき、励ましてくれる人がいないと、もうアウト。。
 仲間がたくさんいたことで、自分も
 ○年にも渡るスランプ(自己ベストが出ない)を乗り越えられた。
 実体験に基づくお話は本当に勉強になった。

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・笑顔は伝染病
=========================
→笑顔は伝染病なんだよ!
 笑顔で怒る人はいないでしょ。
 どんどんうつっていくんだよ。


水泳の細かなテクニックも勉強になったけれど、
こういう世界の第一人者の経験談は、
それ以上に勉強になる。


校内研究の思い出(2)

2012-08-11 | 同僚性を高める校内研究
先日行われた前任校の同僚との飲み会。
感謝した事がもう一つあります。

それは、
自分が一番の年下だったのにも関わらず、
みなさんがとても協力的に
校内研究に取り組んでくださった事です。

今から7年前。
前任校で研究主任を拝命した際、
まず自分が行った事は
=================
授業に点数をつける
=================
という恐ろしい事でした。

実は以前
熊本の前田先生の論文を拝読し
「ルーブリック(評価指標)」について勉強しました。
そして、それをそのままやってみようと思ったのです。

当時作ったルーブリックはこのファイルです。



9項目を4段階に分けて、評価するのです。

そしてそれを授業後すぐに集計し、
レーダーチャートにまとめ、
一覧にして研究会に出していました。



どの項目が問題であったのか、一目瞭然で、
仮説の検証とともに、その問題点を柱に、研究会を進めたのでした。


しかも、だれがどの項目で何点をつけたかわかる表まで配布して、
自分の評価に責任をもって発言してもらう事まで強要していました(涙)



今だったら、絶対にできないことですけれども、
31歳の無鉄砲な自分は、果敢に挑戦していました。

そして周りの先生がたは、嫌な顔一つせず(?)、
しっかり取り組んでくださりました。

研究会では、厳しい言葉も飛び交いましたが、
それでも、みなさんしっかりとお互いを大切にし合う
言葉で話されていました。

研究会が終われば、飲み会があり、そこでワイワイと盛り上がりました。

一人が「こんなのヤダ!」と言えば、それで 
もしかしたら終わってしまう
研究会のシステムでしたが、みなさん温かく取り組んでくださりました。

自分がセンターに長期出張に行くまでの3年間、
このシステムを続けました。
先生がたは心の中では「ヤダなぁ」と思われたでしょうけれど、
こうやって協力いただいた事は、自分の中で本当に財産になりました。
授業研究の本質について、ちょっと勉強することができました。


毎年研究授業の最初は自分でしたが、
点数をつけられるのは、本当にドキドキでした。
サークルや様々な学習会で斬られるのには慣れている(つもりの)
自分でさえ、心穏やかではなかったのですから、周りの先生がたの
気持ちは・・・・今考えると、ちょっと怖いです。
ちなみに、センター長期出張時に、S主任指導主事先生にお会いして、
そこで「ファシリテーション」を叩き込まれてから1年後、
この点数システムは終焉を迎えます(苦笑)
ファシリテーションについては、後ほど。。



話は戻りますが、
今、自分がどこかの学校の研究主任を拝命して
「ルーブリック」を強行する勇気はちょっとありません。
(すばらしい内容であるのは間違いないのですけれど・・・)

でも、それを3年も続けることができたのは、
やはり、
=========================
理解があり、
そしてそういう厳しい評価に耐えうる授業力を持ち
なにより優しい
=========================
先生がたが集まっておられたからだなぁ
ということを実感します。

だからこそ、今現在もこうやって集まって
思い出話にわいわいと花を咲かせているのでしょう。

出会いにただただ、
感謝するばかりです。


ちなみに、この「ルーブリック」

尊敬するS主任指導主事先生にも、
師匠にも

「ちょっとやり過ぎだったな」

とお話をされました

当時の先生がた、、、本当にありがとうございました。

また私が幹事をします


思考を促す社会科授業(11)

2012-08-11 | 思考を促す社会科授業
教育センター長研時代に、
尊敬するS指導主事先生から「本質を外すな」と何度も何度もご指導頂いた事。
それ、今回の文章にも生きているなぁと改めて思いました。
ただただ、感謝です。

