養老猛司の本が好きで色々読んでいるけれど、ようやく「唯脳論」を読み終えた。この方の代表作と言っても過言でないのに。今更です。
本書で言っていたことが「バカの壁」に繋がるんだな、と感慨深く読んだ。人間が如何様に世界を観測、思索しようとも、その行為は脳によってなされる訳で、よって人間は脳=自然によって支配されている。その立場から展開されるのが唯脳論。この理解で正しいのだろうか。恐らくあっているはずだ。この本は万華鏡みたいなもので、読む人の知識、考え方によって姿が変わる。だからレビューするのは怖い。
よく知られる通り、養老先生は解剖学者である。仕事柄、裸の脳みそを観察するプロフェッショナルである。ゆえに脳のちっぽけさ加減を知っている。人がいくら高邁な思想を述べようと、宇宙に思いを馳せようと、神話を創造しようと、考えることはすべてそのちっぽけな脳みその中で行われている。それを知っているからこそ、この人はとにかく等身大に物事を考え、論理の飛躍もない。地に足をつけて、どころか、四つん這いで力強く突き進む。その姿はまるで虫のごとし。決してけなしていません。この人が昆虫採集を趣味とするのも納得だ。
人の思考は全て頭の中だけで行われる。ただ、その思考の基と言うか、種となるものを頭の中で生み出してしまうと、それを発展させた主張は非常に空虚なものになる。この人は頭の中で種を作らない。あくまで、五感によって得たもの、実感を基盤にして着々と思索を重ねていく。そうして作られた論理は地盤が強固で揺るがない。解剖学者として脳と向き合ってきた経験を基盤に、「脳」という不思議臓器に過大な幻想を抱かず、脳の仕組みと機能を解説していく。正直1度や2度で理解できる類の内容ではないので、繰り返し読む必要があるだろう。しかし、背伸びの無い確固とした語り口が心地よく、繰り返し読んでも苦にならない。
そう言えば一時期、私は「考える自分」、について「考える自分」、を「考える自分」、を考える・・・と突き詰めて考えようとした事がある。完全なる客観性とでも言うか、そういうモノを自己の中に発見しようとしたのだ。笑い話にもならない。馬鹿話だ。けどあの時の私はそれに必死だったのだ。この本の言を借りるなら、どれだけ考えようがこのちっぽけな頭の中に収まっているものが全てだ。あの時に読んでいたらどんな感想を持ったか、それは少し気になった。
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