それがいつになく胸を刺す針なら
君はそいつの事を無視すればいい
すべての出来事に意味があるなんて言っても
つきあいきれるほど退屈でもタフでもない
あらゆる法則を同じリズムで解こうとするなんて
石器時代の人間にだってきっと笑われる
人気のない浜辺にでも行って
季節外れのビーチパラソルを広げて
ぼんやりと詩集でも読んでみればいい
真実なんて床に散らばった小銭みたいなもので
そのとき欲しい分だけ拾えばいいって気づくさ
固定したがるのは決まって
楽に勝利を宣言したがるようなやつら
そんな方法論は
1900年代にすでに意味をなくしたことを
まだ
知らないでいるんだろう
たとえばその海にものすごい津波が来て
波の先端で激しく振り回される瞬間に
流れに逆らうのか流れに乗るのかを決めるのは
それはもういい加減なおみくじみたいなもので
君にどれだけ泳力があろうが
あるいはどれだけ判断力があろうが
サバイブするかどうかは運みたいなものに過ぎない
もし助かったとして
「諦めなかったから」なんて、本気でそんなこと言ってたら
海の底のカレイが腹を抱えて笑うだろう
海に飽きたら山に登ってみな
人間なんて塵みたいなもんだってわかるから
信念よりもずっと
前進が大事なことだってわかるから
たとえば君が詩を書いているなら
オリジナルなセオリーなんかまずは捨ててしまって
わけの判らない羅列に身を任せてみるべきだ
偶然以外から
生まれた生物なんてたぶん存在しないんだから
そもそも思ったとおりに
受け止めてもらえることなんか決してありはしないんだぜ
料理と同じでさ
作って出してあとは知らん振り
ウマいかマズいかは喰ったやつが決めること
もちろん自分で喰って満足したっていいわけだ
「俺はウマいと思う」それだって評価のひとつには違いないさ
それがいつになく胸を刺す針なら
君は逃れようなんて考えちゃいけない
笑える話しばかりしようとするやつが本当の弱者なんだから
風邪っぴきのときと同じで
ひたすら熱が引くのを待つのが正解だ
暗闇にたとえるなら
明かりをつけるよりも
そこで眼を凝らすことのほうが重要だ
俺たちを試食しようと目論んでいるやつはたいてい暗闇にいるから
そこでも何かできるかもしれない自分ってやつを見つけなければならない
さて、嘘だとお思いになるかもしれないが
俺はなにかの目的を持ってこの詩を書いているわけではない
そもそもなにかの目的を持って詩なんか書くやつは
それだけでこころのいやしいものだ
手元には音楽があって
どちらかというとそれの旋律をたどることに意識を集中している
言葉は勝手に出てきて
白いスペースにリズムを植えつける
そこに意味があるかどうかなんて
俺が考えるべきことじゃない
俺が気をつけることは
漢字を間違えないことぐらいで
辻褄が合おうがどうしようがお構いなしさ
そもそも自分の人生を省みて
辻褄が合ったような経験なんてろくにありはしないもんでね
山と海に行って
ある程度のことを学んだなら
お次はそれを日記に書くといい
本当の出来事じゃなくていい
たとえば日付を逆にしたっていいし
海の頂上に登った、なんて書いてみてもいい
山で溺れたとかね
『草をいくつも飲み込んで息が苦しくて、
そのときふもとの方からボートが一艘現れて、
屈強な山男が浮袋を投げてくれた』
とかね
そしたら君は自分のことを
意外と面白いやつだなんて考えるはずさ
それは君のインスピレーションに
ひとつの扉を作る結果となる
潔癖症的なロック・シンガーが「想像しろ」って昔歌ったろ?
それは答えを出すことよりも
「想像」それ自体が大事なことだったからさ
天国だの戦争だの
あいつはたぶんどうでもいいと考えていたはずだぜ
少なくともあの歌を精製してる間は
想像は大事だ
無意味なことからも学べるようになるし
とりあえず否定から入る下手なプライドを捨てることにも役立つ
柔軟な姿勢というのを覚えることが出来るし
そしたらたぶん抱えてる持病のひとつやふたつは治る
こだわりを持ってはいけない
それは犬に鎖をつけることと同じで
行ける所が自然と限られてくる
鎖をつけてはいけない
迷子になれる勇気を持たなくちゃ
どこに行くにも地図ばかり見てしまうことになる
そうなると
たとえば目印にしていた一角が土地開発なんかでごっそりなくなってたりすると
その地点でずっとまごついていなくちゃならない
立ち止まったやつには
手を貸さないのがヒップな時代ですってよ
日記を書いたら街へ出よう
人の流れを見て
文化の流れに眼を向けよう
君に有意義ななにかが
もしかしたら発売されているかもしれない
そういうものがもしもひとつも店頭になかったとしても
もしかしたら大いに君好みの
新製法の缶コーヒーが販売機にセットされているかもしれないじゃないか
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