MBA(Master of Business Administration)という資格は、ご存じのかも多いかと思いますが、実際の企業経営の事例をもとに、講師と受講者が様々な視点から意見交換をしながら進めていく教育と思えばよいかと思います。
経営幹部、或は起業家をめざすには重要な教育ツールとして扱われてきています。ビジネス書を書く人の中にも、MBAを持っているひとは少なくありません。
ここでは、MBAについて苦言を呈したいということではありません。MBAが企業経営、事業経営を学ぶ、或は判断するということについて、十分な意義を持っていることは承知しています。
ここで、私が気になっている問題点が二つございます。
①テキストの題材のとなっている事例は、どういう立場の人が書いたのか。
②そのテキストをもとに意見交換する際、講師となる人がどんな視点を有しているのか。
この二つです。
「事実は小説よりも奇なり」という有名な諺がありますが、事例を書いた人が、対象となる企業経営等について、的確に描けているか。
おそらく、経営幹部や社員へのインタビュー、顧客や競合からの視点、財務諸表など様々なキーがあるかと思いますが、書く人の価値判断が入り、写真のようにはいかないでしょう。
さらに、そのケースを題材にしたときの意見交換で、講師が「このケースではこういうことが考えられる」とお話しになる。教育としては「確かに」で済みます。
結局、①②ともに間接情報でしかないから、深い本質に食い込むことができるのだろうかという問題意識が私にはございます。むろん、間接情報が×で、直接情報が〇ということを言っているのではありません。
「企業は人なり」ということは、今更いうまでもないことです。
MBAの事例では、人の心までは読めない。インタビューを受けた人が、的確にその時の状態を語ってくれるのか。
あるいは、そもそも的確に把握していたとしても、それを話してくれるのか。そこは事例を書く人の嗅ぎ分ける力が重要ですが、対面している人の心の内にまで入っていくことは難しいです。
経営学もそうですが、心理学のセンスが必要ですね。
私としての提案は、MBAもいいのですが、自社の歴史、つまり社史を活用できないものかと思っております。
むろん、難しさはあります。そもそも、社史はMBAのようなテキストとして商売のために作成しているわけではく、会社の記念事業の位置づけで作成しているケースが多いので、社員或はOBが過去の記事を拾ってパッチワークみたいにしてはめ込んだ程度になっていることがあります。
ただし、それでもよいのです。
できれば、そのときの社史で掲載された当事者がいて、意見交換してもらえるとよいのですが、むろん、人には言いたいこと、言いたくないこと、記憶の壁がありますから、「生きた社史」にすることは難しいかもしれませんが、その会社に脈々と流れる何かを感じ取れるのではないかと思うのです。
MBAは他社の事例です。社史は自社の事例です。企業経営では、理念・ビジョンと大事になければならないと言われていますが、それならば社史について意見交換して学ぶということは大切なことではないかと思います。