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 本連載では「思考を促す社会科授業」として、これまで4回に渡
り、【読み取り】、【再構成】、【表現・説明】、【話し合い】と
いう言語活動について示してきました。
 しかし、中には、
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こんな当たり前のこと、自分は昔からやってきている!
==============================
なにを改まって、こんな普通の事を書いているんだ?
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と思われた方も、(少なからず)いらっしゃると思います。
 確かに私自身も、「目新しい事はそう多く書いていない」と認識
しています。私が提示した実践例は、社会科を専門とする方にとっ
ては、まさに「当たり前」な指導事項だったかもしれません。あわ
せて「提案性」という意味では、少々語弊があったかもしれません。

 しかし、こういった本来「当たり前」であるべきことが、今現在
「当たり前」でなくなってしまっていることも、残念ながら事実で
す。若い教員が増え、「社会科の授業が分からない」という声も多
く聞かれます。また、ベテラン教師も日常の多忙感に追われ、自身
の授業を振り返る余裕がない現状です。
 だからこそ文部科学省は、「言語活動の充実」という新しき題目
を示して教師たちの興味を引き、そこで改めて「学習指導の本質」
に気づいてもらおうと思ったのではないでしょうか。

 ですから、今回の連載で示した事項は、全て「教育の原点」であ
る、と自負しております。そして、これらの活動を確実に、地道に
続けていくことが、子どもたちに力をつける一番の近道だとも確信
しております。
 教育に「不易と流行」があるとすれば、今回示した「言語活動」
は、「不易」に当たります。すなわち、我々の先人時代から脈々と
受け継がれてきた、「当たり前」の指導事項を「当たり前」に、確
実に指導していくことが我々の原点でもあるのです。

 ならば、「当たり前」な言語活動を、一単位時間、もしくは単元
全体をとおして、意図的計画的に位置付けていきましょう。そして
子どもたちの思考をぐんぐん促していきましょう。それが、子ども
たちの思考力・判断力・表現力等の育成に繋がっていくのだと思い
ます。
 「当たり前のことを当たり前に」
 簡単そうでいて実はとても難しいことです。だからこそ、それを
着実に実践できるよう、日々努力し続けたいものです。

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校内研究の思い出(1)

2012-08-09 | 同僚性を高める校内研究
前任校時代の同僚と先日飲み会を行った。
もう10年来のお付き合いをさせていただいている。
楽しい一時。

当時は、
===========================
・30代前半で、脂の乗り切った元気な男女が4人。
・思慮深く、気遣いのある中堅・ベテランの先生が2人
===========================
という担任団。
そして、あたたかい管理職の先生、養護教諭の先生

本当に楽しかった。

このブログでもいろいろ昔書いてたのだが、
例えばこんな記事もありました

飲み会では
「みんな常識人だった」
「思いやりがあった」
「まとまっていた」
などと盛り上がった。

みんなそのとおりなのだが、
自分が一番思っていたのが
=================
「みなさん、授業がお上手だった」
=================
ということである。

授業に対する真摯な姿勢に
毎回毎回勉強させられたということである。

自分は研究主任であったが、
本当に楽しい仕事をさせていただいた。
研究会がとても充実していた。



飲み会後、6年前に発行した当時の研究集録データを見てみた。
一人一人の授業のまとめや分析を書いていた。

当時の興奮がよみがえってきた。

以下転載
※6年前の文章なので、今以上に稚拙な文であるし、
 分析も的外れだし、なにより妙なクセがあります。
 そこは若気の至りという事でご了承下さいませ。


==============================

絶妙のテンポを生み出した秘密は

教材名:2年国語「ビーバーの大工事」


【目標】
安全な巣を作って暮らす
ビーバーの様子や知恵を読み取ることができる。

【形成学力】
書かれていることを正しく読み取る力

【授業仮説】
文章に即しての資料提示や中心文に
サイドラインを引かせることにより、
事柄の順序に気をつけて叙述に即した
読み取りができるであろう。


=====================================


1 
A先生の授業を一言で集約した先生がいた。
―――――――――――― 
素敵なテンポ
――――――――――――
と評したB先生である。
そのくらい素晴らしいリズムとテンポのある授業であった。
 具体的に「素敵なテンポ」とはいったいどんなものだったのか?
これは授業を参観していたものしかわからない。
言葉で説明するのは難しいが、あえてするとすれば、
―――――――――――――――――――――――― 
 速すぎず、遅すぎず、ゆったりと心地よいリズム。
 美しい川のせせらぎのようなリズム
――――――――――――――――――――――――
とでも言えようか。そんな絶妙なテンポだった。


