横たわる体に刻まれた痕跡、一度腐り果てたものがまた蘇生したみたいな違和感がその正体だった、じめついたシーツの感触に苛立ちながら、指先はいつも生温い欲望を溜めこんだ性器を弄んでいた…嵐の後なのに空は釈然とせず、だから俺は…外に出るたびに何か嫌なものを呼吸器に詰め込まれたみたいな感じがしていた…わけもなく人殺しが増えるのはこんな季節だ、じめついた、薄暗い…電信柱の根元に手向けられた色を失くした花束を見ながらひとつの詩編を綴った、それは誰かに読ませるためのものではなく…しいて言うなら自分の失われた平衡感覚をなるだけ正常な位置に近づけるための行為だった、浅黄色に枯れた花束はそうしたことを意識的に行うのにとてもいい入口になる…理解は求めない、別にそんなことして欲しいわけじゃない
子猫の死体を拾って、コーヒーハウスの廃墟まで歩いた、埃が積もったカウンターの上に子猫を置き、16時間連続で撮影出来るデジタルカメラをセットして腐敗していく様を撮った―拾い上げたときにはそれはすでに始まっていたから、上手くいけば骨に変わるところまでは見ることが出来るかもしれないと思って…俺はカメラをなるべく目立たないようにカモフラージュして、廃墟を出た…もっとも、この場所はあまり知られてはいないところだし、もしも見つけられても進入口を見つけるのは一苦労だ、だから、そんなことをしようと思ったのだ…何週間か前に、そういうことをした芸術家の作品を見たんだ、死んでから骨になるまでをすべてカメラに収めた、そんなやつがどこかの国にいたのさ―人によってはそんなものを芸術だとは思わないのかもしれない、そんなおぞましいことをするなんて…!と眉をしかめるかもしれない、だけど俺はそれをまぎれもない芸術だと思った、生きていたものが骨になる過程は、「失われる」というスタイルの芸術だと―勿論、臭いのない早回しの動画だからだ、そう思えたのは―だから、真似したかったとか、そういうわけじゃない、俺はそれがここにも起こることなのかどうか知りたかった、やろうと思えば、誰にでも出来ることなのかどうか…俺はカメラの中に映るものを一晩待った、夜明けとともに出かけて、廃墟へ行き、カメラを回収した、ひどい臭いと、アーモンドみたいなサイズの蠅の群れを潜り抜けて…
カメラはバッテリーが切れていた、充電しながらパソコンにデータを移し、再生してみた、しばらくの間は、ただ死んだ猫が映っているだけだった、窓のすぐそばに街灯があるせいで、明りは充分にあった…美しい光景だと思った、死に続ける建物と、死に続ける猫…俺はじっと画面に見入っていた…数十分が過ぎた頃、猫の目玉がぐるりと動いた、気がした…そんなはずはない、こいつは死んでいるのだ…目を凝らしたとき、猫の身体がゆっくりと大きく波打ち、延髄のあたりからなにかが抜け出してくるのが見えた…それはその猫の皮をすべて綺麗に剥いだあとに出てくるであろう姿によく似ていた、レンガのような赤い身体に、コードのような白色があちこちに流れていた…そいつは猫の身体から完全に抜け出し、猫の身体は少し痩せたみたいに見えた…そいつはゆっくりとこっちへ歩いてきた、歩き方は完全に猫だった…鳴くように小さく口を開けたあと、裏返ったような目玉でカメラを覗きこんだ、俺は再生を止めた…こいつはなんだ?この猫の霊だとでもいうのか…?じっとしていても仕方がなかった、俺は再生を押した…
そいつは、カメラを覗きこんだあと、ゆっくりと溶け始めた、水性絵具が水の中で溶けるみたいに…ゆっくりととてつもない長い時間をかけてそいつは溶けた、そいつが溶けてしまうとあとには裏返ったような眼球だけが残った、一匹の蛾がそのそばを舞っていた―目玉はあたりの感触を確かめるみたいに左右に揺れたあと、ポーンと跳ねて猫の身体の中に戻っていった、すると猫の身体は砂山のように崩れ…腐りきれなかった内臓と骨だけがそこには残った、無数の蛆が蠢いていた…
部屋の中で、激しい猫の鳴き声が響いた、俺は反射的にあたりを見回した、猫の姿などそこにはなかった、当り前だ…安堵しかけたとき、頬に何かがへばりついた、指で拭ってみると、まさしくあの、猫から出てきたものが溶けたときに後に残されたものだった―俺は再生を止めた、なにかが部屋の壁にまとわりついていた…俺はパソコンの電源を落として、ひとまず外へ出ていくことにした、着替えて、外に出ると、玄関の側に一匹の猫がいるのを見つけた…そいつは黙って俺のことを見ていた、そこには怒りはなく、悲しみはなく…ただ黙って俺のことを見ていた、俺は何も言わず、何も思わず、その猫と見つめ合った…やがて猫は踵を返し、いずこかへと去って行った…俺は出掛けるのをやめて、部屋に戻った…そこにはあの子猫の生首がひとつ、いつのまにか置かれていた…
映像は、どこかへ消えてしまった
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