11月1日は 親父の命日
その年の春先に病名を告げられてから 約半年だった
その春先より ちょっと前だったと思うが お袋が亡くなる夢を見たのを覚えている
親父は新居浜の病院に入院していて パイレーツ号という長距離バスでよく帰ってた
当時 101回目のプロポーズ というドラマをやってた頃で チャゲアスの SAY YESが流行ってた
夜 浜松町をでたバスは 翌早朝 新居浜に着く
病室を覗くと ベッドに親父が 床にお袋が寝ている
いよいよ危ない と東京に電話があったのは前日の夜遅く
なのにスナックに飲みにいった俺 極道息子には違いない
酔うと同じ話を繰り返した親父
浅草の観音様と奈良の大仏様が 同時に立ち上がって歩き出すと ちょうど雷門の提灯で出会うんぞ という話を何回聞かされたことか
ほとんど冗談も言わなかった
祖父の葬儀のときに 火葬場で 「次は親父の番じゃなぁー」と俺が言ったけど どういう反応だったか忘れた