神に祈りを捧げて来たんだ、どこのどんな神かなんて少しも確かめなかった―それをはっきりさせることが祈りの真意ではないはずだから
したがって作法も出鱈目で、はたから見てるぶんには当然、礼儀作法も何も知らない馬鹿の気紛れといった風に映っただろうけど
祈りというものが気魂の在りかたによって左右されるものならば、俺のそれは充分祈りとして成り立っていたと思うんだよ、そんな風に胸をそらせていた友人が先日不可解な交通事故で帰らぬ人となった
何でも交差点で車の流れにはっきりと意思を持って飛び出し、そのとき一番スピードを上げていた一番大きなトラックに向かって突っ込んで行ったそうだ、抱きしめるように愛しむように、両腕を一杯に広げてさ
『笑っていた』普段はいかつい顔なんだろう運転手は真っ青になりながら、『笑っていた、こいつは笑っていやがったんだ』半狂乱でそう訴えた、きっと
自分の所為ではないのだというようなことを言いたかったのだろうが、運転席から見たその光景がどうにも忘れられなかったんだろうね、葬式には参列したがもちろん顔は拝ませてもらえなかった、笑ったままなのか、それともすでに顔からは程遠い塊になってしまっていたのか
彼の家は海の側で、古い家はどこまでも薄汚れていて、新しい家はそれが家だというリアリティすら薄れるほどに小奇麗な建物で、倉庫に繋がれた飼い犬がいつも悲痛な叫び声を上げているようなところ、少し雨が強くなると
海は腹を空かせたけだもののように堤防に体当たりを繰り返す
その日は雨模様ではなかったのだけれど太平洋の遙か沖にはふたつの台風が渦を巻いていて、堤防へと続く坂道を上がるあたりからもう、爆撃のような波頭と地鳴りが身体に感じられた、荒れた海を見ているとなぜかいつも憎しみを向けられているような気分になる
缶コーヒーのプルタブの音がいつもよりわずか軽く感じられて思わず手元を眺めてみた、その振動で
コーヒーのようで違う何かが飲み口から少し漏れる、それをすすりながら何度か身震いをした―太陽にあぶられているのに身体は次第に冷めていくようだった、人を左右するのは本当は肉体ではないのだ
浅瀬に積み上げられたテトラポッドと、何のためなのかよく判らない突堤の隙間から波は滑り込んで、地形に身体を合わせながら暴力を繰り返す
そうだよ、殴られたような気分だ―鈍器で脳天を殴られたような
そのときに思い出したんだ、どうしてあいつは神様に祈りを捧げたりしたのか…作法も何も気にせずにどこの神に何を祈ったのか?それは何かやつの心をトラックの前に連れて行くような真剣さだったのか?肩をすくめて、コーヒーを飲み干した、すべてがやつらしくない話だ
だからこそそうしたのだろうか?そうだ、気魂がどうとか言っていた、あんな言葉どうして使ったんだ?どうしてそんな話をしなければならかった?やつの死が祈りの所為だなんて考えることは無かったけれど、それは何かの関連を持っているみたいにそれからずっと頭から離れなかった
堤防を突き当りまで歩いたところにある公園に空缶を捨てた
たぶん
どうってことは無いのだ
なにが
くつがえるというわけでもない…激しいブレーキの音が聞こえる
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