運命を 肯(うべな)いゐるか 野の仏
草に埋もるも 笑みを絶やさず 夢蔡
野仏の横を通り過ぎ、300mほど行くと、利根川水系の河川に当たる。
川幅200m程、普段の水量は、余りない。
戦後間もない頃のこと、キャサリーンと名付けられた台風が、この地を
襲った。川は氾濫した。
しかし、地形が幸いしたのか、村の一部の床下浸水程度で収まった。
野の仏は、村の西の外れのの墓地にあったものだという。
野の仏を境にして、川までの桑畑が、水にさらわれたのだ。
農道が低くなっている。
「野仏は、村を洪水から守っているんだで~~!」
と言った、古老は、もういない。
戦後まもなく、川の土手が、高く作られた。
親戚の、"少年兵”として動員から帰った青年が、土方として働いた。
新しい土手は、川底の砂を挙げ、芝生で丁寧の土留めされた。
子供たちの格好の遊び場となった。春から夏のはじめまで、
土手下は、狭いが、少年たちにとっては、格好の野球場だった。
夏は、水浴び場であり、農耕”牛”の牧草を提供していた。
産業構造が大変化した。人口移動が起こった。
農業の機械化がすすみ、かつての農村は無くなった。
上流は、工業化が進み、排水で、汚染された。
川は、近郊の生活者とって、利用価値のないものとなった。
完全に、生活の場から消えた。
河原は、ブタクサなどの外来植物が繁茂している。
水辺にも近づけない。荒れている。川底も上がっている。
土手の上は、市が、大型の除草機で荒草群を刈りはらう。
一応の遊歩道である。
かろうじて、菜の花の群落が、春の終わりまで咲いてくれる。
早咲きの 菜花 手向(たむ)けしは 誰なるか
野仏に添(そ)う 杖の足あと 夢蔡
-------<了>----
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