金属パイプで冷たい床を叩いているような音がどこかから…それがどこからなのか知りたいという思いがあったけれど、その一方で、これは現実で聞こえている音ではないのかもしれないという予感もどこかにあった、あらゆるものが俺の知らない場所で展開されている、耳を澄ましながらじっと考えているとそんな気分になって、それで少しなにかを殴りたい気持ちになったけれど、殴れるようなものなどそのへんにあるわけもなく…壁を殴っても手を痛めるだけだという程度の理性はまだあった、でも、そんなものあってもなんの役にも立たなかった、まあ、いまこの時にはということだけど―それでとりあえず寝返りをうってみたのだ、景色が変わることでなにかを変えられるのか見てみたいという気持ちがあった、まあ、当然のように状況はまるで変わらなかったけれど…いま何時だろう、不意にそんなことが気になったけれど、いまスマホを手に取って時間を確認する気分には到底なれなかった―俺の部屋には時計がないのだ、なぜだか自分でもわからないのだけれど、自分の部屋に時計を置いたことがない、これまで一度もない、特別そこにこだわりがあるわけでもない、ただ時計を部屋に置くという発想が自分の中から出て来たことがないのだ、不思議なことだよな、とたまに思う、特にこんな風に、頭が奇妙な状況に入り込んでいる時には…音は続いていた、とても規則的であったり、とても不規則であったりした、ということは、人為的なものだということだ、不規則であること、それは人間のリズムなんだ、待てよ、ということは、規則性というのは人間を軸にして考えられてはいないということになるな、本当に人間という生きものは、自分以外のものに基準を設けることが好きだねぇ、自分自身の中に自分だけの神を持ってなにが悪い?世界をかえるものは政治や宗教じゃない、それはパーソナルな神でしか成し遂げることが出来ない奇跡なのだ、そうさ、人間はアイデンティティをサボる生きものだ、困難や苦痛の予兆に怯え、無難な流れに乗っかるだけの…そしてそのうち、脳味噌の使い方も忘れる、誰にでも言えるような言葉しか発さなくなる、自我と成長期の終わり、この国じゃ遺伝子的に、医術の範疇ではないロボトミー手術が繰り返し行われている、ハーメルンの笛やレミングの大量自殺を例に挙げるまでもないよね?ほんの一瞬、金属パイプの歌が途切れた、この瞬間をどんなことに使おうかと悩んでいるうちにそれはまた再び始まった(昔こんな夢を見たことがあるような気がする)、眠りたいだけの俺はただ、釈然としない現実を押し付けられて、ベッドの上で脱力している…抗うことを止め、リラックスして待っていれば、いつの間にかそれはおさまっているかもしれない、なんて風に考えた、歯痛や、腹痛と同じような感じで―同じ時が続き過ぎて逆に、時が止まっているのではないかと思えた、遮光カーテンを閉め切った部屋の中では窓の外の様子もつかめない、ただただずっと、苛立たしい音が内耳で響き続けている、不意に、昔本で読んだ話を思い出した、ある人が耳鳴りが止まらないからと耳鼻科を訪れたら、ビッグサイズの蜘蛛だかムカデだかが耳の中に入っていた、という話だ―俺はその可能性について考えてみた、とはいえ、耳の中で金属パイプでひたすら殴打するような音を立て続ける虫を俺は知らなかった、だから俺はひとまずその可能性を排除した、気分を紛らわすために原因を探ってみることにした、なにかしらの小型の発信機のようなものはどうだ?もちろん、仕込まれたわけじゃなくて―些細な事故みたいなもので俺の耳の中に滑り落ちて、救助信号を発信し続けている…駄目だ、小型の発信機が偶然俺の耳に落ちて来る可能性などほぼ確実にゼロだ、俺は発信機の可能性を排除した、氷なんかはどうだ?すぐ溶けてしまうし、そもそも、滑り落ちた瞬間に気付いて対処出来るだろう、馬鹿、真面目に考えろよと俺は自分を罵倒した、罵倒したところで何にもならなかった、別の可能性なんてもう思いつかなかった、なにか似てる音楽を探して流してみたらどうだろう、少しは気もまぎれるんじゃないかという気がした、そういう音楽には心当たりがあった、ジョン・ゾーンのエレジーを引っ張り出してプレイヤーに入れ、再生を押した、そうそう、この音―エレジーは見事に苛立たしい雑音を取り込んだ、俺はいい気分だった、あれこれ頭を悩ましてどうにか解決策を導き出した自分が誇らしかった、スマホを取って時間を確認した、深夜二時を少し回ったところだった、ついでに少しネットサーフィンをした、そろそろ寝ようかとスマホを元の位置に戻したとき、金属パイプの音がすっかり止んでいることに気付いた、どうしてこんなことが起こるのだろう…真面目に考えてみたかったがもう睡魔に駆逐されかけていた、目を閉じるとあっという間に眠っていた、自分自身を切り刻んで煮込み料理を作る夢を見た。
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