“むこう岸十一月の猫走る”(小宅容義) ▼ 梅雨明け以来、 “川の辺の道”(←粕川土手)は、夏雑草(←特に葛・、アレチウリのツル、コセンダン草)が、大繁茂していて、人を寄せ付けない。▼木枯し一号の過ぎ去った初冬の日、雑草群落には、もはや、その勢いを感じなかったので、登り歩いてみた。 川岸は、草もみじ一色であった。歩ことしばしー
、この辺りでは、ついぞ見かけたことがない、二三株の“花茎”に出会った。ー
木枯しの 吹き去りし野辺 冬ぬくし 何処(いずこ)より来(こ)し 吾亦紅‘映(は)ゆ’ 夢蔡
ーただし、いつもの散歩の“友”もうは居ない
(*原注ー「映える」=生える)
▲【 ワ レ モ コ ウ 】 吾亦紅・吾木香。秋の高原・山野に生える多年草。花は、直立した穂状花序。▼ 「吾も亦(また) 紅(くれない)なりと ひそやかに(虚子)」 花言葉ー「愛慕」ー
冬麗(ふゆうらら) ほほけゆるるや 枯れ尾花 先ゆく君の 姿失(う)せにし ー夢蔡ー
▲ ほほけ芒穂は、はや傾き始めた“ぬくき冬”の陽に薄赤く染まった。「ほ ほ け」・・→「 この旅死の旅であろう ほほけたんぽぽ 」 ▼ 漂泊に生きた俳人 “山頭火”の句を原歌としました。
人間(ひと)ならば 齢(よわい)九十 過ぎし犬 鎖なき世に 走り去りしか ー夢蔡ー
▲ 初冬の森の公園は、カエデの紅葉が盛りであった。公園北門にある犬と“子供の絆”的モニュメント。
「山茶花(さざんか)や いぬころ死んで庭淋し」ー尾崎放哉ー
▼ 「人は毎日食べたり眠ったりすることには退屈しない。空腹はまた生まれるし、眠気もそうだからだ。さもなければ、退屈するだろう。だから、精神的なものに対する飢えがなければ、人は退屈する。・・正義への飢え。(←少しばかり、重たいけど~))・・・・(以下略す)」<パスカル「パンセ」-264> (*略の部分は、キリスト信仰上のことなので、要約はできません。“引用は良いとこどり”、あしからず。)
▼ 愛犬との散歩は、午後4時頃と決まっていた。今、“空白の時”である。
人間(ひと)ならば 齢九十 過ぎし犬 木枯し一号 やまぬ夜に逝く ー夢蔡ー
ーーーー< 了 >ーーーー
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