不定形な文字が空を這う路地裏

いくつもの種類の赤











頸動脈に錆びたナイフ、生を絞めつける死の模倣、こそげとった表層の肉片を、友人たちよ、おまえに分けてやろうか、早い睡魔、求める者の先端すら叶わぬほどに、細胞を覆い隠す睡魔、指先は重く、もうどんな言葉もそこから出てくることはなく…これだけはおまえに届けたかった、これだけはそうしたかったと心から思えるような、そんな何かがここに生まれればどんなにか良かったことだろう…痛みに耐えかねて外した刃は、色褪せたカーペットの隅を形骸化した示唆のように刺した、俺が見ようとしていつも、眼を逸らしていたものに似ていた
17日目の月が執事のような佇まいで空に居て世界を窺っている、蟻のような蠢きを見つめることを止められなくなっているのだ、首筋の血を抑えながら窓を開けて確かに眺めたムーンパレス、はるかはるか離れた場所からの時を超越した輝きに俺は嫉妬する、この世で一番無駄な種類の感情のプロセス、失われ続ける生温かさが首筋にある限りはそんな無意味も仕方の無いことさ、タオル代わりのシャツはみるみる血に染まり、手の中で重くなる、やりすぎたのか?そんなことは無いよ、俺はやり過ぎたりすることなんかない、友人たちよ、おまえにだってそれは想像がつくだろう、どうしたって留まってしまうんだ、そうすることがいちばんの美徳だってどこかで信じてしまっているせいなんだろうな
体内を吐き出すようなむっとする血の匂い、それは甘い匂いに似ていると誰かが言った、誰だったのか、それとも誰でもなかったのだろうか?覚えてしまったのはいつのころからだったろう?甘い匂いに似ている、らしい、体内を吐き出すようなむっとする血の匂い…求めているのか?果たして求めているのだろうか?答えになりそうもない、間に合わせでも何でもいい、答えが成立するものは実行されたりしない、それがあれば満足するからさ、それがあればみんな満足してしまうんだ、気休めに過ぎない、そんなもの、ただの気休めに過ぎないというのに…諦めに近い享受が当り前に進行し続けている、友人たちよ、まさかおまえはそんなところに顔を突っ込んだりしてはいないだろうね?おまえがそんなところでまごまごしていないことを俺は祈らずにはいられないよ、たとえそれが気休めに過ぎなかったりしてもさ
放り出されたチョコレートが毅然と形状を保ったままでいることが出来る刺激的な季節、俺は赤く染まったシャツをカーペットの上に広げ、薄いアルミの包みを解き、ひとかけら取ってシャツの真中にトッピングする、赤と黒…赤と黒だよ、なんて絶対的なコントラスト、友人たち、俺の言ってること判るかい?俺は別におかしくなったりしてはいないぜ、確かな感覚を持って…なにがしかを構成しようとしている途中なんだ、見たことも無い服を縫う針子のように、赤と黒、俺の血の熱はチョコレートを溶かすことは出来ない、俺自身の血液の根本的な欠陥なのか、それともそれは囚われた挙句の血液だからだろうか?俺はそんなことを不思議だと感じる、その血と俺との間にさほど距離を感じないのは、首筋の傷がまだ新しい傷みを放ち続けているせいなのだろう
アナログ時計は時間という概念を心得ている、刻むというセンテンスを抑えることがどれほど大事なのか…音もなく表示されるデジタルがいくつものドラマツルギーを時代遅れにしてしまったのは確かさ、もっとも俺にはそんなドラマツルギーは何の関係もないことだけど…俺は文字盤を読もうとする、首だけで振り返ると傷が動き、いっそうの痛みが走る、俺は思わず小さな悲鳴を上げる、判っていたことなのにそれは生まれてしまう、俺はそのままの体勢を維持して痛みに耐えながら少しずつ時計の方を振り返る、刻むもののリアリティ、そいつが俺にそんな無様な意地を遂行させるのだ、刺激された傷口から新しい血液が流れる、新たな体温が俺の外郭を伝う、俺にはもうそいつを抑える意思はない、俺は文字盤を読もうとしている、一度血を流してから、そうだ、だいたい一時間が経過しているようだ…俺は首を元に戻す、さっきとは違う種類の痛みが傷口から耳を経由して斜めから脳天を突き上げる、そうだ、肩口から脳天を貫かれるみたいな感じだ、俺はしばらくの間涙を流すかのように俯いたままで傷みを抑え込んでいる
痛みが引き、顔をあげると、時計の音がやたら遠くで聞こえているみたいに薄らいで、俺は時間の概念を半分忘れる、意識しない景色を見ていながら忘れているみたいに、表通りを過ぎる車ももう随分と少なくなっていた、数分おきに走りぬける何台かの車はまるで億劫な風が吹きながら漏らすぼやきのようだった、俺は少しの間目を閉じていて、幾度めかのその風の後で目を開けた、その目に見えたものは何ひとつ特別なものではなかった、俺自身の意識の構築に問題があるのだ、何もなかった、なんて、まるでデジタル時計のような虚しさだ、「そのあとで目を開けた時に見えたものは何ひとつ特別なものではなかった」そこにはどんな認識もない、紙芝居を見ている子どもが最後の一枚の絵柄をたまたま鮮明に覚えていた、ということと同じくらいに認識としてはまるで意味がない…俺にはもう時計を眺めるつもりは無かった、時計が必要な時間じゃない、「時計が必要な時間じゃない」頭の中でゆっくりとその言葉を繰り返すと、ああ俺は少し頭がおかしくなっているのだろうと感じてほんの少し哀しい思いをした
カーペットに刺した錆びたナイフを引き抜き、頭上に光る澄ました月にかざした、月よ、俺はおまえのことを殺したいと思っているかもしれない―だけどそれにはどうすればいいのかまるで判らない―おまえが死ねばこの地球上のあらゆるバランスは崩れてしまうのだろう?俺は腕をまっすぐに伸ばして、刃先が月の真中へ入るように懸命になった、ちょうどライフルの銃身で照準を合わせるように…俺はそれが月を落とすことを想像しながら何度か突いてみた、もちろん月は微動だにしなかった、そもそもこんな小さな刃のことなどやつには少しも見えていないのだろう…俺は首の傷を強く叩いた、収まり始めていたやつらがまたざわざわと騒ぎ出す―俺はもうそんなことに注意を払わなかった










友人たちよ、俺の首筋に食い込んだ錆びた刃に、何か気の利いた名前をつけてやってくれるかい…

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