2 
 では、そのリズムとテンポはどのような条件で生まれたのだろうか。
授業記録や事後研での話し合いから分析してみると、以下の点が考えられる。
――――――――――――――――――――――――
■ 指示発問が明快で、無駄な言葉がない
■ 展開が理路整然としている。
■ スモールステップでやり取りをしている。
■ 提示資料の主張が明快である。
――――――――――――――――――――――――
これらの要素がしっかり合致しているからこその、「素敵なテンポ」となった。


3 
A先生の授業の指示発問には無駄な言葉がなかった。
こういう言葉で書くと、
冷たい授業行為のように聞こえるがそういうわけでは決してない。
むしろ逆である。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 穏やかな口調で、ゆっくりと、簡潔に発問・指示を出す
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ことにより、その内容は子どもたちにスーッと入っていくのだ。
 その反対に一番してはいけないのが、上記と逆の行為だ。
早口・ダラダラ・一度にいくつもの指示・反応が悪ければ、
微妙に発問の内容が変わっていく。
これは最悪のテンポにつながっていくものである。
絶対に避けたい授業行為である。
4 
 展開が理路整然としていたことも特筆される。
無駄な発問がなく、教師が押さえたい要素に向かって、発問が計算されていた。
全ての授業行為に必然性を持たせたことで、
児童も参観している教師も自然と授業の中に入っていったのである。
これにより「素敵なテンポ」を感じることが出来たのであろう。
「とりあえず発問」が入ってしまうと、このリズムはすぐに崩れてしまう。
授業が濁るからだ。ここは我々、自戒をしたいところである。


そして、その計算された授業の流れで、児童と教師のやり取りがハッキリしていた。
これはスモールステップで授業を進めていったからである。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
1  (みんなは)湖を見たことがあるか?
2  ビーバーは湖のどこに巣を作るのか?
3  それはどの段落に書いてあるか?
4  その段落の中で、分かるところに線を引きなさい。
5  どうしてこんな真ん中に巣を作るのか?
6  この巣はどのようにして作るのか?書いてある段落を探しなさい。
7  段落を見つけたら線を引きなさい。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
一つ一つの発問に意味を持たせている。
そしてその発問には明確な答えがあるから、子どもたちは自信を持って答える。
その連続性で授業を組み立てていくのだ。


授業仮説にある、中心文へのサイドライン。この引かせ方にも工夫が見られる。
それは上記「4」の囲みの中にヒントがある。ぜひ探してみていただきたい。
A先生はまず
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
引くべき「段落」を探させ、
それを全員が確認した上で、その段落の中から線を引かせている。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
これは「全員参加の原則」をしっかり守っている。
全員の学力が高ければ、いきなりサイドラインを引かせても良いであろう。
しかしそうでない場合は、
このように段階をふまえてサイドラインを引かせていく必要がある。
これにより全員が同じレベルで授業に向かうことができるのだ。
そして、もう一つのポイントは、その行為を繰り返しているということである。
――――――――――――――――――――――――
段落探し→サイドライン→段落探し→サイドライン
――――――――――――――――――――――――
パターン化することにより、
子どもたちはサイドラインの引き方を自然と身につけていく。
この感覚を身につけていき、徐々に「段落探し」をなくし、
直接サイドラインに移行すれば良いのだ。
これを「変化のある繰り返し」という。


資料提示も良かった。
A先生は、ビーバーの巣の写真や、ビーバーの写真を構造的に黒板に貼り付け、
なぜビーバー以外は巣に入れないのかを視覚的にはっきり分かるように工夫をした。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
児童は文脈からの抽象的な情報を、視覚で具体的に感覚的につかむことが出来た
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
のである。
授業の最後もビデオ活用も有効であった。
これで確実に児童の思考にだめ押しをすることができたのである。


最後に反省点を。
授業全体が、きちっきちっと完璧に流れていたのであるが、
その流れが「遊びのないハンドル」のように感じた。
ここまで到達するのもかなりの境地だと思うのだが、
ココまできたらあとは「ハンドルの遊び」の部分も出してみてもよいのではないか。
例えば、提示した絵と人形を使って、シミュレーションをしてみるとか、
敵がいかに巣の中のビーバーを襲うかを表現して、巣の構造のひみつに気づかせたり、
わざと教師が間違って子どもたちに指摘させたり・・・という「ゆさぶり」があると、
子どもたちはさらにさらに授業に集中したのではないだろうか。
また、子どもたちの力が高まっているので、
より高いレベルの発問で子どもたちの思考を追い込んでいけば、
さらに学習の質も高まっていくのであろう。
とても贅沢な注文ではあるのだが。