静物たちは沈黙し続けながら俺たちの詩を見届けようとしている、きっとやつらにとっては一番興味深い現象なのだろう、そしてそれは余程の例外を除いては滅多にお目にかかれるものじゃない、当人の俺たちにしたって一生に一度のことだ、もっとも、どこまでを一生と定義するかにもよるけれど…俺はある意味で生命を放棄したみたいに眠り続けていたがわずか数時間でそんな状態は終わりを告げた、もう二度と眠ることが出来ないかもしれないと思うくらいれっきとした覚醒だった、上半身を起こし、窓越しに打ち付ける雨の音を聞いた―雨という現象はある意味でボーダーレスだ、そこには過去や記憶、現実などといった線引きを曖昧にさせるなにかがある、そう、まるで真夜中に誰も居ない街をうろついている時に感じるような感覚だ、俺はその瞬間も確かにそんな、時間の狭間に落ち込んだような感覚に触角を震わせていた、数分とも数時間とも思える時間が過ぎてようやく起きる気になったけれど、はっきり目は覚めているのになにひとつ照準は定まらなかった、気圧の問題なのかもしれない、あるいは目を覚ました時に、あらゆる感覚を使い果たしたのかもしれない、そう考えてみると確かに、今日の目覚めは一日のバランスという意味ではまるでなっちゃいなかった、退院する日みたいにベッドを降り、洗面所で朝やるべきことのすべてを済ませた、雨の音は催眠術を目論んでいるみたいに不規則なリズムでずっと鳴り続けている、ハムエッグを作って食べる、ソースは切らしていたので塩胡椒だけで済ませた、悪くない、傘を差して散歩に出るのも悪い考えではなかった、だけどどうにも気が乗らなかった、珈琲を二杯分作って時間をかけて飲み干した、幾分頭がすっきりしたような気がした、片付けておきたい物事はいくつかあった、でもまだ肉体も精神も目的を持って起動してはいなかった、今日はずっとそういう日なのかもしれない、どんなに目を凝らしてもなにも目に映らない日というのがたまにある、ただの気分の問題なのかもしれない、でもそれに抗い、ことを始めるにはもの凄い体力を必要とする、そして、そんな風に無理をおしてやってのけたところで自分自身が満足出来る結果を生むことはほとんどなかった、もしかしたら今日がそんなジンクスを跳ねのけることが出来る新しい日かもしれない、でも、そんな少ない可能性に賭けてアクションを起こすにはもうひとつなにかが足りなかった、だからなにかやるべきことを思いつくまでキッチンの椅子に腰かけていることにした、スマートフォンでニュースをチェックした、数か月前住処の近くで起こった強盗事件にはなんの進展もないみたいだった、別に珍しい話じゃない、シンクにマグカップを置く、朝の台所は春先の庭のような素っ気無く柔らかい空気に満ちている、すでに気温は上がり始めているのに…そう独り言ちて首を横に振る、整合性など無い方が正しい、なんでそう言い切るのか?整合性でものを言う人間に面白いやつなんて居ない、それだけでも充分な理由になる、辻褄が合っていないと不安なのなら、こんな人生からさっさと出て行くべきだ、すべてはあるがままに、でもそれを受け入れるということは、やたらとたくさんの景色や気配を片っ端から受け入れるつもりでいなけりゃいけないということだ、人生というフィールドはワークデスクの上ではない、理路整然と整頓されているべきではない、野生の花は咲く場所を選ぶだろうか、そこに土があれば懸命に根を伸ばす、それぞれがそれぞれの生に必死になる、それが野生の風景だ、多くのものがそんな言い方をノーと言う、計画性、貯蓄、スマートな仕事、効率的…あいつらは誇り高いベルトコンベアーさ、黙って動き続けるだけゴム製のベルトの方がずっと優秀ってもんだ…社会の中に居ると、既存のイデオロギーをただ受け入れて、限定された実用的な範囲内だけで思考することを良しとしてしまう、素敵なシャツや、エリートの称号や、カロリー計算された食事などに用はない、野性の獣は心拍数のチェックなんかしない、自分の肉体が知っていることだけが真実だ、生きることがそのままトレーニングなのさ、自分自身が確信すべき事柄は死ぬまで追いかけても手に入ることはない、ただ時折僅かにそれらしきものに触れることが出来るのみさ、数十年で得られる真理になどたいした意味はない、手近なゴールを潜れば後の人生はクールダウンをし続けるばかりになる、まだ少し早いね、まだ少し早いさ、自分との会話を続けながら、もう番号も読み取れなくなったチェックポイントを潜る、とんでもないダートだったよ、でも諦めることはなかった、綺麗に磨き上げられた図書館の床だけを歩いてきたお前に、それがどういうことかなんて決してわからないさ、勘違いするなよ、俺には誰を批判するつもりもない、俺にはただ、イマジネーションと言語の奔流があるばかりなのさ。
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