三千枚の金貨/宮本輝 著
大好きな作家の一人だ。ときおり本屋に立ち寄り新作のチェックだけはしていたのだが、このたび運よく図書館で上下を借りることが出来て(いつも予約で順番待ちなのです)、無事読了。
あらすじとしては、主人公が入院中に病院の談話室で、見知らぬ男性から「○○に金貨を三千枚埋めた。見つけたらあげるよ」と言われた。その場所は漠然としていてとてもとても見つけられそうにないと思えるのだが、色々なきっかけや事実を知ってゆくことで、同僚2人(40代)と行きつけのBarの女性マスター1人(30代)、合計4人でそれを探そうとするというもの。見知らぬ男性には自分ではどうにもできない悲運な人生を送った過去があり、女性マスターと見知らぬ男性は、実はそんな中で深い結びつき(恋愛うんぬんではなくて)があった。。そんな感じです。
いつものように、次を読みたくて、でも読み終わりたくなくて・・・という絶妙な感覚を味わい、ヒマを見つけては読み、少し読んでは「もったいない」と本を閉じるという行為を繰り返しながら、読んだ。が、これまでのような心にじわじわと浸透してくる「あの」感覚が少ない。それは、いつもならすぐに再読したい!と思うのに、今日に限ってはそんな思いが生まれなかったことにも表れている。なぜか?ここで考えられるのはふたつである。
ひとつは、本書を通して著者が伝えたかったことを、私が明確に捉えられる域に達したということ。そうなると、その周囲のものは単なる枝葉になってしまう。手を変え品を変え、ひとつのテーマに近づいていこうとする、または言葉は違えど結局は同じことを何度も聞かされ(読まされ)る・・・と言うような感じを受ける。悪い言い方をすれば「くどい」と感じてしまうのだ。
いまひとつは、文章ひとつひとつにちりばめられた本書のテーマを私が掬いきれていないということ。確かに著者が伝えたかったことは、著者にしては珍しくはっきりと書かれている(と私は思う)。が、そこで満足しているようでは、まだまだ「青い」と言われている気がしなくもない。単なる事実描写としか思っていないワンシーンに、もっともっと感じ取るべき大きな何かが潜んでいる気がしなくもない。そう感じるのは、昨年、著者の講演を聞きに行って、そのときにおっしゃったことを思い出したからだ。
「伝えようとするのなら、すればするほど、余計な「説明」はいらない」
あ~、そうだった・・・。少ない言の葉から自分がどう感じ、何を自らの中に生み出し、構築するのか。または取り崩して再構築してもいい。刺激を受けるのもよい。要は、その瞬間瞬間でこれまで培ってきた自分の力量がそこで試されているのだ。
とすると・・・ひとつめの考えを持った私は、力量不足ということですワね、だはは。でも、「くどい」と言ってしまう「角」があるのはそこを磨いて丸くするという仕事が待っている証拠だ。不足している力量をあげてゆく余地がまだまだあるということだ。楽しみね。その一歩として、まずは・・・もう一回読むぞっ。