割れた鏡の破片を踏みつけた朝、床中に広がる、真赤な俺の血液、足首をきつく縛って、軟膏を塗り込む、幸い破片は表面に浅く残っていただけだった、鋭い痛み、何をするにも億劫、特別な予定も無いのでその日はじっとしていることにした、片足で跳びながら破片を片付け、床を軽く拭いた、時間がそんなに経っていないのですぐに拭き取ることが出来た、念のため黒いタオルを使った、捨てても騒ぎにならないように―他人の落度には敏感な人間が増えた、そんな連中はたいてい、自分の顔が荒れ放題なことにも気が付かない、贅肉の塊みたいななりで、通り過ぎた誰かの容姿を云々する、まったくお笑い草だ―あまり関係の無い話だった、音楽を流して、デビッド・ボウイかなんか…少しの間サローヤンを読んだ、四十ページくらい読んで一旦閉じ、そう言えば最近読書なんてあまりしていないなと思った、昔裸眼で読めていた文字が、近頃は眼鏡をかけて、そこにはね上げ式のルーペグラスを被せないとほとんど見えなくなったせいもある、なのに視力は二十年前とまるで変わっていないのだ、それが歳を取るということなのだろうか?面倒なことが増えていくのかと思うけれど、俺にはそれほど老いたという認識はない、まだ…二年前から懸垂を始めて、まだあまり回数はこなせないけれど、筋肉量は人生で一番多くなった、肩が痺れるようになって、針医者に行ったときにいろいろとアドバイスを貰った、「前の筋肉は申し分ないですが背中にまったく筋肉が無いので背中を鍛えるといいと思います、それと、引っ張る運動をすると巻き肩が改善されて痺れもなくなるかもしれません」とかなんとか、あれは有意義なアドバイスだった、でも、肝心の針は微妙にポイントを外していた―その前に行った針医者の針が完璧だったから、すぐにわかった、二度目も同じところに行きたかったのだが、休診日だったのだ、まあ、これも巡り合わせってやつだよな…午前中は足の裏がずきずきと傷んだ、でも、昼頃にもう一度薬を塗ると痛みはだいぶマシになった、若い頃は薬を塗ることが嫌いだった、でも、水仕事をしていた頃に手が凄く荒れるようになって、ハンドクリームを使い始めた、それがきちんと効くとわかってからは、抵抗は全く無くなった、殺菌や消毒なんかの効果があって、それだけは治るのは凄く速くなる、こんな小さな話だけでも、若い頃の自分がどれだけ馬鹿だったかわかる、真面目に生きていれば人間は必ず賢くなる、もちろん、人間という生きものの尺度で言う真面目であって、社会的にどうこうという話ではない、特に近頃の社会なんてものは、それなしでは生きることすらままならない連中の為の松葉杖みたいなものだから、少なくとも俺には必要無い―必要最小限に関わるくらいで、いい―身体は傷つくか痛めつけることでそこにあるとわかる、身体を鍛えるというのは詩人にとっては愉快なものだ、そこには必ず注ぎ込んだ分目に見えて現れる結果というものがある、詩には答えが無く、常に迷宮を彷徨う覚悟でないと一日たりとも過ごすことは出来ない、まるで逆だ、それがとんでもなく心地いいのだ、まるで違うものを知ることは、その両極にとって良い結果となる、両方の在り方が理解出來て、両方に夢中になれる、俺は特に無茶苦茶したがるタイプだから、気分が変わってちょうどいい、支流はたくさんある方がいいと誰かが言ってた、それはそのまま視点という意味だ、眺めのいい場所だけに生きていると、下界でどんなことが起きているかはわからない、下界で道を這いずってばかりいると、眺めのいい場所を知ることは無い、ならば時々どちらかに出掛ければいい、そうすれば世界は広がる、自分がそこに居ることの意味だ、その場所で何を知ろうとしているのか、その場所で何を得ようとしているのか―意味を明らかにするのは境遇とか環境なんかじゃない、自分の求めるものがどこにあるかだ、様々な表現方法を複数選択して多重展開していようと、何のためにそれをしているのかきちんと受け止めていれば生まれるものはみんなきちんとしているものさ、スタイルにこだわるとそいつは決して理解出来ないんだ、自由になる為にそれを選んでいるはずなのに、不自由な思いをしてどうなるというんだ?俺にはまったく理解が出来ないね…きっと、そういう連中の考え方は俺とはまるで違うのだろう、だけどさ、型にハマることを拒んで手に入れた場所で、結局違う型にハマるのならもう何の意味も無いんじゃないのかね、まあ―他人が好きでやっていることにあれこれ言う気は無いけどさ、とにかく俺はそうして生きて来たんだ、そして、年々、それは上手くなってきていると感じているよ、あらゆる方向にドアを開けて、アンテナを伸ばすんだ、常に直感を翻訳し続けていれば、自分でも考えていなかった方向に突然動き始める、理想なんか要らない、何処に転がるかわからないから人生は面白いんだ。
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